旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

「日本の心」の歌ーー弘田龍太郎について

2007-01-21 17:53:12 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 「弘田龍太郎って知ってる?」 これが『旅のプラズマ』最終章「波の国から生まれでた調べー弘田龍太郎の里を訪ねて」の書き出しの言葉である。
 実はこの言葉は、妻に問いかけられた問いであったのだが、今、同じ言葉を皆さんに問いかけたい。多くの人が「知らない・・・」と答えるのではなかろうか? しかし、妻に問いかけられたときの私と同じように、「お手てつないで・・・」や「チーチーパッパ・・・」また「叱られて」や「浜千鳥」などの歌を知っているかと問えば、ほとんどの人が「もちろん知っている」と胸を張って答えるのではなかろうか。
 弘田龍太郎はこのような歌を何千曲も残した作曲家である。日本を代表する作曲家となれば山田耕筰、滝廉太郎などがずっと有名であるが、それに負けず龍太郎の歌は一億国民の中に生き続けている。

 今月14日、文化庁などが主催する「親から子、子から孫へ~親子で歌いつごう 日本の歌100選」の選考委員会が、親子で歌うのにふさわしい101曲を発表した(101曲と端数が出たのは、絞りきれなかったためらしい)。
 その101曲の中に龍太郎の曲は4曲(「叱られて」「浜千鳥」「靴が鳴る」「こいのぼり」)入っている。私の調べでは、トップは中山晋平の6曲、2位が龍太郎、岡野貞一(「春が来た」など)、中田喜直(「小さい秋みつけた」など)の4曲で、その次が山田耕筰や滝廉太郎まどの3曲であった。
 私は龍太郎を追い続けてきたが、多くの人が「そんな名前知らない」という度に「やがて龍太郎は消えていくのではないか」という淋しさにかられていた。なんといっても「ヴェートーベンの運命」とか「モーツァルトのフィガロの結婚」とかいうように、作曲家の名前とともに曲が伝えられている音楽の世界のことだから・・・。
 しかし、たとえ名前は消えても、その調べが国民の中で永く歌い継がれることの方がずっとずっと重要なことであると思った。
 『旅のプラズマ』に書いた安芸市にある七つの歌碑は、そのもっとも重要なこと--龍太郎が「日本の心」を描き残そうとしたこと、を伝えているようであった。
 ぜひ読んでくださいね。         


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