豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

真の任侠道とは…北斗市・本社

2023-04-07 17:11:01 | Weblog
真の任侠道とは…北斗市・本社
「任侠」の歴史を辿ると中国の春秋時代(秦の始皇帝が出る前の時代)になるそうです。
情を受けたからには、命をかけて恩義を返すことで義理を果たすとする輩たちです。
法やルールに縛られることを嫌ったモノたちは、その任侠に走ったと云われます。

有名なのが「戦国四君」で、任侠の徒を3,000人も雇って国を動かしたと云われます。
いわゆる「遊侠列伝」と云われた史実に残った武勇伝があります。
日本では任侠を主体した生き方を「任侠道」あるいは「任侠の徒」と云います。

江戸時代には、「天保の飢饉」で苦しむ人々に富裕層から金品を強引に召し上げ、貧民に分け与えた博徒の「国定忠治」が後世に名前を残しています。
それでも最後は、つかまって刑死しますが、それを怖れずに行動を起こしたのです。

後の研究者は、任侠道と武士道が同等で、ヤクザは武士の理論的継承者だとする学者もいます。
「ヤクザ」と「チンピラ」を混同する例えに毅然として、その違いを強調しているのです。
新渡戸稲造は、明治32年に記した「武士道」の中で武士道精神を男の象徴だと語っています。

現在の乱闘を繰り返す指定組織暴力団とは、まったく異なる世界だったと思われます。
画像は少年時代に見た映画で高倉健(左)と池辺良(右)の任侠映画のワンシーンです。
博打や暴力取り立てなどの組織暴力団と異なり、一夜の宿泊と一膳の飯を喰わせて貰った恩を一生かけても返すと云う意味です。
これを「一宿一飯義理人情」と云います。

私の鉄骨トビの修業時代は、まさに任侠道に近い暮らしをしたことがあります。
義理と人情、厳しさと優しさの在り方を身体で覚えた時期でした。

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