豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

何処からか来た北海道人…函館市~北斗市

2015-07-28 18:00:55 | ファース本部
昔は蝦夷と呼ばれた北海道ですが、ここに住む人の殆どは本州各地から移住した人々です。
江戸時代には、写真の「北前船」と言う交易船が九州、四国から関門海峡を抜けて日本海を北上し、山陰、北陸、中越、東北から物資と文化を運び、北海道が形成されたようです。

北海道の蝦夷地と呼ばれた時代の現地人アイヌは、文字を持たない独特な文化を形成しておりました。
アイヌ民族は、我々のような本州から来たいわゆる「和人」の侵入に精神的な抑圧を抑えつつ、大掛かりな攻撃、抵抗を示すこともありませんでした。
しかるに元々北海道は、アイヌ民族が自然とともに生きていた北の大地のです。

私達の祖先、本州人は、明治維新の廃藩置県で藩を追われ、未開の大地と謳われた北海道への開拓に入植してきました。
自然のあるがままで暮らしてきたアイヌ文化の大地は、短期間のうちに農業、酪農、林業へと耕作される大地に変貌することになります。
アイヌ民族の伝統を壊した事実はあるものの日本全体の食糧生産の大地になっております。

北海道各地には、先人であるアイヌ民族を永遠に保護するため施設も多く存在します。
アイヌ民族の血統を持つ人と琉球民族の血を引く人の顔立ちが良く似ていると言われます。
私の姓名「福地」は、沖縄にも多く存在するようです。
アイヌ民族と琉球民族は極端に離れた北の南ですが、何処かで何かの繋がりがあるのかも。

北海道は東北と異なり言葉はほぼ標準語に近いのですが、道南の函館から東側が、東北の南部弁、函館から西側が津軽弁の影響を受けているようです。
ファース本部のある北斗市から木古内町、知内町、福島町と、西に行くほど津軽訛りが強くなるような気が致します。
私は、父のルーツが東京でその先が栃木県、母のルーツが津軽だそうですが本州人の典型なのかも知れません。

さて、今日も社内業務でご来社されたお客様の対応や執筆活動を行っております。
孫の相棒、穣太郎は、終日、社長室で読書しながら付き合っていました。

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