連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

手になじんだ道具、使い慣れた器械

2006-06-14 07:02:13 | 健康・病気

弘法筆を選ばず。

凡人の私は、手になじんだ品が使いやすく、失敗も少ないです。新しい医療機器を使うときは心身ともに消耗します。医療経済が逼迫してきたためだけではなく、新機種導入のときに、入札して安いほうが落札するという制度は、どのような人々が決めたのでしょうか?

使いなれた機種が型を更新したときは、前の制度を踏襲していることが多く、記憶した知識は役に立ちます。まったく別の機種ですと、新たな研修が必要です。医療現場で、この研修時間は、きわめて限られたものです。すなわち、慣れなくても使わざるをえない、泡を食うような急激な変化が起きたときには手間取るということです。”出来なければ困る”と、だから”出来る”とは別物です。ましては”上手に出来る”とは一緒のことではありません。私は、内科医で、日常使うのは、骨髄穿刺針、翼状針、中心静脈穿刺針、超音波機器でしかなく、生命に危険を及ぼす可能性は低いのですが、それさえも、日常使用しているのと違っていると、使い勝手が異なって時間がかかったり、針ですと、失敗して痛い思いをさせたり、危険な目にあわせそうで、ストレスで疲労困憊します。

新庄病院の”談合”といって、新機種導入が世間沙汰になっていますが、使い慣れた機種、トラブル時の対応が早いというのが、理由の第1のようで、医師の私には肯定できることです。”金銭の受け渡しはしていないんです”とのことを真に受けての判断です。

使い勝手が良い、なじんだという、使用者の立場も、考慮した社会になってほしいです。

”お金が動いているんではないの”とか、”選択の公平”とかばかりを問題視して、使用者の技術という個を無視した、不公平な裁定を、”当事者的体験をすることがまったくない人々が、知らないのを最大の武器にして、うがった判断することに同じ医療者として、世間に対して不快感をおぼえます。

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