狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄タイムスさん!誤報事件の教訓って?

2008-08-09 06:54:34 | ★集団自決

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沖縄タイムス社説(2008年8月7日朝刊)

【河野夫人死去】誤報事件の教訓忘れず


 「遺族の心はくしゃくしゃにした紙を広げたようなもの。いくら伸ばしてもそのシワは消えないんです」
 一九九五年に起きた地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさんから聞いた言葉だ。高橋さんの人生はあの日から一変した。押し寄せるマスコミの、遺族への配慮を欠いた振る舞い、興味本位としか思えない問い掛けに不信を募らせたという。

 今月五日、長野県松本市で河野澄子さんが六十年の生涯を閉じた。地下鉄事件の前年、市内で起きたサリン事件の被害者で、十四年余り意識が戻らぬままだった。

 この事件は私たち報道に携わる者にとって、忘れてはならない教訓を残した。第一通報者である夫の義行さんを容疑者扱いしたことだ。捜査当局から漏れる情報にあまりにも頼り切ったことが原因だった。

 「犯人説」に基づく報道合戦が続き、事件とは関係のない家族のプライバシーまでが取材の対象となった。メディアのこうした過熱ぶりが、「犯人説」を世論にまで押し上げたことは否定できない。

 その間、河野家は澄子さんの看病に追われながらもいわれなき誹謗中傷にさらされた。潔白が証明されたのは一連の事件にオウム真理教(当時)が関与していることが明らかになった一年近くも後のことだ。

 澄子さんの死に接し、われわれはあらためて自問しなければならない。事件から学んだことは何なのか。

 一連の事件を受け、「メディアスクラム(集団的過熱取材)」の防止策、記者研修、第三者による委員会の設置など、新聞、テレビ各社で取り組みは強化されている。

 ただ、これらの対策が第二、第三の松本事件防止につながっているとは必ずしもいえない。

 秋田県内で起きた男児殺害事件の際の過熱取材ぶりは記憶に新しい。鹿児島県志布志市であった公選法違反事件では、捜査の過程でメディア側が当事者たちへの細かな取材を重ねていれば、権力の暴走は防げたかもしれない。

 権力を監視することは新聞の使命だ。他社との競争を優先するあまり、逆に監視すべき相手と一体化すれば本来の役割を放棄したことになる。

 時に遠回りであっても事実の確認、裏付け取材の積み重ねが最も重要なことだ。専門家や外部の意見も積極的に取り入れなければならない。

 義行さんは最近のインタビューで指摘している。「(メディアは)変わりようがない。事実検証する時間もマンパワーもない」。一方で、「個人が権力につぶされそうになったとき、対抗できるのは世論を形成できるメディア。役割は大きい」とメディアの可能性にも言及した。

 「今日は彼女が自由になった日。わが家にとって事件が終わる日になる」。愛妻の訃報に接し、記者たちにこう語った彼の言葉を私たちはしっかりと肝に銘じたい。事件を風化させないための努力を日一日と重ねていくことが、国民の信頼を得る近道になると考える。

 
                                           ◇

この事件は私たち報道に携わる者にとって、忘れてはならない教訓を残した。第一通報者である夫の義行さんを容疑者扱いしたことだ。捜査当局から漏れる情報にあまりにも頼り切ったことが原因だった。

「犯人説」に基づく報道合戦が続き、事件とは関係のない家族のプライバシーまでが取材の対象となった。メディアのこうした過熱ぶりが、「犯人説」を世論にまで押し上げたことは否定できない。

 

いかにも自社を含む過去のマスコミの歪曲報道を反省・自省しているような書きぶりだが、沖縄タイムスの日頃の報道には反省のひとかけらも見出すことは困難だ。

何しろ、沖縄タイムスは、半世紀以上も前に出版した『鉄の暴風』で、

生きている人間のことを、

《隊長梅澤のごときは,のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した。》

と真に侮蔑的記述で抹殺しておきながら、

改訂版ではそっとその部分を削除し,本人に対してひとことの謝罪もなくい。

それどころか、杜撰な取材と記述は棚にあげて、現在でも集団自決は軍の命令(最近は強制といっているが)と強弁し、梅澤氏の人間としての尊厳を抹殺し続けている恥知らずな新聞なのである。

こんな沖縄タイムスに、メディアとしての反省が何処に見出せるか。

昨年来の誤報・捏造報道は枚挙に暇がないが、今年起きた沖縄タイムスの「捏造報道」と「歴史の捏造」を、

偶然これに巻き込まれた藤岡信勝拓大教授の「アイデンテティ」掲載の実体験論文を例に挙げて紹介したい。

同論文はご本人の了解の下に全文引用いたします。


 【アイデンティティ】掲載論文


座間味島民を指そうし歴史を偽造する沖縄タイムス
   ー体験的沖縄メディア論ー
新しい歴史教科書をつくる会会長 藤岡信勝

 *「そう」は口へんに「族」。

  沖縄のメディアが極度に偏向していることはつとに知られている。沖縄タイムスと琉球新報の二つの新聞が地元の情報を独占し、両紙が偏向の度合いを競っている。昨年は沖縄戦集団自決をめぐり一大騒動を起こすことに成功し、高校日本史の教科書の、日本軍の「強制」記述を復活させた。沖縄左翼の大勝利であるかに見える。しかし、その論調は虚偽の上に成り立っている脆弱なものに過ぎない。
 私は、従軍慰安婦強制連行説と十年あまり闘ってきた。初めは日本人の多くが強制連行説に洗脳されていた。左翼の圧勝といえる状況だった。しかし、訴え続けていれば、最後に勝つのは真実である。十年後、中学校歴史教科書から「従軍慰安婦」記述は一掃されたのでる。この時の経験から、今回の集団自決教科書検定問題でも、左翼は一見勝ったように見えるが、最終的に勝つのは真実の側であると考えている。だから私は、「これは実は、沖縄左翼の終わりの始まり」であると語ってきた。この一月、そのことをさらに実感する機会に恵まれたで、その顛末を報告したい。私の体験的沖縄メディア論である。
  一月二十四日、新しい歴史教科書をつくる会沖縄支部の主催で、「沖縄戦『集団自決』と教科書検定」と題して講演した。資料を六十部用意したのだが、倍の人数が集まり、地元の新聞、テレビも取材に来た。翌日の琉球新報は「集団自決は尊厳死の一つ」という見出しで私の主張のポイントを書き、客観的に報道した。
他方、沖縄タイムスは無視を決め込んだ。私が講演の中で、『鉄の暴風』は「デマの暴風」だ、沖縄タイムスは同書を絶版にせよ、と語ったので書くわけにはいかなかったのだろうか。
 翌日、二十五日から三日間、日本エアービジョンという旅行会社が主催する「封印されてきた沖縄集団自決の真実」という団体ツアーに参加した。参加メンバーは三十八人。座間味島と渡嘉敷島を駆け足で回る旅だ。二十五日午後三時に那覇の泊港から高速艇に乗って、四時十分に座間味港に着いた。桟橋を渡り切った所で、二人の島民が私に近づき、「藤岡さんですね」と聞く。「はい、そうです」と答えると、それぞれ手に持った紙を私に手渡した。
 一人の男が「座間味島の集団自決についてちゃんと事実を調べて発言して下さい」と言った。私は、「そのようにします」と答えた。この人は宮里芳和さんで、居酒屋を開く傍ら、村の観光課に嘱託で勤務し、観光案内などをしている。琉球新報の通信員もしている。記念写真を撮りましょうと誘うと応じてカメラに収まった。もう一人の中村毅さんは写真に写るのは拒否した。
  ところで、宮里さんらが私に文書を渡すところを横合いからちゃっかり写真に撮っていた人物がいる。見ると、沖縄タイムスの吉田啓という記者だ。教科書検定問題で時々私の携帯に電話を掛けて来た人物で、前日の講演会にも参加していた。私達の乗った高速艇に密かに乗船して、真っ先に降り、シャッターチャンスを狙っていたのだ。私は総てを瞬時に了解した。これは沖縄タイムスが仕組んだ芝居だった。
 中村さんが私に渡したA4一枚の文書の末尾は、「座間味村民は、あなたがたを歓迎しません!!」と結んであった。この人がなぜ座間味村民を代表できるのかわからないが、これを見てツアーの参加者の一人新潟県柏崎市議の三井田孝欧さんが早速村役場に電話した。機敏な反応だ。「村は観光客を歓迎しないんですか」と抗議したからたまらない。観光課から女子職員が私達が宿泊するホテルに謝りに来た。観光客が来なくなったら村はお手あげなのだ。
  ホテルのすぐ隣が宮里さんが経営する居酒屋だった。その日の夜、十数人で表敬訪問することにした。宮里さんの還暦祝いと称して大いに盛り上がった。宮里さんは昭和二十三年生まれだから、戦争は知らない。「軍の命令があったかどうかはわからない」と、彼はしきりに弁解した。本当のことはこれから調べなければならないと言う。その通だ。実際、彼が渡してくれた6枚の文書は、調査にも役立った。今後とも事実を明らかにするよう、お互いがんばろうと確認してお開きとなった。
  ところで、この宮里さんとの酒宴の場で私は、「どうして私達が四時十分着の高速艇で島に着くことが分かったのですか」と質問した。宮里さんがちょっと口ごもったので、「吉田(啓)さんからの連絡ですか?」と水を向けると、「いや、謝花さんから電話があった」と答えた。
 謝花(じゃはな)直美。沖縄タイムスの編集委員であり、集団自決教科書検定騒動の世論工作の中心人物である。同紙に署名原稿も沢山書いている。反日感情むき出しの猛烈な女性であると聞いている。最近、岩波新書で『証言 沖縄「集団自決」ー慶良間諸島で何が起きたか』という本を出した。彼女がこの仕掛けの指揮を執っていた。宮里さんは琉球新報の駐在員であるだけでなく、沖縄タイムスのひももついていたのだ
  十時ころホテルに戻って携帯電話をチェックすると、吉田記者から四件も留守電が入っていた。こちらから電話すると、「村民が港で申し入れをしたのを取材しました」と言う。なぜわざわざそんなことを断るのか、私はすぐにわかった。埠頭で吉田記者が勝手に写真を撮るのを、ツアーのメンバーでチャンネル桜のキャスターをしている井上和彦さんがとがめて口論となった。吉田氏は「逃げるわけではない」と弁解しつつ、あわてて高速艇の帰りの便に乗り込んで行った。あとで、無断で写真を撮ったとねじ込まれるのを恐れて、私に了解を求めようとしていたのだ。私は「記事にするのは構わないが、覚悟をして書きなさい」と答えた。
 果たせるかな、翌日の沖縄タイムス朝刊に〈藤岡氏の訪問に座間味村民抗議/「軍命・強制は事実」〉という見出しの記事が載った。写真はなかった。よほど井上氏の抗議が利いたものとみえる。ちょっと長いが、興味深い記事なので、以下に全文を引用する。
 《沖縄戦時、慶良間諸島で起きた「集団自決(強制集団死)について、「日本軍による命令・強制はなく、米軍の猛爆で追い詰められた住民の尊厳死だった」などと主張する「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝会長らが二十五日、座間味村を訪れた。反発する村民が抗議文を手渡した。藤岡氏らは二泊三日で、座間味、渡嘉敷両島を訪れる予定だという。
 村民は、抗議文で体験者の証言や村史の記述を引用して、「集団自決」への日本軍の命令や強制があったことを示し、「(座間味島・海上挺進第一戦隊の元隊長の)梅澤裕氏を絶対に許さない」「座間味村民はあなた方を歓迎しません」と伝えた。
 抗議した宮里芳和さんは「私は二十年以上、体験者から聞き取り調査をしたが、『集団自決』に軍命、強制があったことは間違いない事実だ」と話した。》
  沖縄タイムスは、本人が言ってもいないことを勝手に書くことができるのである。現在進行形の歴史の偽造である。
 翌日二十六日の朝から、一行はホテルのミニバスで島内の集団自決に関わりのある施設や壕の跡地を回った。忠魂碑からの帰り道、学校の校舎の陰に潜んでいる若い学生風の男を見かけた。沖縄タイムスの記者に違いない。私達を尾行していたのだ。他にも一人、島内で同じ風体の人物に出会った。私達が何処に行き、誰と会ったかを監視しているのである。謝花氏に克明な報告が行っているのだろう。
 正午近く、二本松と呼ばれるところを訪れた。ここは日本軍守備隊が米軍陣地に対し決死の切り込みを敢行して玉砕した記念碑「昭和白鯱隊之碑」のあるところだ。浄水場の施設のそばでバスを留め、急な坂道を徒歩で百メートルほど下りて左手に入ったところに碑はあった。その碑の隣の玉砕した挺身隊の一人田村邦夫少尉の墓を掃除していた年配のご夫婦に出逢った。集団自決をよく知っている村人であることがわかり、林の中で即席のインタビューが始まった。
 その方は宮平秀幸さんで、当時十五歳の防衛隊員だった。本部壕で梅澤隊長の伝令役をつとめていた。奇しくも座間味の証言者だった宮城初枝さんの実弟にあたる。昭和二十年三月二十五日の夜、村の幹部が自決用の弾薬を求めに本部の壕に来た。宮平さんは梅澤隊長の2メートルそばでその一部始終を聞いていた。梅澤隊長は弾薬の提供を断っただけでく、村人に自決するなと言い、忠魂碑前に自決のために集まっていた村人を解散させるよう「命令」していた。「隊長が止め
なかったから自決が起こった」という大江健三郎氏等の主張を根底から覆す新証言だ。この新証言は二月十六日にチャンネル桜で放映され、二十三日付産経新聞が独自取材でスクープし、雑誌『正論』に私が、『諸君!』に世界日報の鴨野守さんが詳細なレポートを書いたので参照していただきたい。
 昨年十一月三十日、私は県庁で記者会見を行った。真っ先に聞かれたのは、「今回、慶良間に行くのか」という質問だった。行くなら同行取材をさせてもらいたいという。「行く予定はない」と言うとほっとした顔をする。
 なぜ沖縄タイムスなどは我々の動向に執拗にこだわるのか。彼等こそが隊長命令がなかったことを知り抜いているからである。私たちがしかるべき証言者に会うのではないかと気が気でないのだ。彼等が「同行取材」を求めるのは島民の証言者に圧力を加えるためである。それにもかかわらず、私達は偶然にも決定的な証言者に出会ってしまった。しかも、坂の下の現場まで記者は尾行することは出来なかった。宮平さんとの会見場は、いわば「開かれた密室」だった。
  宮平さんは、昨年の教科書騒ぎで嘘が歴史になることに危機感を抱き、誰かまともに取材に来てくれるのを心待ちにしていた。「これも、ここで玉砕した英霊の導きだ」と宮平さんは思わず洩らした。このようにして、「沖縄左翼の終わりの始まり」はすでに始動したのである。(強調部分は引用者)

 

 

【おまけ】

《「祖国愛と人間の尊厳のためには屈しなかった巨人」。そんな彼の名前を知ったのは高校時代だった。四日に89歳で死去したロシアのノーベル賞作家、ソルジェニーツィン氏のことだ。》・・・だって。

大弦小弦(8/7)

君が代斉唱や、日の丸掲揚はいうに及ばず、

「祖国愛」なんて言葉をウチナンチュが使ったら、

沖縄タイムスは徹底的に批判するだろうに・・・

ロシア人が使うのは許されるんだ。(笑)

これも「祖国愛」の一種なのでしょうね。

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