今日は知人のご両親の三回忌。
二年前の今日は、仕事場から帰れなくなった知人を迎えに行って、帰りは大渋滞に巻き込まれて、6時間以上かけてやっと家まで送り届けた。
知人は、ご両親や、妹さんに必死で連絡をつけようとしていたが、妹さんにやっと連絡がついたのはそれから数日後。妹さんは会社にいて無事だったけど、その日やっと家に辿り着けて、そこで見たのは亡くなっていたご両親の姿、泣きながら電話を入れてきたけど、電話はすぐに切れてしまった。家に行くにも腰以上の泥の中を歩いてたどり着けたような状態だったので、何もできなかったとのことだった。
救援に入ろうにも、道は寸断されているし、ガソリンもない。たどり着けたのはやっと10日も経った頃。
ご両親の遺体は安置所に安置されていたけど、二日後までに荼毘ができない遺体は全て集団で火葬にされるということで、必死になって火葬場探し。
宮城県内は壊れてなくとも燃料がなく、どこの火葬場も仕事をしていない。
知人のつてでやっと山形の尾花沢で荼毘にふせただけでもほんとうに幸運だった。
津波で破壊された家は市の手で取り壊されたけど、そこへ家が立てられるのかどうかは最近になるまで分からなかった。津波で大打撃を受け、スタッフも、お金もなくなった自治体には、国が復興の指針、お金を含めてどれだけ支援してくれるのかの目処が立たなければどうにも動けなかったのだ。その時の首相は、自分の選挙区でも被害にあって復興のめどすら付いていないのが分かっていても、もう終わったなんておっしゃっていたのですけどね。
妹さんの会社、奇跡的に災害から免れたけど、クライアントも下請けもなくなって、今生存しているのが奇跡という状態。
話は変わるけど、311の一年前に別な知人のお母さんが意識をなくされ植物人間状態になられた。一年間は病院で手当てを受けたが、その後回復の目処がないと言うことでこれも311のすぐ後くらいに自宅へ戻された。知人とお姉さんと、意識のないお母さん。なんとか食べていける貯えがあったから幸運だったものの、そうでなければ、今の日本の医療と介護では三人の死者が出ていたところ。そのお母さんが今日お亡くなりになった。
そして、能天気な私の話。
311のすぐ後、発作を起こし、医者には八割がとこ死んでた状態だったよなんて褒められて(?) 安定したから手術ね~って言われたのを「嫌だ」って逃げだしてきた。人工の大動脈に代えたり、血管の補修をしたり、、人工的に手を入れたところって澱が溜まって結局駄目になっちゃうんですよ。そうなった時に人工的に手を入れたところって再度の補修が効かないことが多いのですよね。痛い思いをしても死ぬんなら、自然に死ぬ方が好いや。それに生きられる期間もそんなには違わないでしょうなんて。
今日がその大動脈の検査日。上に行く大動脈は2~3ミリがとこよくなっているみたいだけど、下に行く大動脈は逆に2~3ミリ悪くなっているからって次回も、造影剤を入れたCTって言われたけど、あれ熱くって、どうかすると脳がパンクするような感じで「嫌い」
だから、前回は血が十分に行かなくなってるので腎臓が悪くなってて、下手をすると透析が必要になって来るなんて言われて、造影剤を使う時には前後に点滴をしたんですよね。今回はやんなかったけど腎臓の状態はよくなっているんでしょうねって聞いてやった。
そしたら、「ああ、検査してないや。次回はそれの検査もしましょうね」ってことで、造影剤はなしにしてもらった。ボクちゃんの作戦勝ち~
こんなおいちゃんにくっついてると、おいちゃんが発作で死んじゃったりすると、チビ太も家の中に閉じ込められたまま、あおりをくらって餓死しちゃう。お腹空いて死ぬなんて嫌だから、早く松阪牛を食べさせてくれる飼い主を見つけなきゃ駄目だね~