夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

花無心招蝶 蝶無心尋花

2007年09月25日 14時23分20秒 |  多摩川散歩


「花無心招蝶 蝶無心尋花」
花は蝶を招くために咲いているわけじゃない。ただ無心に咲いているだけ。
その花を蝶はただ無心に求めてくる。
そしてそこにめぐり合いがある。









今日の多摩川の散歩。先日の台風で水をかぶった川原にはもう菊芋や萩が咲き乱れ、花を求めてたくさんの蝶が来ていました。
我々、個にはどんなに逆境、悲劇だったとしても、種として見ると、そんなことはなんの影響もないことなのでしょうか。

サギ 改

2007年09月21日 22時43分45秒 |  写真


これらの写真、岬のPCでアップしました。
今、東京に戻って見てみると、白の色が全くでていません。これじゃ鼠サギ。
がっくりと来ています。
オリジナルのファイルはちゃんと色がでているので、岬のPCのディスプレイが変だったのでしょう。
難しいですね。




またまたサギの写真、ダイサギ(多分)です。
今は若いサギが多いので、チュウサギとの区別が私にはできません。
撮影地はいつものようにいすみ市椎木堰です。





アオサギも入れておきます。


里の秋

2007年09月21日 18時44分13秒 |  気になる詩、言葉
秋、秋と続いていますけど、房総は、戦後大ヒットした童謡、里の秋の作詞者、斎藤信夫が居たところでもあります。
この歌を全部歌える方はいらっしゃいますでしょうか。たぶん3番は歌える方は少ないのではないかと思います。

里の秋
     斎藤信夫 作詞
     海沼実  作曲

静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた

明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す

さよならさよなら 椰子の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ御無事でと
今夜も 母さんと 祈ります

この歌を最初に聞いたときには子供心にも、なぜお父さんが出てこないのだろう。暖かい家庭の夜を歌うのであれば、ちょっとおかしいなって感じましたけど、静かな里の秋の景色だけではなく、南方からの引き上げの船で帰ってくる父を待ちわびている気持ちが、1,2番の歌詞の底にはあったのですね。最初の引き上げ船の帰港にあわせてNHKが放送したものです。
あのころのNHKのラジオでは毎日、引き上げてきた人、戦地へ行って不明になった人たちの消息を問い合わせる時間帯があったことを思い出しました。

この歌の元歌になったものがありました。それは星月夜という題で、第二次大戦に日本が突入したニュースを聞いてかかれたものでした。三番と四番があって次のようになっていました。


きれいなきれいな椰子の島
しっかり護って下さいと
ああ父さんのご武運を
今夜も一人で祈ります

大きく大きくなったなら
兵隊さんだようれしいな
ねえ母さんよ僕だって
必ずお国を護ります


栗の木の下で、暮れなずむ空を見ながら、平和っていいなと今更のように思います。
心の平穏なんて言っていられるのは平和だからですよね。




秋へのインデックス   写真を追加しました

2007年09月21日 12時01分05秒 |  岬な日々


今日も30度を超えるような暑さ。でも日中はうだるような暑さが続いても、朝夕は涼しくなりました。扇風機をかけっぱなしで寝ると風邪を引きそう。なんせボクちゃんはシャネルの5番に極めて近い寝姿でございますから。それをとがめだてする人とてないこの山里の生活は、これからの美しく着飾っていく景色の中では余計に侘しいものになっていくのでしょうか。




通りすがりの車窓から見る野辺の花にも、秋の味覚にも確実に秋は来ています。
そんな岬の風景はお届けしました。

鴫立つ沢の秋の夕暮れ  いすみ市椎木堰

小さな秋


秋の代名詞、萩や竜胆、彼岸花もお届けしました。

わけている 庭しもやがて 野辺なれば

龍膽や月雲海をのぼり来る

曼珠沙華


栗の写真はすでにお届けしましたよね。実は昨日も栗拾い。あっという間に鍋一杯の栗が集まりました。あとは鳥さんや虫さんたちへのご馳走ね。

食欲の秋へ突入  追加あり


柿もすでに色づいています。
梨も早い梨は終わりになり、これから遅いなしが出回ります。
岬では温州みかんがたくさん植えられていますが、これももうすぐですね。



先週は岬から一宮にかけての神社のみこしが一堂に集うお祭り、明後日からは岬から大原にかけての神社のはだか御輿、御輿を担いで大原の海に入る勇壮なお祭りが開かれます。
本来はこの一年の実りを神に感謝する秋祭りだったのでしょうから、新暦に直せばもっと後の時期に行われていたのかもしれませんが、この辺は早場米で有名なところ。田んぼはすでに殆どが刈り取られています。今の時期でもおかしくないのですね。



そんな喧騒の世には背を向け、咲き誇る花々や、化粧を急ぐ陽気な葉っぱ達のおしゃべりには耳も貸さず、生き急ぐ彼女たちを哀しくも、健気と見る私はいったいなんだろうと、、、

知人の猫ちゃんが13歳とのことで、かなり悲観した日記をアップされていました。
これはあまりに自分だけの思い入れなので彼女の日記にはコメントはつけられませんが、終わりがあるから生が大切になる。終わりがあるから、終わりを満足した気持ちで迎えたい、そのための生がある。彼女の猫ちゃん、健康に問題があるのなら別ですけど、そうでなければまだまだ若い。
私の師匠のところの猫は16歳。まだまだ現役で、日々ラットハンターの使命に邁進しています。先日の台風のときにも、風をおして任務に出かけたとのことでした。
庭の中が鼠や、雀の骨だらけだわって師匠が苦笑しておりましたけど、周りには30までは行かなくとも、20歳未満の猫ちゃんがかなりたくさんいるようで、老いらくの恋の話が行き来しているようです。

猫は尻尾が二つになっても生きていけるけど、尻尾のない人間はあまり長居するのも大変です。気を使ってくれる回りに、気を使いながら、錆付いた体を動かして、何のためにこんな無駄な努力をしなければならないのだろう、なんちゃて。

ところで何度も何度もアップしています、紫陽花。この六月の残党がまだがんばっております。
どうせなら、根を出してくれれば、この力強さの遺伝子を後世に伝えていけるのに、ここまでがんばってくれるとは思いもかけませんでしたので、そんな切り方はしていません。絶え行くものを見守るだけとは、ちょっと残念。
せめて、お仲間を添わせて上げましょうか。



月は中秋の名月に向かって日々に明るさを増し、期待を持たせながら少しづつ育ってきています。さて、今ごろはウサギさんは何をしているのでしょう?


曼珠沙華

2007年09月20日 18時13分25秒 |  あなたの鼓動、華
 

曼珠沙華
北原白秋
「思ひ出」


 
GONSHAN. GONSHAN. 何処へゆく。      
赤い御墓の曼珠沙華、
曼珠沙華、
けふも手折りに来たわいな。
                          
GONSHAN. GONSHAN. 何本か。
地には七本、血のやうに、血のやうに、
ちやうど、あの児の年の数。

GONSHAN. GONSHAN. 気をつけな。
ひとつ摘んでも、日は真昼、
日は真昼、
ひとつあとからまたひらく。
                         
GONSHAN. GONSHAN. 何故泣くろ。
何時まで取っても、曼珠沙華、
曼珠沙華、
恐や赤しや、まだ七つ。


公然の秘密と行動、そしてメディアの責任

2007年09月18日 11時49分52秒 |  これがまあつひのすみかか我が日本
グリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長のイラク回線は石油の利権がらみという話は、当時の外務省のスタッフや、退職した高官たちが個人的にということで話してくれた公然の秘密だった。
でもこの「秘密」は一部のメディアにも流れていたことも知っている。
それをあくまで無視して、大量破壊兵器やテロ支援でアメリカに協力しようとした日本政府の決定も、その下にある動機や理由は、「公然の秘密」として一部には語られていたこと。でもそれが表にならないで、虚像だけでの話がまかり通っていることがあまりにも多いのじゃないだろうか。

民主主義の社会には必ずそれを表に出し、国民の前にチェックを掛けるメディアの働きが必要というのが、メディアの活動が法律の下にも守られてきている理由なのだけど、何度も言ってきたことだけど、そのダブルチェックがあまり機能していない。それを歯がゆい思いをしている人もいると思う。




「イラク開戦の動機は石油」=前FRB議長、回顧録で暴露 (時事通信) - goo ニュース