旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

歌いつがれた日本の心・美しい言葉④ ・・・ 『花』 

2012-04-04 13:10:16 | 文化(音楽、絵画、映画)

 

 昨日は未だ経験したことのない春の嵐が吹き荒れたが、今日から春の陽気が続くようで、先週末(3月31日)開花した東京の桜は予報通り今週末には満開を迎えそうだ。今冬の寒さはこれまたかつてなく厳しく、「はたして春は来るのか?」と不安な気持ちを抱くほどであったが、季節は必ず巡りくるのだ。
 そして、この季節になると必ず口ずさみたくなる歌が『花』である。冒頭の「春のうららの…」の「うらら」という言葉が、桜の花に向かう長閑(のどか)な気持ちをそのままに表してくれる。滝廉太郎の格調高き曲想で、この歌は長く国民に歌い継がれた。そして今後も、この歌が日本国民の心から消えることはないだろう。
 廉太郎の曲想もさることながら、武島羽衣の作詞になる詩の美しさがたまらない。特に私は二番が好きだ。

  見ずやあけぼの 露あびて
  われにものいう 桜木を
  見ずや夕暮れ 手をのべて
  われさし招く 青柳を 
    
       (ともしび歌集『うたの世界』より)


 今この情景は最早ない。歌詞の一番に出てくる「櫂(かい)をあやつる舟人」や、三番の「錦おりなす長堤」とともに、ここに歌われている情景は既に過去のものとなった。桜木も青柳もあるが、コンクリートで高く打ち固められた長堤の彼方に隔てられ、今や隅田川やそれを渡る舟人と一体となって、「朝露を浴びた桜木がわれに問いかけ、夕べの青柳がわれを差し招く」情景は望み難いだろう。しかしその情景は、『花』を通して永遠に歌いつがれる。
 『花』の完成は明治33(1900)年、武島羽衣は28歳で東京音楽学校(現、芸大)教授、滝廉太郎21歳で同校助教授だったという。廉太郎はその3年後24歳で夭折するが、羽衣は明治43(1910)年から日本女子大学に移り、大正を経て昭和36(1961)年まで教鞭をとり続け、昭和42((1967)年94歳で没したという。二人の若き才能が結合して『花』と花咲き、羽衣はその後夭折した廉太郎の分まで生きたのかもしれない。

    


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