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軍命を受けて島にやってきた日本軍将校と島の校長先生が,
戦闘基地設営の是非を巡って対立した。
事は軍としての最重要任務であり、
時は戦時中のことである。
安仁屋沖国大名誉教授が、必死になって「合囲地境」という聞きなれない概念を引っ張り出すまでもなく、
軍の命令が通ると考えるのが自然だろう。
だが、実際は校長の反対に遭った将校は、基地を設営することなく島を去った。
軍と島の住民の関係は、「軍命によって我が子や、家族を殺害する」ほど不可避で峻厳なものではなかった。
鴨野記者の関連記事を、世界日報の許可を得て以下に前文引用します。
なお、太字強調は筆者。
真実の攻防 沖縄戦「集団自決」から63年 第3部 <11>
日本軍の要請断る島民
「土民」と書く大江氏こそ蔑視
6月20日、宜野湾市立志真志小学校で、慰霊の日に向けた特設授業で沖縄戦の「集団自決」をテーマにして上演された創作劇=敷田耕造撮影 |
「沖縄守備軍は、県や市町村の所管事項に対しても、指示・命令を出し『軍官民共生共死の一体化』を強制しました。県民の行動は、すべて軍命によって規制され、ここには民政はなかったのです。このような戦場を、軍事用語では『合囲地境』と言います。合囲地境は、敵の合囲(包囲)または攻撃があったとき、警戒すべき区域として『戒厳令』によって区画したところです。(略)
沖縄県知事や市長村長の行政権限が無視され、現地部隊の意のままに処理されたのは、このような事情によるものでした。地域住民への指示・命令は、たとえ市町村の役場職員や地域の指導者が伝えたとしても、すべて『軍命』と受け取られました」
たとえ村長が「もう死ぬしかない」と語ったとしても「軍命」にほかならないというのが、氏の主張だ。沖縄守備軍は、「一木一草トイヘドモ戦力化スベシ」と言って、住民は自分の農地も自由にならなかったと強調する。
大江健三郎氏もまた『沖縄ノート』で沖縄住民について、「あの渡嘉敷島の『土民』のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか、と」などと描写する。
反抗する術(すべ)を知らず、拒否もせず、日本軍の非道なる命令と、当時の教育の犠牲者であった“羊のように従順な沖縄住民”――というのが、安仁屋氏や大江氏がイメージする戦時中の沖縄とりわけ離島の島民像である。だが、これは全く事実に反する。
昭和二十年三月二十二日、軍船舶隊長の大町茂大佐は作戦指揮のため、那覇を出て座間味島に到着。二十四日、阿嘉島に着いたが、予期せぬ米軍の襲撃を浴びる。二十五日夜、大町大佐一行は渡嘉敷島に到着。翌日夜、一行は赤松隊の幹部と、すぐ本島に帰還する方法を協議する。防衛研究所戦史室著『沖縄方面陸軍作戦』では、次のように記されている。
「大町大佐の帰還輸送を特攻艇にするか、漁船にするかが研究されたが漁船が得られず、第三中隊でようやく引き上げた特攻艇二隻によることとなった」
あまり要領を得ないが、曽野綾子著『ある神話の背景』が、分かりやすく書いている。
「大佐の一行は、村民にくり舟を出して貰えないか、という交渉をしに行ったが、拒否されて帰ってきた。こんな危険な時に、軍人ででもなければ《よし行きましょう》という物好きはいる筈がなかった」
大町大佐は、赤松隊長の上官だ。一般住民にはそれこそ、雲の上のような立場の人だ。その者の要望を拒否している。大町大佐や赤松隊長が、村人を脅したり舟を出すよう“強制”したという記録もない。大佐一行は引き下がっているのだ。
また沖縄戦研究家の大城将保氏は嶋津与志のペンネームで書いた『沖縄戦を考える』(平成九年、ひるぎ社)の中で、こう指摘している。
「前島にも赤松隊の将校がやってきて一個小隊の部隊を駐屯させるべく陣地づくりをはじめようとしたことがあった。これに対し、島の指導者である分校長の比嘉義清氏が頑強に反対してとうとう部隊の駐屯を中止させた。そのおかげで前島では渡嘉敷のような悲劇は起こらずに済んだのだ」
この点を自身のブログで指摘した江崎孝氏は、「これまで、住民に対する『軍の命令』は避けることの出来ない絶対的なものとされ、たとえ親兄弟といえども殺傷せねばならぬほど不可避なものと喧伝されてきた。だが、ここに見る前島の比嘉義清分校長の例では駐屯地の構築という、軍としての最重要任務さえ住民によって拒否されているではないか」と述べて、安仁屋氏らの主張に疑問を呈する。
大町大佐一行や、赤松隊の兵士の言動からも明らかなように、彼らは作戦の重要性を振りかざして、住民に無理難題を押し付けてはいなかった。住民もまた自分たちの意思をはっきりと日本軍に伝えている。双方ともに、血の通った人間らしい判断と行動をしたのである。その延長線上に、日本軍の住民に対する自決命令を見いだすことは困難だ。
それとともに「合囲地境」論を唱える安仁屋氏や、「土民」と呼んではばからない大江健三郎氏の言説は、表向き沖縄住民への同情を装いながらも、むしろ住民に対する蔑(さげす)みが潜んでいると言っても過言ではない。
(編集委員・鴨野 守) 08.6.27
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