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古い日本映画を時々見るが、映画の内容や筋書きよりも、制作時の年代を意識して見ると当時の時代の雰囲気が画面から読み取れて興味は尽きない。
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大仏次郎の原作で、成瀬巳喜男監督の『雪崩』は1937年製作というから、日米開戦四年前の映画である。
題名から想像する山岳映画ではなく、戦前の裕福な会社社長の父と長男の価値観の対立を描いた作品だが、映画の冒頭に字幕で、
<人間はしっかりとした大地の上に立っているつもりでも、気づかないうちに、立っている足元が流れていってしまっていることもあり、いつの間にか別の場所に立っていることに気が付かない>、
といった内容のことが書かれていた。
社会意識の変化や、時代の変化に気が付かずに、
自分の考えのみが正しいと発言する人のことだと思った瞬間、
何かの本で読んだ、次の言葉が脳裏に重なった。
「現在の感覚を、過去にそのまま当てはめ、評価を下す史家は、常に歴史を過つ」
そして、昨日のエントリーで同じようなことを書いたことも想いだした。
<現在の感覚で歴史を判断すると大きな過ちに陥る。
同じく現在の言葉の感覚で、先人が使った言葉を安易に批判すると大きな過ちを犯す。
「俺と貴様」の意味が時代と共に変わったように、言葉の意味も時代と共に変わる。>
◇
日本軍を貶めることに必死のあまり、
自分の立っている時代を飛び越えて、
戦前の記録文の中の「言葉狩り」をする人々が、
恣意的表現を極力避けた「軍人の記録文」の、
重箱の隅を突付きまわすような執念にはあきれ返ってしまう。
こんな場所で「国語講座」を開こうとは夢想もしなかったが、
昨日に続いて「国語読解力講座」を開設する。
やれやれ。
昨日も書いたが軍人の記録は漢文調で簡潔を旨とした。
<「もとからその土地に住んでいる人」との表現は「住民」で充分な次第。>
充分と考えるのは現代に住む人の「勝手な感想」。
「配慮」より「正確」を旨とする、記録文では決して充分ではない。
「最近学校や駐在に転勤してきた人、最近移転してきた住民」は、
「もとから住んでいる人」とは言わない。
渡嘉敷島の例でいえば、安里喜順氏は「もとから住んでいる人」ではないが渡嘉敷島の住民だった。(戦後、北中城村に帰郷した)
さらに「土民」と単独で使用する場合と、
名詞+「住民」と、
名詞の形容詞的表現を伴って使用する場合とを、
単純に置き換えて「~で充分」と断定することは出来ない。(「住民」の前の名詞で「住民」を説明している)
日本語の読解力の乏しい方々への、これ以上の「講座」は遠慮させてもらうが、
「軍を貶める」という大目標にとりつかれ、
戦前の文章を曲解し、
「言葉狩り」に走る人々の理解を得るのは、
百年河清を待つようなもの。
期待の一欠けらも持っていない。
彼らは、戦後の価値観の大変動による「雪崩」によって、
立つ位置が戦前とは違う位置にいるのに気が付かないのか、
それとも気が付かぬ振りをしているのか。
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