狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

続・MMTの弱点?、「財政民主主義」、「民間の貯蓄不足を招き 金利を高騰させる」は本当か?

2021-11-06 13:59:46 | 経済

 

狼魔人日記

⇒最初にクリックお願いします

 

MMTの弱点?、「財政民主主義」、財政赤字容認の「現代貨幣理論」を“主流派”がムキになって叩く理由 の続編です。

 

 

「民間の貯蓄不足を招き金利を高騰させる」は本当か?

「財政赤字の拡大は民間貯蓄の不足を招き、金利を高騰させる」という批判(2)は、先ほどの批判(1)とは違って、完全に「事実」に反する。

 まず、基本的な事実確認から始めよう。

 

 一般に、銀行は、個人や企業から預金を集めてきて、それを貸し出すと思われている。しかし、それは「誤解」である。

 実は、銀行は、集めた預金を貸し出すのではない。その反対に、銀行の貸し出しによって預金が創造されるのである。

「預金⇒貸し出し」ではない。「貸し出し⇒預金」なのだ。これが、いわゆる「信用創造」である。

 これは、MMT固有の理論ではない。銀行の実務における「事実」にすぎない。

 余談だが、この「事実」は、最近でも例えば、参議院決算委員会(2019年4月4日)の質疑で、西田昌司参議院議員が黒田日銀総裁に確認している。ちなみに、黒田総裁はMMTには否定的である。(※【おまけ】参照)

 西田委員「銀行は信用創造で10億でも100億でもお金を創り出せる。借り入れが増えれば預金も増える。これが現実。どうですか、日銀総裁」

 黒田総裁「銀行が与信行動をすることで預金が生まれることはご指摘の通りです」

政府の赤字財政支出が
民間貯蓄を増やす

 貸し出しが預金を創造するというのは、政府に対する貸し出しにおいても、同様である。

 すなわち、政府の赤字財政支出(国債発行)は、民間貯蓄(預金)によって賄われているのではない。その反対に、政府の赤字財政支出が、民間貯蓄(預金)を増やすのである。

 ただし、政府は民間銀行に口座を開設しておらず、中央銀行にのみ口座を開設している。

 それゆえ、実際のオペレーションは、図1の通りとなる。

オペレーションの流れ
拡大画像表示
 
 

 この図1からも明らかなように、民間銀行は、個人や企業が預け入れた預金をもとに、新規発行国債を購入するわけではない。

 中央銀行から供給された準備預金(日銀当座預金)を通じて、購入するのだ【1】。その上で、政府が財政支出を行うと【2】、それと同額だけ民間貯蓄が増える【4】。

 

 

 このように、政府の財政赤字は、民間貯蓄の制約を受けていない。その逆に、赤字財政支出が民間貯蓄を増やしているのだ。

 しかも、この【1】から【5】までのプロセスは、永続し得る。

 

 そして、このプロセスにおいては、民間銀行の準備預金に変動はない【5】。したがって、赤字財政支出それ自体が、国債金利を上昇させるということもない。

 それどころか、銀行が保有する国債を日銀が購入すれば、国債金利を下げることすらできるのだ。

 このオペレーションもまた、何もMMTに固有の理論や提案ではなく、普通に行われている「事実」にすぎない。

 この「事実」を裏付けるように、過去20年間、日本では、政府債務残高が著しく増大する中で、国債金利は世界最低水準で推移し、上昇する気配はほとんどない(図2)。

 
 

超インフレ、金利高騰は起きず
主流派経済学の「権威」脅かす

 このように、MMTは、実は、特殊な理論やイデオロギーではなく、誰でも受け入れ可能な単なる「事実」を指摘しているのにすぎないのである。

 だが、その「事実」こそが、主流派経済学者や政策当局にとっては、この上なく、不都合なのだ。

 例えば、インフレが行き過ぎない限り、財政赤字の拡大は心配ない」というのが「事実」ならば、これまで、主流派経済学者や政策当局は、なぜインフレでもないのに財政支出の拡大に反対してきたのだろうか

 防災対策や貧困対策、少子高齢化対策、地方活性化、教育、環境対策など、国民が必要とする財政支出はいくらでもあった。にもかかわらず、主流派経済学者や政策当局は、財政問題を理由に、そうした財政支出を渋り、国民に忍耐と困苦を強いてきたのである。

 それなのに、今さら「インフレが行き過ぎない限り、財政赤字の拡大は心配ない」という「事実」を認めることなど、とてもできないということだろう。

 さらに、「財政赤字は民間貯蓄で賄われているのではない」という「事実」を知らなかったというのであれば、「貸し出しが預金を創造する」という信用創造の基本すら分かっていなかったことがバレてしまう。

 主流派経済学者や政策当局にとって、これほど不都合なこともない。彼らのメンツに関わる深刻な事態である。

 というわけで、主流派経済学者や政策当局が、よってたかってMMTをムキになって叩いている理由が、これで明らかになっただろう。

 その昔、ガリレオが宗教裁判にかけられたのは、彼が実証した地動説が教会の権威を揺るがしたからである。

 それと同じように、MMTが攻撃にさらされているのは、MMTが示した「事実」が主流派経済学者や政策当局の権威を脅かしているからなのだ。

(評論家 中野剛志)

 

 【おまけ】

西田「財政問題で言われているのですが、財務省が言っている財政の問題は、基本的に事実認定が異なっているんです。そこで今日はそこを明らかにしたいと思うのですが(中略)銀行はですね、皆さんから集めたおカネを出しているわけじゃないんですね。ここに信用創造というのが出てきます。
 サラ金と民間銀行、同じように借りているように見えますけれども、仕組みが違うんですが、そこのところ副総裁、説明して頂けますか?」

雨宮日銀副総裁「(前略)決済性預金口座というものを提供している銀行だけがですね、その与信行動により、自ら貸し出しと預金を同時に作り出すことができるのであります。
 わたくしがノンバンクに行きカネを借りるときには、ノンバンクはどちらかで調達して、そのカネをわたくしに貸してくれるわけでございますが、銀行はわたくしにカネを貸すときには、銀行口座に記帳する、と、そして後から預金が発生するという格好になります。これを信用創造と言っているわけであります。(後略)」

西田「中央銀行に決済口座を持っていると、信用創造ができるというわけでありますが、それで、国債の新規発行もですね、実は中央銀行を通してやっていきますから、同じように国債を新規発行して銀行が引き受けると、その調達したおカネを政府が財政出動するとやった場合、政府の負債は増えます、国債として。ところが当然のこととして民間貯蓄がですね、政府の予算が執行されて、政府が出した政府小切手が銀行から取り立てられて日銀に回ってくるわけですけれども、当然、民間貯蓄が増えると、こういう理解で良いですね?」

雨宮「国債の発行による財政支出が預金通貨の創造につながるかどうかは、国債の発行形態によって変わってくるわけでありまして、国債が個人や投資家に消化されれば、それは預金の創造には繋がらないわけですけれども、銀行が保有している分について申し上げますと、それは信用創造を通じて預金が増加するという格好になります」

西田「財務省がずっと言ってきたのは、国債をどんどん出せばですね、借金がどんどん増えちゃって大変だというんですけれども、政府の負債は増えていますが、民間貯蓄がどんどん増えていくんですから、財務省の説明はおかしいんですよ。
 財務省の説明が正しいとするとですね、個人向け国債、わずかですけれども出ています。個人向け国債は、個人の預貯金が国債に振り替わるわけですから、いわゆる信用創造的にはならないわけですね、貯蓄が債券に変わってしまうわけです。その場合は、限度額は個人の貯蓄の額ということになりますけれども、いわゆる銀行が引き受けている新規国債にはですね、民間貯蓄が発行の限度額にはならないと思うのですが、いかがですか?」

雨宮「銀行のバランスシート、マクロ経済のバランスシートを見ますと、投資には貯蓄が対応し、負債には何らかの資産が対応するという、事後的な関係、恒等関係は必ずあるわけであります。従ってご指摘の通り、金融機関が国債を保有し財政支出が行われれば、それに対する預金通貨は事後的には同額発生しているわけでありますが、これはあくまで事後的な対応関係でありまして、そのプロセスで政府の財政の持続性あるいはインフレ懸念、金利や資金の流れがどう変わるかとは別の問題と考える必要があると考えております。」

西田「事後的にと仰いますが、政府が予算化したら、それは当然消費や投資になったりして、結果的には誰かの貯蓄が増えるわけですよね。そうでしょ?
 だから事後的にとはタイムラグの話でありまして、結果的に政府の負債と同額の民間の貯蓄が増えるということ、そうでしょ?」
 
雨宮「ご指摘の通り、投資が発生すれば、それと同額の貯蓄が発生するわけでありますが、問題は銀行であれ、個人、投資家であれ、発生した貯蓄をどういう金融資産に割り当てるか、何で運用するかがポイントになるわけであります。その際に例えば財政の持続可能性への信頼ですとか、あるいは将来の経済や物価の変動への懸念といったことを背景に、国債に対する需要がどうなるかといったことによって、様々な変動が生じるということだと理解しております」

西田「答弁かなり誤魔化してしまうんですね、そこで。単純に、政府が財政出動すれば民間貯蓄が増えるというのは、これはどこまでも否定できない事実ですよ(後略)」

 

⇒最初にクリックお願いします

 

コメント (1)

日本経済を破綻させる矢野・財務次官「バラマキ破綻論」、誰も指摘しない“あまりにもヤバい”問題の本質

2021-11-06 07:10:17 | 経済

プロフィール画像

NO!残紙キャンペーンサイト

⇒最初にクリックお願いします

 
■日本経済を破綻させる「矢野理論」

矢野事務次官は国家公務員であり「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」にある財務官僚のトップである。

しかし、矢野事務次官はその専門知識により上司である財務大臣や総理大臣にアドバイスはしても、最終的政策検定は内閣が決める。

したがって今回のように財務事務次官が財務大臣や総理大臣の頭越しに一般雑誌『文藝春秋』に財務次官の肩書で自分の意見を述べるのは越権行為であり、明らかに公務員法違反である。

しかも、その意見が間違っており、その「バラマキ破綻論」が、日本国債の国際的格付けを下げ、日本経済全体に悪影響を及ぼしかねないメッセージになっている。

つまり日本経済の国際的信用を落としているのは、ほかならぬ「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」の矢野次官自身だということである。

まさに、この矢野論文こそが、「日本経済破綻」のメッセージを国際的に発散していることになるのだ。

 

矢野康治・財務次官「論文」、誰も指摘しない“あまりにもヤバい”問題の本質

 矢野康治・財務事務次官の「論文」が大きな話題となっている。官僚が政治家に対して異論を唱えたことを問題視し、更迭を求める声もある。しかし、この「論文」は、そんなことよりもはるかに重大な問題をはらんでいる。積極財政論者のみならず、健全財政論者であっても批判すべき、“あまりにもヤバい問題”とは、何か?(評論家・中野剛志)

矢野康治・財務次官「論文」、誰も指摘しない“あまりにもヤバい”問題の本質「文藝春秋」11月号に掲載された矢野康治・財務次官の記事

「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」にあるまじき行為

 矢野康治・財務事務次官の論文「財務次官、モノ申す『このままでは国家財政は破綻する』」(『文藝春秋』11月号)が大きな話題となっている。官僚が政治家に対して異論を唱えたことを問題視し、更迭を求める声もあるというhttps://www.jiji.com/jc/article?k=2021101100809&g=eco)。

 しかし、この矢野次官の論文は、そんなことよりもはるかに重大な問題を二つ、はらんでいる。にもかかわらず、その二点とも、なぜか看過されているのである。

 第一の問題は、矢野次官が、自ら言うように「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」にいながら、そういう立場にはあるまじき行為に及んだということにある。

 それは、どういうことか。

 矢野次官は、次のように書いて、日本が財政破綻すると警鐘を鳴らしている。

 あえて今の日本の状況を喩えれば、タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなものです。氷山(債務)はすでに巨大なのに、この山をさらに大きくしながら航海を続けているのです。タイタニック号は衝突直前まで氷山の存在に気づきませんでしたが、日本は債務の山の存在にはずいぶん前から気づいています。ただ、霧に包まれているせいで、いつ目の前に現れるかがわからない。そのため衝突を回避しようとする緊張感が緩んでいるのです。
 このままでは日本は沈没してしまいます。ここは声だけでも大きく発して世の一部の楽観論をお諫めしなくてはならない、どんなに叱られても、どんなに搾られても、言うべきことを言わねばならないと思います。

 仮に、その通りだとしよう。

 その一方で、矢野次官は、論文の後段では、こうも言っている。

 コロナ対策で一時的に財政収支の悪化が生じることはやむを得ないとしても、コロナ禍が終わっても、金利ボーナス期間(筆者注:金利が成長率を下回る状態)は、ずっと単年度収支の赤字を放置するとか、赤字の拡大を容認してしまうようでは、国家として財政のさらなる悪化に目をつぶることになり、世界に対して誤解を招くメッセージを送ることになってしまいます。その結果、日本国債の格付けに影響が生じかねず、そうなれば、日本経済全体にも大きな影響が出ることになります。

 後段で矢野次官が述べていることは、要するに、日本の財政が悪化するというメッセージを世界に対して送ると、日本国債の格付けが下がり、長期金利の高騰を招いて、日本経済全体に悪影響を及ぼすという論理である。

 仮に、そうなるとしよう。

 問題は、日本国債の格付けが下がり、日本経済全体に悪影響を及ぼしかねないメッセージを送っているのは、ほかならぬ矢野次官自身だということである。まさに、この矢野論文こそが、そのメッセージなのだ。

「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」にいる者が、日本は、氷山に向かって突進しているタイタニック号のように、財政破綻に向かって突進していると告白したのである。それも、「どんなに叱られても、どんなに搾られても、言うべきことを言わねばならない」という確信に満ちた強い口調なのだ。

 もし、企業経営者が公の場で「我が社は、タイタニック号のように、破綻に向かって突進しているのです」と力説したら、その企業の株価は暴落するだろう。

 あるいは、銀行の頭取が、「我が銀行は、このままでは破綻します。どんなに叱られても、どんなに搾られても、言うべきことを言わねばならないと思います」などと言えば、取り付け騒ぎになるだろう

 それと同じように、もし我が国の財政が本当に破綻に向かっているならば、「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」である財務事務次官が「日本の財政は破綻に向かっています」などというメッセージを送ったら、金融市場が即座に反応し、日本国債は一斉に売りに出され、金利が高騰することになってしまうだろう。

 本来、「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」の者は、金融市場への影響、さらには日本経済全体への影響を十分に考慮し、その発言には慎重でなければならない。

 歴代の財務事務次官が、財政危機を懸念しながらも、少なくとも在任中は、公の場での主張を控えていたのは、そのためもあろう。「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」として、財政破綻を恐れるからこそ、自ら財政破綻の引き金を引くような発言は慎むのである。

 ところが、矢野次官は、あろうことか、異例の強さで「このままでは、日本の財政は破綻する」というメッセージを発してしまった。

 これは、官僚が政治家に対して異論を唱えたなどということよりも、はるかに重大な問題である。

 要するに、矢野次官は「財政をあずかり国庫の管理を任された立場」としての自覚を欠いているということだ。この点は、積極財政論者のみならず、健全財政論者であっても、批判すべき問題のはずである。

コメント (2)

MMTの弱点?「財政民主主義」、財政赤字容認の「現代貨幣理論」を“主流派”がムキになって叩く理由

2021-11-06 00:54:07 | 経済

プロフィール画像

NO!残紙キャンペーンサイト

⇒最初にクリックお願いします

 

矢野財務事務次官が雑誌「文藝春秋」に掲載した「バラマキ破綻論」に対し、経済評論家の中野剛志氏が、反論した。

中野氏は当日記がMMTについて論じる切っ掛けを作った人物。

中野氏の反論を掲載する前に当時の関連ブログを再掲する

MMTの弱点?「財政民主主義」、財政赤字容認の「現代貨幣理論」を“主流派”がムキになって叩く理由 2019-05-27

現代貨幣論(MMT)を巡り、”主流派経済学者”と“異端”とされるMMT派の間で、熾烈な論戦が展開されている。

特に人気ブログランキングで一位を続ける経済評論家三橋貴明氏のブログが財務省に宣戦布告して以来、これまで経済論議には無縁であった当日記にまで飛び火する賑わいぶりである。

令和の10連休を利用して筆者も遅ればせながら、三橋氏のブログで勉強させてもらった。 

念のため評論家中野剛志氏の『奇跡の経済教室』も読ませていただいた。

 

 

同書は、「これ以上易しく説明のしようがない」と自称する通り初心者にも分り易く丁寧に解説してあり、宣伝通り「目からウロコ」の感を随所で味合わせていただいた。

特に、2001年1月から2006年9月まで、安倍政権の経済諮会議の議員を務め安倍政権の経済政策に大きな影響を及ぼした経済学者吉田洋氏(※)や日銀総裁黒田氏、岩田副総裁ら”正統派”経済学者に対する舌鋒鋭い批判の嵐は、日本経済を立て直そうと挑戦する中野剛志氏の気概が溢れ読んでいて心地よい。

同書のエキスは最終章で「経済学者の無知」と題して”正統派”経済学者を断罪した後、「本書のまとめ」で集約されている。

本書は、経済の素人にも最適の「経済政策入門書」であるが、むしろ党派を問わず現役の国会議員に読んでほしい本である。

6月1日 追記(※)

MMTの旗振りをしている経済評論家三橋貴明氏は「増税延期不要論」を主張する吉田洋氏のことを「似非経済学者・財政破綻詐欺師」と罵声を浴びせている。

『大地震にも備え消費増税を、「実感なき景気後退」なら延期不要ー吉川氏

                  ★

そこで中野剛志氏のMMTを下記に紹介するが、長いので二部に分割して紹介する。

 

2019.4.26

財政赤字容認の「現代貨幣理論」を“主流派”がムキになって叩く理由

しわくちゃのドル紙幣Photo:PIXTA

 昨今、「現代貨幣理論(MMT、Modern Monetary Theory)」なる経済理論が、米国、欧州そして日本でも話題となり、大論争を巻き起こしている。

 今なぜ、MMTなのか。

 景気減速感が強まる一方、金融政策が手詰まりな状況で、「財政政策で活路を」と考える論者や、格差是正やグリーン・ニューディールなどを訴えて財政拡張政策を主張するいわゆるリベラル政治家らが、その理論的な根拠としていることがある。

 だが、このMMTに対して、主要な経済学者や政策当局の責任者たちは、ほぼ全員、否定的な見解を示している。日本でも、MMTに関する肯定的な論調はごくわずかだ。それには理由がある。

「異端の学説」なのか
MMTをめぐり大論争

 MMTが注目を集めているのは、その支持者が「財政赤字を心配するな」という主張をするからだとされている。

 より正確に言うと、「(米英日のように)通貨発行権を持つ国は、いくらでも自国通貨を発行できるのだから、自国通貨建てで国債を発行する限り、財政破綻はしない」というのである。

 普通であれば、MMTのような「異端の経済学説」が、真面目に取り上げられるなどということは考えられない。無視あるいは一蹴されて終わりだろう。

 ところが、極めて面白いことに、MMTは、無視されないどころか、経済学者のみならず、政策当局、政治家、投資家そして一般世論までも巻き込んで、大騒ぎを引き起こしたのである。

暴露された
主流派の「不都合な事実」

 その理由は、MMTが、主流派経済学者や政策当局が無視し得ない「不都合な事実」を暴露したからである。

 もう一度言おう。MMTが突きつけたのは、「理論」や「イデオロギー」ではない。単なる「事実」である。

 例えば、MMTの支持者が主張する「自国通貨建て国債は、デフォルト(返済不履行)にはなり得ない」というのは、まぎれもない「事実」である。

 通貨を発行できる政府が、その自国通貨を返せなくなることなど、論理的にあり得ないのだ。

 実際、「自国通貨建て国債を発行する政府が、返済の意思があるのに財政破綻した」などという例は、存在しない。財政破綻の例は、いずれも自国通貨建てではない国債に関するものだ。

 実は、MMT批判者たちもこの「事実」を否定してはいない。その代わりに、彼らは、次のいずれかの批判を行っている。

 批判(1)「財政規律が緩むと、財政赤字が野放図に拡大し、インフレを高進させてしまう」

 批判(2)「財政赤字の拡大は、いずれ民間貯蓄の不足を招き、金利を高騰させる」

 MMTに対する批判は、ほぼ、この2つに収斂している。

 では、それぞれについて、その批判の妥当性を検討してみよう。この検討を通じてMMTが指摘した「不都合な事実」とは何かが明らかになるだろう。

財政赤字拡大で
「インフレは止まらなくなる」は本当か?

 まず「財政赤字の拡大は、インフレを招く」という批判(1)を考えてみよう。

 実は、MMT批判者たちが指摘するように、財政赤字の拡大はインフレを招く可能性はある。これはMMT自身も認める「事実」だ

 政府が、公共投資を増やすなどして財政支出を拡大すると、総需要が増大する。総需要が増大し続け、総供給が追い付かなくなれば、当然の結果として、インフレになる。

 それでもなお、野放図に財政赤字を拡大し続けたら、インフレは確かに高進するだろう。

 ということは、MMT批判者たちもまた、「インフレが行き過ぎない限り、財政赤字の拡大は心配ない」「デフレ脱却には、財政赤字の拡大が有効」と認めているということである。

 言い換えれば、仮に「財政規律」なるものが必要だとすれば、それは「政府債務の規模の限度」や「プライマリーバランス」ではなく、「インフレ率」だということだ

 すなわち、インフレ率が目標とする上限を超えそうになったら、財政赤字を削減すればいいのである。

 そして、米国も欧州も低インフレが続いており、日本にいたっては20年もの間、デフレである。

 そうであるなら、財政赤字はなお拡大できる。それどころか、デフレの日本は、財政赤字がむしろ少なすぎるということになる。

 この点は、MMTの批判者でも同意できるはずだ。

 実際、MMTを批判する主流派経済学者の中でも、ポール・クルーグマンや、ローレンス・サマーズ 、あるいはクリスチーヌ・ラガルドIMF専務理事らは、デフレや低インフレ下での財政赤字の拡大の有効性を認めている。 

 ところが、より強硬なMMT批判者は、「歳出削減や増税は政治的に難しい。だから、いったん財政規律が緩み、財政赤字の拡大が始まったら、インフレは止められない」などと主張している。

 しかし、これこそ、極論・暴論の類いだ。

 そもそも、国家財政(歳出や課税)は、財政民主主義の原則の下、国会が決める。「財政規律」なるものもまた、財政民主主義に服するのだ。

「政治は、財政赤字の拡大を止められない」などというのは、財政民主主義の否定に等しい。

 また総需要の超過は好景気をもたらすので、所得税の税収が自動的に増大し、財政赤字は減る。したがって、仮に増税や歳出削減をしなくとも、インフレはある程度、抑制される。

 加えて、金融引き締めによるインフレ退治という政策手段もある。

 要するに、インフレというものは、経済政策によって止められるものなのだ。

 実際、歴史上、ハイパーインフレの例は、戦争・内戦による供給能力の棄損や社会主義国の資本主義への移行による混乱、独裁国家による政治的混乱といった、極めて特殊なケースに限られる。

 また、1960年代後半から70年代にかけての米国の高インフレも、ベトナム戦争、石油危機、変動相場制への移行といった特殊な外的要因が主である。

 特に戦後の先進国で、財政支出の野放図な拡大が止められずにインフレが抑制できなくなったなどという事例は、皆無だ。

 そして何より、日本は、過去20年間、インフレが止められないどころか、デフレから脱却できないでいる。歳出抑制や消費増税といった経済政策によってインフレを阻止できるという、皮肉な実例である。

 したがって、「財政赤字の拡大を容認すると、インフレが止まらなくなる」などということはないのだ。

 これは、「事実」である

(続く)

                     ★

現在デフレ下の我が国の経済成長のため、MMTを適用するのには賛成だが、中野氏が説明を手抜きしたと思われる「財政民主主義」の信頼性に疑問を呈してみよう。

 

日本で低インフレ(デフレ)が続いているのは、国民が政府を信頼しているからだ。

だが赤字国債発行の最中何かの理由で一旦政府が信頼を失うとハイパーインフレが起こる。その場合実質債務のデフォルトが起こる可能性がある。そのリスクはきわめて小さいが、何も備えないわけには行かない。

それを日銀のインフレ目標で止めることはできない。

財政支出をコントロールするのは政府の子会社の日銀ではなく、政府自身の仕事であるからだ。

 では政府がどのようにしてハイパーインフレの可能性を含む財政赤字を止めるのか。

中野氏は、財政赤字が膨大に累積してもハイパーインフレにならい理由は次のように説明している。

憲法に定める財政民主主義では国会が決める」と極めて簡単な説明だ。

さらに「すなわち、インフレ率が目標とする上限を超えそうになったら、財政赤字を削減すればいいのである」とこれも極めて素っ気ない。

しかし、国会が決めるということは政治家が決めるということ。

筆者は政治家がハイパーインフレが起きる懸念のある「最中」に、最適な判断を下すとは到底信じることができない。

中野氏は、一番重要なポイントを「財政民主主義」と国会(政治家)に丸投げし、具体的論議を次のように曖昧にしている。

>そもそも、国家財政(歳出や課税)は、財政民主主義の原則の下、国会が決める。「財政規律」なるものもまた、財政民主主義に服するのだ。

>「政治は、財政赤字の拡大を止められない」などというのは、財政民主主義の否定に等しい。

>要するに、インフレというものは、経済政策によって止められるものなのだ

                  ★

中野氏はMMTの他の部分の解説はしつこいほど丁寧なのに、「財政民主主義」の解説が極めて素っ気ない理由は何なのか?

政治家を含めて熱気・狂乱の渦中にある人間は、正常な判断を下すことが困難だ。


バブル崩壊はある日に一瞬にして起こった現象ではない。

例えばバブルの象徴とされるジュリアナ東京は、バブル崩壊後に新規開店していた。

当時のテレビはバブル景気の象徴みたいにジュリアナ東京で踊り狂うボディコン女性を紹介していた。 だが、その時点で実はバブルは崩壊していたのだ。

 

バブル崩壊に先立ち、株価や地価が下がり始める。

下がりはじめた当初は一時的なものだと思うがさらなる下落が起き、次の問題が出る。

暴落が手に負えなくなり、バブル崩壊が社会問題化したのが1993年頃。

ジュリアナ東京が開店し、全国の話題になったのがバブル崩壊2年前の1991年5月だった。

バブル崩壊

 1991年3月から93年10月までの急激な景気後退期を指す。それ以前のバブル経済時代、価格の上がり続ける土地を担保とした融資は、当たり前のように行われていた。が、大蔵省が90年3月、銀行の不動産向け融資を抑制する「総量規制」を実施。これを受けて、貸し渋りをする銀行が続出し地価が下がり始めた。さらに、日銀の公定歩合の急激な引き上げも重なって資金繰りの悪化する企業が増え、バブル崩壊につながったとされる。

 ちなみに、日経平均株価の史上最高値はバブル最盛期の89年12月29日に記録した3万8915円。。


バブルの象徴ジュリアナ東京とバブル崩壊の関連を年表にまとめてみた。

1991年5月
ジュリアナ開店 爆発的話題に

1991年10月
(後世の検証では)バブル崩壊の始まり

1991~93年
株価・地価がどんどん下落(世の中はバブル崩壊には気付いていない→一時的な問題と思ってた)

1991~93年
ジュリアナでは浮かれた連中がジュリアナでノー天気に踊り狂っていた

1993年
この頃にバブル崩壊という言葉が広く世の中に知れ渡り、世間が先の見えない不況に突入した事を認識

1994年
ジュリアナ閉店

1995年
住専問題が噴出~翌96年住専国会で大荒れ

1997年山一、拓銀の破綻。(金融危機の最大の山場、日本発の世界恐慌かと騒がれる)



後世から見たら「バブル崩壊に向かう最中にも関わらず浮かれていた」のが当時の社会現象として伝えられる。

つまりバブル崩壊やハイパーインフレと国民の実感にはタイムラグがある。

経済指標が国民の目に知れる時期も2カ月ほどのタイムラグがある。

 

「狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。」ニーチェ

 

【おまけ】

財務省vs「MMT」大バトル!【財務省】「MMT」に気をつけろ! 財務省が異端理論に警戒警報2019-05-08 

【財務省】「MMT」に気をつけろ! 財務省が異端理論に警戒警報

1樽悶 ★2019/05/07(火) 22:42:55.79ID:WaWZu5pJ9>>41>>71>>86



「日本の未来を考える勉強会」が開いた、「MMT(現代金融理論)」の勉強会。12人ほどの国会議員が集まった 
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20190427002663_comm.jpg
MMT(現代金融理論)の勉強会で講演する中野剛志氏(中央)。手前は勉強会を企画した安藤裕・衆院議員 
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20190427002666_comm.jpg
 

 財政の破綻(はたん)など起きっこないから、政府はもっと借金してもっとお金を使え――米国で注目を集める「MMT」(Modern Monetary Theory=現代金融理論)と呼ばれる経済理論が、日本の政治家の間にも広まり始めている。政府が膨大な借金を抱えても問題はない、と説くこの理論は米国で主流派経済学者から「異端」視され、論争を巻き起こしている。これまで消費増税を2度延期し、財政再建目標の達成時期も先送りしてきた日本では、一見心地よく聞こえそうなMMTはどう受け止められていくのだろうか。 

 4月22日午後、東京・永田町の衆院議員会館の会議室に、10人あまりの国会議員が集まった。自民党の若手議員らが日本の財政問題などを考えるために立ち上げた「日本の未来を考える勉強会」の会合。テーマは「MMT」だ。 

 この会でMMTが取り上げられるのは、一昨年以降、これで3回目という。最近、MMTの提唱者のニューヨーク州立大教授、ステファニー・ケルトン氏のインタビューが報じられるなど、日本のメディアでもMMTが取り上げられ始め、勉強会の参加者の一人は「世界が、我々に追いついてきたね」と誇らしげだ。 

■借金5千兆円でも大丈夫 

 この日、「よくわかるMMT解説」と題して講演したのは、評論家の中野剛志氏。現役の経産官僚でありながら、環太平洋経済連携協定(TPP)に反対する論客として知られる。(続きはソース) 

朝日新聞デジタル:2019年5月7日07時00分 
https://www.asahi.com/articles/ASM4T6F03M4TULFA04G.html 
記事全文: 
http://mopanews.wp-x.jp/?p=9434 

関連動画:「日本の未来を考える勉強会」ーよくわかるMMT(現代貨幣理論)解説ー平成31年4月22日 講師:評論家 中野 剛志氏 
https://www.youtube.com/watch?v=LJWGAp144ak

⇒最後にクリックお願いします

コメント