短期間に重篤になって入院された患者の状態を把握するのは、一般の方が考えるほど容易なことではありません。個々に異なる、患者情報が、患者側から入手しがたいことにも一因があります。今可能な、医療検査、特に保健適応になっている検査は、膨大な生体情報の本一部にしか過ぎません。
しかし、患者家族の要望というか、欲望は限りなく肥大しています。
最近も、健康な毎日を送られていた方が、感染症にしか考えられない状態から数日で、悪化し、生命の保証が無い状態にまで悪化して入院された方の家族が、1週間後、やっと快方に向かったと思ったら、この先の方針についてお伺いしたいと来院された。入院当日の詳細な説明を行ったその場に居合わせなかった家族の一員がいて、聞きたいというのが本音のようであった。しかも、これから先の見通し、期間、医療費など、経済的要因が主なのであった。
重篤であろうが無かろうが、マニュアルに沿って医療行為を行えば結果の如何は、マークシート方式で、はずれた度合いに応じて責を負うというのであれば、重篤な患者の場合、医療サイドはどんなにか楽になるのではないでしょうか。
生命保険は、危険因子に応じて保険の掛け金が大きくなるようになってきていますね。
瀕死から回復したことを、患者自身、本人も、今日一日生き延びて、快方に向かったことに対する感謝は、生をいつくしむ気持ちにも通じると思うのですが、感謝(医療者に感謝を要求しているのではありません。宗教にも通じる気持ちとしてです)を願うほうが無理なのでしょうか。