今年一年を最も端的に表す文字として「偽」が選ばれたが、それがピッタリであるだけに何とも悲しい。テレビでこの字を書いたお坊さん(清水寺の管主?)が、「このような字が一国の一年を象徴する字として選ばれるなんて、まったくもって情けない」と怒りまくっていたが、日本もひどい国になったものだ。
ホテルやマンションの偽装問題が起こって、住むところが信用できなくなったのでは生きていけるのかなあ、などと思ってきたが、問題はついに日日の食べ物にまで及んできた。自然の動植物を食べて生きていた原始時代は、食べることも自己責任で、ある意味では毎日の食事も命がけであったといえよう。現代では食べ物は大半が加工物で、食べる方は生産者を信じて食べるしかない。そして、生産者は絶対にウソをつかない、というのが社会の掟(おきて)となっていた。お互いに生きるために社会を構成している以上、構成員は、この掟だけは破ってはいけないのだ。
もう一つ社会の構成員がお互いに生きるために守ってきた掟に、人を殺さない、というのがあった。昔からいじめもあり、喧嘩もあり、殴り合いもあった。しかし、相手を殺すとか、生きていけないような不具者にまでする、ということはしないという掟があった。しかしこの掟も最近は簡単に破られるようになった。しかも親が子を殺す、子が親を殺す、また弟子を鍛えると称して死に至らしめる、などいうことが起こってきた。自分ひとりでは未だ生きられない子供は、親に全幅の信頼を寄せ、親だけは自分を守ってくれるという掟の中に身を委ねて生きている。その掟がやぶられるような社会には、発展性どころか永続性もないのではないか?
いつから日本はそんな国になったのだろうか?
社会における最低限の掟だけは守られる国・・・、そこに日本のよさを感じながら生きてきたのであるが、その根底が怪しくなった。しかも、解決策が簡単に見つかりそうもない問題だけに恐ろしい。