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流通JAS 認定制度を新設へ
7月20日 5時17分
◇
「りゅうつうじゃす」?
なんじゃい、それ!
「流通JAS」だって?
大きなお世話だ、ほっといてくれ。
食の安全に国が関与するのは当然だが、必要最小限にとどめるべきもの。
コンビにの食品は自分たちの切磋琢磨で進化してきたもの。
流通の際、温度を一定にすると、おいしさを保つことが出来る。
これらはコンビに業界の自助努力の結果普及した流通システムである。
これに「お上」が介入し、温度管理の方法などを審査したうえで「流通JAS」として認定するというのが、
大きなお世話だと言うのだ。
目的は何だ。
結局は、認定すれば認定食品は「おいしい」と言うことでしょう。
そして利権が発生し「オイシイ」話が生まれると言うわけ。
食が「おいしいかどうか」は「食の安全」とは似て非なるもので、
各企業の努力で「ブランド」として作り上げていくもの。
国が「「りゅうつうじゃす」なる国営ブランドを作ってどうするつもりなんだ。
結局そこに利権が発生するのは火を見るより明らか。
何よりも、もっとも「思考の柔軟性」が求められる分野に、偏差値秀才のお役人がついていけるわけも無い。
▽店まで運ぶトラックでの温度管理や、
▽温度が変化しないよう荷下ろしを手際よく行う手順が整備されているかどうか・・・
自分では出来ないので他人に調べてもらう魂胆だろう。
そして認定団体が出来て、天下りが発生。
以前に上手な美容室を、当時の厚生省が「一級、二級・・・」と技術認定する話があったが、これも「美の価値観」は客によって異なり、お役人のしゃしゃり出てくる幕ではないと批判され、とっとと消えてしまった例もある。
◇
昭和25年上映された反戦映画「きけ、わだつみの声」を見た感想で、出演した悪徳戦隊長が、後になって読んだ『鉄の暴風』の「鬼の赤松」とイメージが重なるのと書いた。
著者の太田記者は「きけ、わだつみの声」を見て、『鉄の暴風』の「残虐非道の日本軍」のイメージを膨らまして「鬼の赤松」を書いたのではないかとも書いた。
太田記者は既にお亡くなりになっているので、聞くこともできず単なる筆者の想像の域を出なかったのだが・・・。
以下は、戦争映画に歴史を見る★「暁の脱走」と「きけわだつみのこえ」の再掲ですが、
最後にオチがありますので、最後まで読んでください。
◇
一昨日の日曜日終戦直後の昭和25年製作の戦争映画を見た。
古い映画を見ると物語の内容とは別にその映画が製作された時代の雰囲気が画面に垣間見れて興味深い。
ストーリー展開がスローで現代の感覚でいえば退屈する場面も多いが、テレビのない時代に動く画面を見るだけで映画そのものが面白い時代だったそこは我慢せねばならぬ。
見た映画は池部良、山口淑子主演の「暁の脱走」(1950)で、重要な役割で小沢栄(後に栄太郎)が出演している。
物語は北支派遣の日本軍で副官(小沢)付きの上等兵(池部)が戦地慰問中に戦況悪化で帰国できなくなった歌手山口淑子と恋に陥る。
敵の攻撃で負傷した池部と山口は捕虜となるが何とか脱走に成功する。
ところが上官の小沢が山口に横恋慕して、池部を軍法会議で死刑にするように報告書を捏造する。
それで同僚兵士の援助を受けて池部と山口の二人で部隊を脱走をする。
タイトルにもなっているラストの脱走シーンが見せ場なのだが、砂漠のような平野を必死で逃げる二人を悪鬼の形相の小沢上官が南京城のような城壁の上から逃げる二人を機銃掃射する。
傷を負いながらも何とか逃亡を試みるが結局二人とも射殺される。
ハッピーエンドには終わらないのだが、憎憎しい悪役の小沢隊長が日本軍を象徴しており池部、山口のラブロマンスを中心にした「反戦」が映画のテーマでである。
小沢隊長は映画の中で本人の出ない場面では「けだもの」とか「毛虫のような嫌われ者」と罵倒され、徹底的な悪役に徹していて別の興味を引いた。 何しろ暗闇の物音に懐中電灯を持った小沢隊長が
「誰だ!」と怒鳴って懐中電灯で自分の顔を下から照らすシーンには爆笑した。
フツー、暗闇では物音に向かって電灯を照らすだろう。
怪談話のように闇の中で自分の顔を下から照らした時には、
画面の小沢に向かって、思わず
「稲川淳二かよ!」
と突っ込みを入れてしまった。⇒http://tutinoko.org/blog/?p=759
ちなみに当時(昭和25年製作)の時代を反映して映画は中国兵は非常に紳士的且人道的に描かれており、『鉄の暴風』が描くヒューマニズム溢れる米兵を髣髴させるような描き方をしている。
一方の日本軍は悪役小沢副官が「渡嘉敷島の悪鬼赤松」を連想させるような徹底的な悪役に描かれていて興味深い。
映画制作(昭和25年)の二年前には東条元首相を始めとするA級戦犯の処刑が執行されており、米軍占領下の日本では連合国の一員として東京裁判にも裁く立場で参加した中国には並々ならぬ配慮をしたことが伺える。
池部の恋人役の山口淑子が得意の中国語で中国兵と交わす会話を聞くと当時の中国は現在の中国よりよっぽど民主的で紳士的に描かれており思わず苦笑させられた。
同じ昭和25年に製作の戦争映画「きけ、わだつみのこえ」は「暁の脱走」のような娯楽性は排除し徹底的に「日本軍の悪」の部分に焦点をあてた反戦映画である。
やはり、製作者の脳裏にGHQや中国の視線を感じていることが画面に伺える。
きけ、わだつみのこえ」にも登場する隊長は、空腹でやせ細った部下を尻目に、自分だけたらふく食べて慰安婦を従えて安全な壕に潜んでいる・・・まるで『鉄の暴風』に登場する「悪鬼のような隊長」そのままである。
ちなみに『鉄の暴風』も昭和25年の発刊であり、著者の大田記者が当時の戦争映画を見た可能性は充分あるが(当時沖縄でも上記2映画は上映された)、まさかそのイメージで『鉄の暴風』の「悪鬼のような部隊長」を創作したのでは無いと思うのだが・・・。
映画が作られた当時、日本は敗戦直後の荒廃から立ち直ったばかりで、朝鮮半島では、米ソの冷戦が激しくなっていた。
再び戦争の陰がたち込め、実際に1950年6 月には朝鮮戦争が勃発した。
そうした世相のなかで、『暁の脱走』や『きけわだつみのこえ』といった戦争映画に込められた「反戦」思想が共感を呼んだのだろう。
映画制作の二年後の昭和27年、GHQは日本占領を終結し日本は晴れて独立国家となる。
だが米軍占領下の沖縄は『鉄の暴風』の発刊から27年を経過してやっと悲願の「祖国復帰」を果たすことになる。
◇
太田記者が『鉄の暴風』を執筆するに当たっての史料収集に、活動的に取材活動する新聞記者の様子は感じ取れない。
渡嘉敷島や座間味島への現地取材活動をしていない事実は勿論、自分で証言者を追跡取材することはせずに、
「社」が集めてくれた人々の話を聞いたと言うのが主で、それも発言者の名前を記したメモの類もないという。
太田記者は戦前は新聞記者ではなく、新聞等にエッセイ、詩などを寄稿していたが、昭和24年に発表した『黒ダイヤ』という短編小説で当時の沖縄タイムスの注目を引いた。
そして米民政府の財務課に勤務しているとき、沖縄タイムスの豊平良顕氏にその文才を見込まれスカウトされ、
企画中の『鉄の暴風』の執筆を始めることになる。
そんな新聞記者としては素人同然の太田氏が『鉄の暴風』の執筆という重責を担うことになるのだから、取材相手を記したメモも何も無く、全てが「社」まかせという話も理解できなくもない。
では、交通も通信もままならぬ昭和24年前後の沖縄で、「社」が現在の新聞社のような機動力をもって短期間で「体験者」をかき集めることが出来たのか。
当時の沖縄で、交通・通信等の手段を独占していた米軍の強大な力なくしてこれを実現することは不可能であっただろう。
先日、某大手本屋に『WILL』の入荷確認に行った事を書いた。
その時地元著者による「沖縄戦記」モノをワンコーナーに集積陳列してあることも書いたが、その中に太田良博著『戦争への犯罪』があったので立ち読みしていたら(高かったので)、次のようなくだりに遭遇して驚いてしまった。
<「平和館」のこけら落としに豊平良顕氏と二人招待された。 映画は「きけ、わだつみの声」だったが、豊平氏は「君は、見て帰るように」との言葉を残して先に帰ってしまうが、太田氏は最後まで見た。>(要旨)
何と、当時9歳の筆者が見て感じた『鉄の暴風』の「鬼の赤松」のイメージそのもの戦隊長が出てくる、
「きけ、わだつみの声」を、
太田記者も見ていたのだ!
それも筆者の隣の席で見ていたのでは・・・まさかネ。
【蛇足】
「平和館」とは国際通りの旧国際ショッピングセンター(現在再開発工事中)のあった場所に国際劇場の右隣にあった映画館の名前。
左隣の国際劇場で昭和25年の同じ頃に「暁の脱走」が上映された。
『鉄の暴風』は昭和25年8月15日に初版が発刊されている。
◆きけ、わだつみの声(1995)は織田裕二主演でリメイクされています。
◆昭和25年版:
1950.06.15 日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声 東横
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