中島義道著、文春文庫刊
中島さんの著書に初めて接したのは、確か「うるさい日本の私―「音漬け社会」との果てしなき戦い」だと記憶しています。世の常識に真っ向から挑戦する主張に、半ば呆れ、半ば感心して読んだ記憶があります。それから「人生を<半分>降りる―哲学的生き方のすすめ」、「私の嫌いな10の人びと」を読んだように思います。そのいずれもが、常識に反するように見えながら、社会の約束事に適応出来ない著者の悲痛な叫びであると理解しました。
中島さん的な要素を、多くの人は程度の差はあっても持っているのではないかと思います。私の場合場かなり似ており、中島さんの主張に共感出来ます。人が生まれてきて社会の中で生きるためには、大きく2つの生き方を学び身につけなければならない。
1つは、ルールを尊重すること。2つ目は、そのルールを適当に誤魔化すことです。中島さんはそのように述べてはいませんが、2つ目のルールに違和感を感じたのではないかと思います。現実の世(浮き世)では、どのような高い理想や信仰を持ったとしても、それは精神世界の事であって、日常生活の中では、ルールとそれに反する自身の欲望や立場とで適度に折り合いを付けて生きてい行かなければなりません。
本書は中島さんが物心が付いてからたどった家庭環境や生い立ちの中で、異邦人のごとく戸惑い、かつ影響され、長じるに及んでにっちもさっちも行かない状況に追い込まれる。やっと脱出したと思ったら、また同じような(あるいは、それ以上に悲惨な)境遇に陥ります。そうして過ごした日々を振り返り、実に哲学的な思索の末に、孤独を選び取る道を選んだのでした。
読んでいて、私の感じ方や処世との類似に驚きました。それは、作者が、自らや親族の恥・迷惑を顧みずに、「生きるのが困難な人々へ」のエールとなるよう、本書を執筆した狙いにかなっているからだと思います。
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URL => http://ja.wikipedia.org/wiki/中島義道
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評価は4です。
中島さんの著書に初めて接したのは、確か「うるさい日本の私―「音漬け社会」との果てしなき戦い」だと記憶しています。世の常識に真っ向から挑戦する主張に、半ば呆れ、半ば感心して読んだ記憶があります。それから「人生を<半分>降りる―哲学的生き方のすすめ」、「私の嫌いな10の人びと」を読んだように思います。そのいずれもが、常識に反するように見えながら、社会の約束事に適応出来ない著者の悲痛な叫びであると理解しました。
中島さん的な要素を、多くの人は程度の差はあっても持っているのではないかと思います。私の場合場かなり似ており、中島さんの主張に共感出来ます。人が生まれてきて社会の中で生きるためには、大きく2つの生き方を学び身につけなければならない。
1つは、ルールを尊重すること。2つ目は、そのルールを適当に誤魔化すことです。中島さんはそのように述べてはいませんが、2つ目のルールに違和感を感じたのではないかと思います。現実の世(浮き世)では、どのような高い理想や信仰を持ったとしても、それは精神世界の事であって、日常生活の中では、ルールとそれに反する自身の欲望や立場とで適度に折り合いを付けて生きてい行かなければなりません。
本書は中島さんが物心が付いてからたどった家庭環境や生い立ちの中で、異邦人のごとく戸惑い、かつ影響され、長じるに及んでにっちもさっちも行かない状況に追い込まれる。やっと脱出したと思ったら、また同じような(あるいは、それ以上に悲惨な)境遇に陥ります。そうして過ごした日々を振り返り、実に哲学的な思索の末に、孤独を選び取る道を選んだのでした。
読んでいて、私の感じ方や処世との類似に驚きました。それは、作者が、自らや親族の恥・迷惑を顧みずに、「生きるのが困難な人々へ」のエールとなるよう、本書を執筆した狙いにかなっているからだと思います。
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URL => http://ja.wikipedia.org/wiki/中島義道
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