五稜郭と化粧品メーカー資生堂…北斗市・ファース本部
函館市の五稜郭公園(写真)にそびえたつ五稜郭タワーの展示室には、五稜郭戦争で戦った榎本武揚の事が詳細に展示されています。
東京下町、現在の浅草橋あたりで生まれた榎本武揚は、江戸城の無血開城に納得がゆかず、旧幕府艦隊を率いて品川港から脱出します。
太平洋を北上して蝦夷地(北海道)にわたり、函館の五稜郭で新政権を構築しようとします。
そのリーダーは、アメリカの大統領制に習い士官たちでの選挙を実施しました。
これが我国最初の選挙のなるのですが、当選したのは他ならぬ榎本武揚本人でした。
榎本武揚はジョン万次郎から英語やオランダ語を学び、徳川幕府の留学生としてヨーロッパにわたり、造船、軍事、蒸気機関、農業、化学や科学技術などを学んだそうです。
五稜郭戦争で榎本武揚は、新政府軍に政府反逆罪で逮捕され投獄されます。
死刑執行を待つ牢獄では、石鹸や蝋燭の研究に時間を費やしたと云われています。
新政府軍リーダーの黒田清隆に、榎本が留学時代に学び、そして書き写して大切にしていた国際法研究書「万国海律全書」を渡します。
黒田は、西洋化学や法律知識に長け、人望のある榎本を高く評価、福沢諭吉も榎本の救命嘆願に奔走したとされ、極刑を免れました。
榎本は明治政府で逓信、農商、文部、外務大臣を歴任し、樺太千島条約に関わります。
牢獄で研究した石鹸づくりから、親戚の銀座に薬局を経営していた福原有信と一緒に化粧品を創り、それを銀座で売り出して現在の化粧品メーカーの資生堂になったと云われます。
函館市の五稜郭と、化粧品の資生堂が繋がると思いませんでした。
榎本武揚は、人望があり、見て聴いて実践する出来る人物のお手本のようです。
モノづくりや発明起案も私達は、榎本武揚から学ぶことが多いと思われます。
「#ファース工法」「#空気サラサラ」「#ファースの家」「#福地建装」
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