狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

布令と二ミッツ布告の呪縛 沖縄タイムスのねじれた思い

2008-08-19 08:44:02 | 未分類

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昭和20年3月26日、米軍が「ニミッツ布告」を公布。

その日は沖縄戦にとって象徴的な日であった。 

米軍の沖縄上陸は、公式には翌月の4月1日となっており、戦後の米軍占領時代には4月1日は記念日として公休日になっていたが、米軍が座間味島をはじめとする慶良間諸島に上陸したのはその6日前の3月26日である。

そして米軍の上陸を開始で、逃げ場を失いパニック状態に陥った座間味島の住民172人がその日の未明に集団自決をしている。  
  

その日の米軍の動きは実にあわただしい。
  
先ず米合同遠征部隊第51機動部隊司令官ターナー海軍中将が、南西諸島海軍軍政府首席軍政官に任命されている。

そして米第77歩兵師団により慶良間諸島に最初の軍政府(陸・海合同)が設置された。
  
3月26日に慶良間諸島に上陸したアメリカ軍は、チェスター・ニミッツアメリカ海軍元帥の名で米国海軍軍政府布告第一号(いわゆるニミッツ布告)を公布した。

この「ニミッツ布告第一号」は沖縄に於ける日本政府の全ての統治権の行使を停止し、その居住民に関するすべての政治及び管轄権並びに最高行政責任が、占領軍司令官兼軍政府総長、米国海軍元帥であるニミッツの権能に帰属すると宣言するものであった。

米軍のこの措置は、国際法上疑問に思うのだが、日米両国がまだ交戦中であるにも関わらず、ニミッツ元帥は、軍政府の根拠となる《海軍軍政府布告第1号》(ニミッツ布告)の公布により、慶良間諸島における日本政府のすべての統治権を勝手に停止したことになる。 

米軍のこのやり方は沖縄が日本の一県であるという事実を無視して、フィリピンやサイパンと同じく日本軍の占領地域としての扱いで、沖縄住民を終戦を待たず「解放し」、“準アメリカ人”として米軍政府の施政権下に置いたことになる。
 
米軍は沖縄攻撃の前から、沖縄は日本軍に侵略された植民地であり、米軍は沖縄を日本から解放するためやってきた解放軍であるという姿勢を一貫して取り続けていた。 

これは「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(“War Guilt Information Program”、略称“WGIP”)」の一環であるといわれ、沖縄人を日本帝国主義に侵略された被害者と位置づけし、対する日本軍は「極悪非道」であるというイメージはここに端を発していると思われる

■スパイ容疑を生んだニミッツ布告■

 ニミッツ布告は以後沖縄の憲法のような存在となり、占領下の沖縄住民の言動を規制し、その影響は後に問題になる『鉄の暴風』(昭和25年刊)にも大きな影を落としている。    

 この布告のため、米軍の指令を受け住民が、山中や壕に隠れている日本兵や住民に投降を勧告し、そのためスパイ容疑で処刑されるといった悲劇を生んでいる。 

 交戦中の敵国の住民を、その国の統治権を停止すると宣言し、以後は自国(米国)の住民として行動するように指示するこの布告に、事情(ハーグ陸戦条約等の国際法)を知らない島民たちは翻弄されることになる。

米軍側の記録によると、翌4月の初旬には、比較的戦火の被害の少なかった沖縄本島の北部地域では民間人による米兵相手の慰安所が営業を開始している。 

捕虜になった住民が、食料を対価に「軍作業」を手伝わせたり、投降勧告の使者にさせられたのは、明らかに、沖縄県民を日本国民とは看做していない措置であり、ハーグ陸戦条約等の国際法に違反していると考えられる。

 このような米軍の国際法違反がなければ「スパイ容疑」による住民処刑の悲劇はもっと少なかったと思われる。

特にニミッツ布告(1945年)の次の条項は、投降した住民を“準米国民”と規定し、日本軍に「敵のスパイ」と疑惑を持たす行為を強いることになった。

三 各居住民は、本官又は部下指揮官の公布するすべての命令を敏速に遵守し、本官下の米国軍に対して敵対行動又は何事を問わず日本軍に有利な援助をせず、且つ不穏行為又はその程度如何を問わず治安に妨害を及ぼす行動に出てはならない。

六 本官または本官の命令によって解除された者を除く全ての官庁、市庁、及び町村又は他の公共事業関係者並びに雇用人は本官又は特定された米国軍士官の命令の下にその職務に従事しなければならない。


ニミッツ布告は沖縄を日本から分断し永久占有する目的で発せられたが、結果的に戦時国際法の混乱に住民を巻き込む原因となり、更に米軍が意図した「悪逆非道の日本軍」のイメージ作りにも大きく寄与することになる。

5年後に「日本軍の悪行」を糾弾するため発刊されることになる『鉄の暴風』も、このニミッツ布告の呪縛の下に書かれた事が、多くの史料によって明らかにされている。

                                              ◆

沖縄タイムス 「ニュース あんやたん」8月18日

米民生府が布令116号(琉球人被雇用者に対する労働基準及び労働関係令」を公布

1953(昭和28年)年、琉球立法院による労働三法制定に対し、米民生府が三法の公布直前に布令116号を発布。基地関連の事務所に雇用されている労働者には、立法院が制定した労働法は適用されないとされた。さらに55年3月には労働組合の結成も米民生府の許可制になるなど、労働運動は大きく制限された。 

           ◇

占領者たるアメリカに対する沖縄タイムスの複雑な思いは、昭和20年3月26日の米軍の慶良間諸島上陸以来、ねじれた形で現在まで続いている。

米軍の慶良間上陸と同時に米軍は沖縄統治の為の軍政府を設立し、そして「ニミッツ布告」発布でその法的根拠とした。

以後、「ニミッツ布告」は「布令」という形で沖縄人の上に大きくのしかかっていく。

民主主義の理解者と思われてアメリカが、

実は「布令」という超法規で沖縄に君臨する独裁的権力者である、という本性を露にしたのが上記記事である。

同記事は、その三年前の、『鉄の暴風』で「解放者アメリカ」を高らかに謳いあげ、「悪逆非道の侵略者日本軍」を糾弾した沖縄タイムスの一方的「民主アメリカ幻想」が、

もろくも崩れ去った瞬間を回想する皮肉な記事でもある。

それ以後「布令」という言葉は、米軍占領下の生活を経験した者にとって、

「対米従属」という自嘲的響きを持つ言葉として記憶に留められることになる。

「布令弁護士」とか「布令大学」とか。

そういえば沖縄タイムスも「布令新聞」だったっけ。

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