夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

坊主の年始

2012年01月04日 18時12分14秒 |   ボクとおいちゃんと ときどきおねえ


今日は4日。お坊さんが年始に回る日ですね。
だから、チビ太はお家に引き籠り。

なんて、、、ほんとうは、三が日、ずっと寝正月でした。



お節も出してもらえなかったし、おいちゃんは初詣やご来光を撮るんだなんて出ていましたが、チビ太はお留守番。



どこにも行けなかった。
チビ太だって、着物姿の可愛いお姉さんたちを見たかったのに。


恋をしてしまいました。   物が物でなくなる時

2012年01月04日 05時23分35秒 | 芸術・文化


以前にもご紹介しましたが、上総一宮にことろという小道具屋さんがあります。
おいてある古布がとても素晴らしい。
そこに上っ張りが置いてあります。
夏に使うものは一つ求めました。
あまり着ないのですけど、何となく満足しちゃっています。
ただ、以前にも書きましたけど、これで大きなポケットが二つ付いているとメグ・ライアンがなんかの映画で着ていたのに良く似ているな~なんて、まあ、私にもそんな一面があるんですよね。



寒くなりました、袷になった、あるいは厚手の上っ張りが欲しいと思っていました。


素晴らしく丁寧な作りの刺子の上っ張りがいくつか置いてあって、私の物欲を強烈に刺激します。
色も形も、私好み。防寒にもそこそこ間に合うでしょう。
何度も何度もそれを見るために通いました。
でも、その通いの密かな目的はもう一つ別な上っ張りを見たいからでした。

それは、非常に素朴な浜着。
道具として見た場合には、刺子の上っ張りの方が綺麗だし、洗練されている、それに私の目的にもあっているかもしれない。
この浜着は少し厚すぎてゴワゴワしすぎるかもしれません。
それに冬の防寒着としては、前がきちんと閉まるような、ヤッケみたいなものの方がもっと適切なんでしょう。

でも、刺子も、そしてこの浜着も、どうしても忘れきれない。
刺子にはそれなりの値段がついています。
でも、この浜着、さすがにこのお店のオーナーは布の専門家。刺子の二倍近い値段を付けています。
見るところが違うんでしょうね。
刺子だって、貧乏な年金生活の私には途方もないお金。
ましてこの浜着の値段は、清水から何度も落ちる覚悟がなきゃ手も届かない。
でも、欲しいのです。
店があいたら、買いに行こうと密かに決めています。



この浜着からはたんに道具としての意味以上に、私を刺激するものがある。これに染みついた時間の重みなのでしょうか。

例えば名物とされるようなお茶碗。欠けても金や銀で補修されて、却ってその価値を誇っている。そんなエリートのたどる道ではなく、この浜着には、何十年も使い古され、破れや綻びも、一針一針、母ちゃんや、それを着ていた漁師さんの手で補修されながら使われてきた重さがあります。
その時間の重みが妙に私のスポットにはまり込みました。



どんなに優れたもの、道具であっても、どんなに綺麗であっても、作られたときはその物の持つ価値だけしかないんですね。
でも、それが使われ、人と交わって来るうちに息吹いてくる、その物の時間が生まれてくるんでしょうね、、、




なんて、今年初めての妄想でした。