旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

『浜田廣介童話集』を読んで … 人間愛を追求した高い文学性に感動

2016-10-10 13:56:45 | 文化(音楽、絵画、映画)



 なぜこの童話集を読むことになったかといえば、娘が、代表作の一つ「泣いた赤鬼」のオペラ公演にとり組んでいるからだ。この有名な童話については聞いてはいたが深くは知らず、また浜田廣介自体を読んだこともなかったので、娘の部屋から持ち出したのだ。
 ところが、読むうちにグイグイと引き込まれ、結果的には、時を忘れて実に贅沢な読み方をした。つまり、収められた20題を読み終えたのち、末尾の浜田留美氏(廣介の息女)の「編者解説」を読みながら、そこに出てくる題名ごとにページを戻って一つ一つ丹念に読み返した。全20作品を2,3度読み返すこととなったのだ。
 いろいろなジャンルがあるが、その一つに母子(おやこ)の愛をテーマにしたものがある。掲載順に掲げれば、「むく鳥のゆめ」、「よぶこどり」、「アラスカのお母さん」、「町にきたばくの話」、「いもむすめ」などである。そこには、どうしようもなく引き裂かれた母と子の、その母が失った子を慕い続ける、また子が母を求め続ける愛の姿が書き綴られている。
 中でも「むく鳥のゆめ」の、父さん鳥と住むむく鳥の子が、母が帰ってくることを信じ切って夜毎待つすがた、「お母さんはいつ帰ってくるの?」ときかれた父さん鳥の淋しい目つきともども、その仕草のすべてがあまりにも悲しい。また「よぶこどり」は、拾った卵を抱え続け、生まれた雛を自分の子供と信じて育てた栗鼠(りす)が、やがて飛び立った小鳥の帰りを待ち続ける。ついに自ら鳥になって後を追う。その声が森にこだまし続ける姿は,これまた悲しく、切ない。
 前掲「編者解説」によれば、廣介は中学生のころ両親の離婚に遭遇している。引用すると「廣介が米沢中学に入学して寄宿中のある日、帰省したところ、母が弟妹三人を連れていなくなっていた。長男の廣介は残され、父は母に会うことを禁じたのである。廣介は、家では父と二人きりの寂しい暮らしとなった」(211頁)とある。編者も書いている通り、前出の作品群の背景には、このような事情があったのである。
 いずれにせよ『ひろすけ童話』は、単なる童話の域をはるかに超える。人間愛を追求した高い文学性に充ちている。

   


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