連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

目の見えない人は 世界をどうみているのか 視点の拡大

2015-06-29 12:33:48 | 本と雑誌
目の見えない人は 
世界をどうみているのか   伊藤亜細紗著 光文社新書

目が見えなくなった、恩師が念頭にあって、タイトルにつられて購入しました。

河北新報の、日曜日に書評という面があり、時間に余裕があると、読んで、惹かれたタイトルは、ネットで購入しています。

目が見えない とは? 傍らにいるので、対応をどのようにしたら、不安を解消できるかと、
夜は,電気をつけずに行動するとか、試みていましたが、読後感は、

恩師の、時間的変化での対応からも納得いくことでした。

序章 見えない世界を見る方法
第1章 空間
第2章 感覚  読む手、眺める耳
第3章 運動
第4章 言葉 他人の目で見る
第5章 ユーモア 生き抜くための武器

自分と異なる体をもった存在の……
自分にとっての「当たり前」を離れる
変身
”見えないことと” ”目をつぶること”は全く異なる!
椅子に例えてありました。目が見えないのは、4本足の椅子が欠如したバランスが悪い椅子ではなく、3本足のバランスのとれた状態
耳で「見る」、目で「聞く、」鼻で「食べる」、口で「嗅ぐ」人間の体の適応力にも通じる。
コミュニケーションのチャンネルが生まれる
見えない人の体の使い方 見えなくなってから転ばなくなった
ボルダリングというスポーツとマッサージの相似点:探りながら適切な場所をみつける
見えない人ならではの備え:サーフィンで波に乗る
タンデムという自転車競技は、二人の人が重心を一つにする。自転車と対話をしながら乗る、ノる。

2013年以後の、先生の視力の低下は、厳しいものがあり、
歩行が、ぶれないよう、安定させるためには?歩行の伴走にも工夫して、
前に立つ、私の方にて乗せてもらい、先生のリズム、歩幅に合わせるように歩く。
遊び心に富んでいた先生は、必死に走るように歩く日がありました。そのような日は、走れたね!生きと嬉しそうでしした。
暗闇の世界の住人となった先生に、読書できない時間の過ごし方など、質問しまくる私には、
”新しいことに出会わなくても、以前を思い出して、思い出せる範囲を較べたりで、退屈しない”
”好きな人と出会っては、話しをしているし”
などを語ってくれました。

この本に、もっと早く出会っていたらば、沢山の視点から聞きたいこと、聞き出せたことがあったなと、失われてしっまた機会

が惜しいです。

多分私が、弟子入りした昭和50年初めには、右目は顕微鏡による失明。左目もかなりの弱視で、近眼と思っていましたが、顕微鏡による網膜障害
、視力低下だったのではないかと思います。
患者の病状を見極め、直してやりたい一心で、責任感と自負心からの顕鏡。視力低下の原因を愚痴ることなく、わずかに光を感じ、ときに姿がおぼろに感じるようになっても、ありのままの状態を受け入れていました。

さりゆけど 教えの道を 指し示し 中陰過ぎて 世にあり続け

コメント
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