沖縄、奄美に続いて、中国、近畿、四国に梅雨明けがだされました。東北仙台はまだですが、
梅雨明け
1977年、東北大学第3内科に入局した初めての年。
梅雨明け宣言が出された、当日、空には太陽がさんさんと輝き、気温は急上昇。
朝には、病棟の廊下を歩いて、HTさんが、急に呼吸苦を訴え、
心不全で急逝。病棟には、他に二人、今日か明日かと見守られていた方も、亡くなられました。
冷房装備のない時代の、梅雨明けは、体力の低下している患者にとって耐えがたい環境でした。
独歩、自力で身の回りを整えられる、20代の、急性白血病治療中の患者にとって、
急激な、気温上昇で、命を失うのを目の当たりにして、
急性白血病の治療、研究に邁進すべく、入局したばかりの新米医師であった私には、衝撃でした。
熱中症アラートなどまだまだ出されていない時代でした。
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