邪悪と善、不正と誠実、禍と福、喜びと悲しみ…、一体世の中には、そのどちらの方が多く営まれているのだろうか? すべてはあざなえる縄のごとしで、双方を絶えず織りなしているのが人の世であろう。
舛添都知事問題がマスコミのトップを独占し続けていたので、世の中には誠実な歩みなどないのではないかと思っていたら、突如として、イチローの爽やかな雄姿が一面を飾った。
日本を代表する首都東京の知事にしては、あまりにもミミッチー、ケチケチ私欲問題にウンザリしていた。違法ではないと知り尽くして、バレてもこの程度の金額なら許してもらえると思って国民の血税を含む政治資金を私生活に使ってきたとしか思えない。しかも、進退窮まっても「リオ・オリンピックで旗を受け取る9月まで見逃してくれ」と議会に懇願するに至った。国民は違法性などというよりも、その品性、品格が知事に適さないと言っているのに、その品性を引っ提げてオリンオイック旗を受け取りに行きたいというのだから話にならない。
舛添都知事の鬱陶しい写真がようやく消えたとき、大記録を打ち立てたイチローの雄姿が紙上を飾った。こちらは、まさに誠実一路、ひたすら身体を鍛え未踏の記録に挑戦し続け、ついにその一つに到達した姿であった。野球選手として求められる走攻守すべてに応えられる身体を磨き続け、到達すべき当然の結果のようにその目標をつかんだ。しかし、イチローにとっては未だ道半ばということだ。
いまさら記録について書くこともない。その偉業をたたえる記事を、保存のためにいくつか載せさせていただく(いずれも毎日新聞より)
私の周辺でも泣き笑いは交叉している。3回目となる目の注射をして、一日4回の目薬消毒など憂鬱な日々を送っている。81歳2か月…、老いの悲しさが身に染みる。
と、そこえ初孫遥人が現れる。こちらは生後1年1か月、私の老いに反比例して見るたびに成長を重ねる。部屋も狭しと這い回っていたが、昨日は、ついに立ち上がり、4、5歩歩いた。まさにあざなえる縄のごとしである。
はえば立て、立てば歩けの親心…