旅のプラズマ

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教育者の尊厳を感じた前川喜平氏(元文科省事務次官)の講演

2019-11-15 15:22:08 | 政治経済


 文科省事務次官という官僚の中枢にいながら、官邸、なかでも安倍首相自身の言うことを聞かなかったことから、今や市井講演会の寵児となっている前川喜平氏の話を聞く機会を得た。演題は「個人の尊厳から出発する教育」というものであったが、前半では専ら「安倍忖度(そんたく)政治」と「萩生田みのたけ発言」を中心とした政権批判。これは、さすがに内幕を知り尽くしている人の話だけあって小気味よく、大いに会場を沸かせた。
 しかし、やはり聞かせたのは、日本教育の最高部署を司る文科省事務次官という立場を経た人の、教育論そのものであった。
 氏はまず憲法13条から説き始めた。13条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、(中略)最良の尊重を必要とする」と書かれている。続く14条には「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と記されている。前川氏はまず、この13条、14条に書かれている「国民」こそが教育の対象とされるのだ、という点を強調された。
 それを受けて26条は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする」と定めている。
 つまり国民は、自由権として教育を受ける権利を有し、国家に対しては、社会権として諸施設をふくむ適性な教育を施す義務を負わせているのである。前川氏は、国民の成長、その人格の成長は教育によるのであって、教育こそ国の果たす最大の義務であると強調した。
 私がより驚いたのは、前川氏が、「憲法は『すべての国民は…』と書いてあるが、これは『すべての人は…』とすべきである。日本人であろうが外国人であろうが、日本に住む人はすべて日本の教育を受ける権利があり、国はそれを施す義務がある」と言ったことであった。日本にいる人は、外国人であれ「日本語を学ぶ権利」があり、国はそれを与え、「日本の文化を教育する義務がある」というのである。
 これは相当に広い世界観を必要とする。移民問題などで世界は混とんとしている。これらを含め、「教育」というものをどう考えるかが問われているのではないか?
 テーマは「個人の尊厳から出発する教育」というものであったが、私にとっては、それを語る講師の「たゆまざる尊厳」を感じさせられる講演であった。


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