このところいろいろな行事が重なった。三浦按針の法要、孫の運動会、「龍力」本田会長を偲ぶ会……。
先ずは、三浦按針の400回忌から。なぜこの法要に参加することになったか? この法要は按針が領主であった横須賀市逸見で行われたが、実は三浦按針ことウィリアム・アダムスは、私のふるさと大分県臼杵市の佐志生という漁村に流れ着いたのである。
時に西暦1600年のこと。爾来、アダムスは徳川家康に抱えられ、三浦半島逸見村の領主となり、合わせて家康の外交顧問として約20年にわたり日本のために働いたのである。臼杵との縁が深いことから、逸見出身の友人が法要に誘ってくれたのである。
まず驚いたことは、この法要が逸見挙げての、いや横須賀市挙げての、大変盛大な行事として行われていたことである。400回忌ともなれば最早お祭りで、出店が打ち続きステージが構えられて、ジャズ演奏家らフラダンスまで行われていた。法要には、徳川本家18代ご夫妻から横須賀市長始め、有力者の参列の下に厳粛に行われていたし、その様相は、ウィリアム・アダムスという青い目の領主が、いかに地元の人々に慕われていたかを示していた。
ウィリアム・アダムスとしては、故国イギリスへの望郷の念断ちがたかったと言われながらも、三浦按針として領民のために残る生涯を投げ打ったのであろう。その生涯を、「家康とアダムス」として大河ドラマ化する運動が起こっている。何とかこれを実現したいものである。
キャラクター人形「按針さま」