梅はそろそろ終わりといいながら、でもまだまだあちこちで盛大に花を咲かせています。
この写真の梅を植えられた人、ここまでの景観を計算して植えられたのかしら?
この景色を見て、思わず車を止めて、しばらく魅入っておりました。
感謝いたしましょう。
3月5日 いすみ市岬町にて
6日の日記「あるがままに」に知人のウワバミさんからコメントで椿の漢詩をいただきましたので、梅の花の漢詩をそれへのお返しに。
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正月二十日往岐亭郡人潘古郭三人送余於女王城東禅荘院
正月二十日、岐亭に往く。郡人 潘、古、郭の三人 余を女王城東の禅荘院に送る
蘇軾
十日春寒不出門
不知江柳已揺村
稍聞決決流冰谷
盡放青青没焼痕
数畝荒園留我住
半瓶濁酒待君温
去年今日關山道
細雨梅花正断魂
十日の春寒に 門を出でず
知らざりき 江柳の已に村に揺るるを
稍(や)や聞く 決決として冰谷の流るるを
尽く青青たるを放(し)て 焼痕を没せしむ
数畝の荒園は我を留めて住せしめ
半瓶の濁酒は君を待ちて温む
去年の今日 關山道
細雨 梅花 正に断魂
春は名のみの寒さで10日も引きこもりっちゃ
村では柳が芽を吹き出したなんてことも知らんかった
氷に閉ざされとった川の音が聞こえたかと思うと
もう野焼きの後は緑の草で覆われてしもうたらしか
荒地を耕して作った小っぽけな畑でやっと生活できとる
酒は瓶に半分位しかなかばってん、君たちのために暖めてあるけん
去年の今頃は關山道で
雨の中に咲いとった梅の花に心が震えとった
蘇軾はこのとき、事件に巻き込まれて流刑になって流されていたのですが(最後の2行はその流刑地への移動のときのもの) この詩を見る限り、屈託がないですよね。経済的には極貧、精神的にもかなり参っていた時期だと思うのですけど。