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私の友人たちの日記に、「一、二、三、四、五」なんてでてきたら、そら、道元さんが出てきたって思われるでしょうね。
僕ちゃん最近親切になってきたので(人間死期が近づくと回りに親切になるのだそうで);
道元さんが中国へ留学していたとき、あるお坊さんに「お経ってなんですか」って聞きました。相手のお坊さんが「一、二、三、四、五」って答えたのだそうです。
つまり、お経(真理)っていうのは一、二、三、四、五って行って十まで、どこにでも、なんにでもあるってこと。真理は探すものではなく、その周りにあるものを確認すること、それが修行だっていうのです。
でも、無知蒙昧な僕ちゃんの日記に「一、二、三、四、五」なんてでてきたら、次は「たくさん」なんですよ。本当に残念なことですけど。指は5本しかない。手は二組? でも、左手の指を広げて、右手の人差し指で数えるので、右手は使えないのです。孫悟空には私のような低レベルの考え方は理解できないでしょうね。
ここんとこ植物の名前がずいぶんと出てくる。
23日のアウティングの時には、聖路加の辺りで看護婦さんはってきょろきょろしていたら、楓(ふう)の街路樹にぶつかった。それがちょっと行くと楓(かえで)のいろんな種類になったりして、それが紅葉していたので余計に目立ったものになっていた。同行者と、楓の話から柘植、犬柘植の話などへとどんどん飛び火していっていた。
土曜日のドライブで箱根でとった写真に関しては、26日の日記にアップしていたけど、そのトップの写真が千本槍、アザミ、タムラソウなどとさまざまな名前が飛び交っていたけど、情報不足で同定不能。
月曜日の知人の日記には柊の話が出ていた。ず~~~~~~っとお茶やお茶花をやられて来た方が、道を歩いていて柊の花と香りに始めて気が付いたって嘆かれていた。12月には柊を必ず使うけど、それは柊黐なんだというような日記だった。
同じ日の私の日記には柊のお茶碗はいつ使うなんて、相手を見て聞いて欲しいなって嘆きがでるようなコメントが来ていた。柊の季語は秋から冬。でもお茶室の入り口を柊と鰯で飾るのは二月の節分だから二月でもいいのではなんて、不確かな返事をしていたけど、こんなのを信じて恥をかかないようにお願いしますよね。
大体、お茶を知らない私にお茶のことを聞くほうがどうかしている。
何を言いたいかって?
つまりですね、僕ちゃんにはバラの花でOKの時に、エリザベスとか、なんじゃもんじゃとか、違いが判ってその上のレベルでの話をする人がこの世にはたくさんいて、僕ちゃんにはその階段をなかなか上れないってこと。
葉っぱがとがっていれば柊南天でも、柊でも、柊黐でも、僕ちゃんには同じ。
ふうでも、かえででも、紅葉でも、あの子の手でも、僕ちゃんには同じ。
一、二、三、四、五で一杯な人には六以上の会話はちょと無理だよね。
だって、僕ちゃんが密かに先生だと思っている人は「名前に何があるの、バラは別な名前で呼ばれても、ちゃんと甘い香りがするのに」なんていっているくらいだから。「バラ」って言われて、「何種のバラ」なんて会話になったら、千本槍、じゃなかった槍振りも間違っちゃうよ。
でも階段を一つ上がるのがお勉強だろうし、お勉強は必要だし、それは楽しいことだけど。人の一生は短い。一人だけじゃなかなか進まない。いろんな人がいろんなことで手を貸してくれて、だから一歩でも、半歩でも前へ進められればいいな。
でもお返しできないのは辛いかな?
今日の日記を書いたの誰?
僕ちゃんじゃないよね。僕ちゃんの背後霊かな?
僕ちゃんの日記ってこんなんだったけ?
僕ちゃん最近親切になってきたので(人間死期が近づくと回りに親切になるのだそうで);
道元さんが中国へ留学していたとき、あるお坊さんに「お経ってなんですか」って聞きました。相手のお坊さんが「一、二、三、四、五」って答えたのだそうです。
つまり、お経(真理)っていうのは一、二、三、四、五って行って十まで、どこにでも、なんにでもあるってこと。真理は探すものではなく、その周りにあるものを確認すること、それが修行だっていうのです。
でも、無知蒙昧な僕ちゃんの日記に「一、二、三、四、五」なんてでてきたら、次は「たくさん」なんですよ。本当に残念なことですけど。指は5本しかない。手は二組? でも、左手の指を広げて、右手の人差し指で数えるので、右手は使えないのです。孫悟空には私のような低レベルの考え方は理解できないでしょうね。
ここんとこ植物の名前がずいぶんと出てくる。
23日のアウティングの時には、聖路加の辺りで看護婦さんはってきょろきょろしていたら、楓(ふう)の街路樹にぶつかった。それがちょっと行くと楓(かえで)のいろんな種類になったりして、それが紅葉していたので余計に目立ったものになっていた。同行者と、楓の話から柘植、犬柘植の話などへとどんどん飛び火していっていた。
土曜日のドライブで箱根でとった写真に関しては、26日の日記にアップしていたけど、そのトップの写真が千本槍、アザミ、タムラソウなどとさまざまな名前が飛び交っていたけど、情報不足で同定不能。
月曜日の知人の日記には柊の話が出ていた。ず~~~~~~っとお茶やお茶花をやられて来た方が、道を歩いていて柊の花と香りに始めて気が付いたって嘆かれていた。12月には柊を必ず使うけど、それは柊黐なんだというような日記だった。
同じ日の私の日記には柊のお茶碗はいつ使うなんて、相手を見て聞いて欲しいなって嘆きがでるようなコメントが来ていた。柊の季語は秋から冬。でもお茶室の入り口を柊と鰯で飾るのは二月の節分だから二月でもいいのではなんて、不確かな返事をしていたけど、こんなのを信じて恥をかかないようにお願いしますよね。
大体、お茶を知らない私にお茶のことを聞くほうがどうかしている。
何を言いたいかって?
つまりですね、僕ちゃんにはバラの花でOKの時に、エリザベスとか、なんじゃもんじゃとか、違いが判ってその上のレベルでの話をする人がこの世にはたくさんいて、僕ちゃんにはその階段をなかなか上れないってこと。
葉っぱがとがっていれば柊南天でも、柊でも、柊黐でも、僕ちゃんには同じ。
ふうでも、かえででも、紅葉でも、あの子の手でも、僕ちゃんには同じ。
一、二、三、四、五で一杯な人には六以上の会話はちょと無理だよね。
だって、僕ちゃんが密かに先生だと思っている人は「名前に何があるの、バラは別な名前で呼ばれても、ちゃんと甘い香りがするのに」なんていっているくらいだから。「バラ」って言われて、「何種のバラ」なんて会話になったら、千本槍、じゃなかった槍振りも間違っちゃうよ。
でも階段を一つ上がるのがお勉強だろうし、お勉強は必要だし、それは楽しいことだけど。人の一生は短い。一人だけじゃなかなか進まない。いろんな人がいろんなことで手を貸してくれて、だから一歩でも、半歩でも前へ進められればいいな。
でもお返しできないのは辛いかな?
今日の日記を書いたの誰?
僕ちゃんじゃないよね。僕ちゃんの背後霊かな?
僕ちゃんの日記ってこんなんだったけ?
ちゃんと、相手の気持を考えているからやるんですよ。
だからはたから見ててもいいなって思えるんです。
本当はね、これまた我儘母さんと言われるけれど、娘たちには、あんまり覗いて欲しくない。
マイミク登録はずして、アクセスブロックしたいくらい。
ほほえましい会話は、生ですればいいんですよ。
あらっ!駄目駄目。こんな所で愚痴ったら。
でも、お子さんたち、コメントに「よしこさん」って書いてませんでしたっけ?
刑事コロンボでしたっけ?
何十年も勤めて、毎日会っている社長が定年になっても自分の名前を覚えていないって言うので殺してしまうのがありましたけど、Mixiだと大慌てで、お子さんのフォローが入るとこですね。
なかなか、覚えられないけれど、でも、知りたい。
私の名前、ネットの中でよしこさんって呼ばれるのが嬉しいから。
ずっと、呼ばれて無かったよ。
兄様の日記とはちょっと違うコメントだけど、ふと、思った。