狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

米海兵隊が懸念!普天基地の鉄塔

2008-08-15 07:28:08 | 未分類

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米海兵隊が懸念表明 普天間民間鉄塔(2008.8.14)
 米軍普天間飛行場外の南側滑走路延長上で、沖縄防衛局が所有者に撤去を求めている宜野湾市大謝名の民間の鉄塔(建物含め高さ約40メートル)について在沖米海兵隊がことし8月、防衛局に対して「鉄塔は航行の安全性にとって潜在的懸念で、安全対策を迅速かつ着実に実施すること」を求めていたことが分かった。防衛局が琉球新報の取材に対して明らかにした。
 
米軍側が基地外の開発行為にまで公式に意見をするのは異例。
 米側が現在の普天間飛行場の危険性を認識していることの裏返しとも言えそうだ。
 米軍施設の飛行場周辺の建物などの建設をめぐり、
防衛局は日米地位協定の実施に伴う航空法の特例法で、高さ規制などの制限適用が除外されているとして「法制度上は米軍飛行場周辺では、高さ規制を超える建物などを建設することは可能」と説明した。
 その上で「航空機の安全確保、ひいては周辺住民の安全確保のため、航空の障害となる物件の所有者と個別に交渉し、同意を得て障害物件の除去に努めている」としている。
 具体的な取り組みについては
1988年1月、那覇防衛施設局長(当時)から県土木建築部長と宜野湾市長に対し、建築確認申請者らへの周知徹底を文書で協力要請したという。
 防衛局は大謝名の鉄塔について、建設前の2006年ごろから建設中止を要請していたと明らかにした。完成後も撤去に向けた調整を進め、08年2月に所有者から撤去の同意を受けたと説明した。
(滝本匠)

                                              

住宅密集地に隣接する「普天間基地」が危険であるという認識にに異論を唱えるものない。

これは当日記でも再三述べてきたし、あの何にでも、行け行けドンドンのラムヅフェルドでさえもその危険性は認めている。

⇒ 金口木舌 本土復帰記念日の15日、4回目の普天間基地包囲行動が行われ...

口では危険だと言いながら、意外とその危険性を認識していないのは「基地外の人々」ではないのか。

>米側が現在の普天間飛行場の危険性を認識していることの裏返しとも言えそうだ。

今頃こんなトボケタことを書く新聞があるくらいだから、脳テンキな宜野湾市は、日頃の危険発言とは裏腹に、危険に輪をかける高架鉄塔や煙突を作るのも平気で許可しているではないか。

こんなことをしていたのに。

1988年1月、那覇防衛施設局長(当時)から県土木建築部長と宜野湾市長に対し、建築確認申請者らへの周知徹底を文書で協力要請したという。
 防衛局は大謝名の鉄塔について、建設前の2006年ごろから建設中止を要請していたと明らかにした。

 

危険危険と大騒ぎしながら、やっていることには危険意識のひとかけらもない。⇒沖縄防衛局、煙突に着色要請 倉浜衛生施設組合(2008.8.13)

 

今朝のテーマとは直接関係ないが、左翼勢力の大好きな

「軍は住民を守らない」というスローガンを思い出す。

昭和19年夏、サイパン陥落の知らせを受けて、沖縄での地上戦を予測した軍は県民の県外疎開に尽力するが、県外疎開を拒んだのは実はマスコミに煽られた県民側であったという。

軍から県外疎開の協力を要請された荒井退造警察部長が、島田知事と県民説得に苦労したと、荒井部長の長男紀雄氏が著した『戦そ世の県庁』に記録されている。

昔も今も同じだが、県民の危機意識不足は、実はマスコミの責任ではなかったのか。

県庁壕から形見の碁石 沖縄戦中の荒井警察部長遺品 カメラ 2008年1月13日

 

万年筆県に寄贈へ 那覇市真地の「県庁壕」で発見(2008.7.27)

 

「おまけ」

ついでにもう一つ脱線すると、教員というと軍国主義とは対極の位置にいるものと考えるが、戦前の教員は「師範学校タイプ」といわれる「軍人より軍人らしい教員」が多くいて、民間人を扇動していたことも歴史の事実である。

戦後日本を占領したGHQが日本軍国主義の解体を目指して、真っ先に解体命令を出したのが全国にあった師範学校であったというから、沖縄においても戦時中の「師範学校出」の凄まじさは推して知るべしである。

沖縄師範印鑑 熊大で発見

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