前回はいきなり本の最終章に触れ、これで終わりと思われると困るので、今回は第一章について書く。もう20年近く前のことだが,初めてスペインのバルセロナを訪ねた時のこと。
有名なモンジュイックの丘から市街や地中海を眺めていると、丘の中腹でクレイ射撃をやっている。よく見ると、なんとその標的は生きた鳩であった。広場の真中に鳥かごをおき蓋を開ける。そこから飛びたつ鳩を撃っているのだ。これには驚いた。さすが闘牛の国…などと思いながら何か背筋の寒くなる思いがした。
旅の最終日、最後の思い出にと目抜き通りであるランブラス通りを歩いていると、某放送局のインタービューに引っかかった。何ともスパニッシュというかっこいいおねえさんが「スペインをどう思う。バルセロナはどうか?」と問う。私は数多い思い出の中から「鳩のクレイ射撃」を取り上げ応えた。
「バルセロナは素晴らしい。来年のオリンピックも成功するだろう。ただ、モンジュイックの丘で生きた鳩のクレイ射撃を見たがあれはよくない。あなたの国が生んだ偉大な画家パブロ・ピカソは、平和の象徴としてたくさんの鳩の絵を描いた。これまたあなたの国が生んだ偉大なる音楽家パブロ・カザルスは、各国首脳が打ち並ぶ国連でスペインのカロニアの民謡『鳥の歌』を演奏し平和を訴えた(注)。にもかかわらずあなたの国の国民は、その鳩をゲームの対象としている。それはよくない」
私の話を、最初はニヤニヤしながら聞いていたおねえさんもだんだん顔が引き締まり、聞き終えた後「名だたるインテリの方とお見受けしたが、どのような身分の方か?」と聞いてきた。私は名乗るのはやめて「日本の1ホームメ-カ-の者だ」とだけ告げて立ち去った。
「あのインタビューは放送されただろうか…。しかし放送されたとしても、『全く血を異にする東洋人が、つまらない話をしていた』としか受け取られなかったであろう」
というのが『旅のプラズマ』のむすびであるが、最近、ある人から「首藤さん、今スペインでは生きた鳩のクレイ射撃は中止されているらしいよ。あなたのインタビューが効いたんじゃないの?」と言われた。
まさかそんなことはないと思うが、今は中止されていると聞いてほっとしている。
(注)1971年10月24日、94歳のパブロ・カザルスは国連で
『鳥の歌』を演奏し、「私の生まれ故郷カタロニアでは
鳥たちはピース、ピース(英語の平和)と鳴くのです」
と各国首脳に語りかけた。この話を聞いた私は、この老
チェリストの「お前たちは、まだ殺し合いなどして い
るのか」という魂の叫びを聞く思いがしたのであった。