夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

もう一つ梅  梅の花しだり柳に折り雑へ

2010年03月04日 09時34分30秒 |  気になる詩、言葉


先ほどの梅の日記に付け加えようかとも思いましたが、これはまさしく私の願望を代弁しているものとして、別に一席設けましたですよ。

梅の花しだり柳に折り雑(まじ)へ
   花にまつらば君に逢はむかも
        万葉集 10-1904
        詠み人知らず

梅の花をしだれ柳と一緒にお祭りしたら、あなた逢えるでしょうか、、、
女性の詩なのでしょうね。でも、私の望みでもある。

しだれ柳というのは万葉の時代には、街路樹となっていたそうです。
あんな昔に、もう街路樹が完備されていたというのは驚きですけど、なに中国の真似ですよね。それでも我がいすみ市では、、、街路樹???? 必要な道路幅すら確保されていない。花の都とは1000年以上の遅れですか。

ついでに、しだれ柳の細枝は女性の眉によく例えられます。
以前、お茶の初釜のところで書きましたように、しだれ柳を結ぶのは、旅立ちに際して旅人への延命、安全、幸福を願う習い。それが新しい年への旅立ちへの幸福を願うということになっていったのですね。
これももともとは中国の風習ですね。
漢詩にはよく柳が出てきます。

なんてことは別にしても、梅に柳を混ぜて神様にお供えすれば、あの人が来てくれるのなら、この辺の梅と柳を全部引っこ抜いてきて、お供えしたいです。
でも。。。?
花子さん、藤子さん、小百合さん、桜子さん、ぼたんさん、葵ちゃん、あやめちゃんまで!!!
みんな来てしまったらどうしよう。。。

梅に鶯? 何時しかもこの夜の明けむ

2010年03月04日 09時03分59秒 |  気になる詩、言葉


昨夜は月が出ておりましたので、海に月の光が反射しているのを撮りたいと、夜中に海のほうをうろうろしておりました、
なので、今朝は「暁を覚えず」の状態。
ということで、何もありませんので、昨日、お家へのご挨拶で挿しました花を一献。
梅に馬酔木、椿。
馬酔木は昨日の日記に載せておりましたので、今日は梅。


何時しかもこの夜の明けむ
    鶯の木伝(こつた)ひ散らす梅の花見む
        万葉集 10-1872
        詠み人知らず

万葉集には梅に鶯の詩がこれ以外にもいくつかあります。

鶯の声(おと)聞くなべに梅の花
    吾家(わきへ)の園に咲きて散る見ゆ
        高氏老(たかうじのおゆ)
        5-841
これなんか、まさしく私の状態なのですね。
 
            
梅に鶯。
鳥の写真を長年やってきた人でも、梅に鶯の情景は見たことがないなどと書かれています。たしかに梅の花の時期にはメジロがふさわしいのでしょうね。
ところが、今朝、うとうととしておりましたら、鶯の声を聞きました。それももうかなり本鳴きなのです。
起き上がって姿は見えなくとも、動画で声だけでも録りたかったのですけど、なにせほれ、こちらは「春眠不覚暁」状態でございましょう、ベッドから起き上がれなかったのでございますよ。
というわけで、梅に鶯は次回をお楽しみあれ。


馬酔木  わが夫子にわが恋ふらくは

2010年03月04日 00時38分44秒 |  気になる詩、言葉


わが夫子(せこ)にわが恋ふらくは
     奥山の馬酔木の花の今盛りなり
          万葉集 10-1903
          詠み人知らず

私の夫のことを私が恋しているのは
奥山の今、真っ盛りの馬酔木の花くらい(いっぱい恋しているのよ)

幸福な夫、そして妻ですね~
もっとも、つい昨日のことですけど、知人にそんな日は三日ともたないよなんて言ったばかりですけど。 
なんせ、いつも言っていることだけど、死ぬほど好きで結婚しても、そのときが絶頂なんですから、あとは一直線の下り坂だけ、、、、、
なんてことをいうのは年寄りの僻みなのは重々分かっておりますって。

馬酔木、今、盛りですよね。
梅が終わりに近づいて、桜(早咲きはもう咲いていますけど)にはちょっと間がある。
その間を埋めるものが馬酔木であり、桃なのでしょうね。




でも、この馬酔木。万葉集にはいくつか出てきますけど、古今集や新古今集にはでてきません。
とても、大切なこと。
つまり、万葉集は普通の人々が目の前の自然や、生活を口ずさんだ詩がたくさん含まれています。
でも、古今集や新古今集はほとんどプロ同然の歌人たちの詩。それもほとんどが貴族や学識のある僧侶たちの詩で、自然を歌っていても多くは庭に咲く花であったり、想像の産物であったり、あるいは目の前の自然を高度な技術によって美化したものであったり。
馬酔木なんて雑草のように山に自然に咲いている花なんて、古今集や新古今集の歌人たちにはそれほど価値のあるものではなかったのかもしれませんね。
だから古今集や新古今はとても口当たりがいいのですけど、、、、
ただそれまでって物が多いのは、そんなところなのでしょうか。
仕事をしていたころも、作品を見ながら、「綺麗過ぎるから」って敬遠したことがなんども。
なんていいながらも、古今集や新古今集の詩にしびれているのも事実なんですけど。
美人はそれだけで得よってのは女性もよく口にする言葉ですよね。
女性を前にして、「そうですね」なんて恐ろしいことは、後難のことに思い至ると、なかなか口にはできませんけど、でも、美人女優さん、やっぱりいいですよね~~~~~~



ところで、発見。
馬酔木は昔は「あしび」って呼ばれるほうが多く、(上の詩もあしびと読んでくださいね) 今は「あせび」と呼ばれるほうが多いと思っておりました。
でも、私は子供のときから「あしび」って呼び慣らしていました。
ほんと、子供のころから私は古かったんですね、、、、
Win7についてくる辞書では「あせび」では変換しないのですね。「あしび」って入力しなければならない。
ちょっと嬉しい事実。