狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

頭が空中分解?不可解な琉球新報の優しい記事

2010-07-15 17:35:11 | 普天間移設

 

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今朝の沖縄タイムスオピニオン欄で、西原町にお住まいのU.・Jさん(70歳)が、復帰前の革新共闘を懐かしんで次のような投稿をしておられる。

・・・自公勢力の島尻さんが、名護市辺野古の新基地建設に反対して県外・国外を訴え、それでいて、日米合意を順守する自民党本部と公明党の推薦を受けているのは、つじつまが合わない。 そのことに矛盾を感じず、多くの県民が島尻さんを支援したことを、どう理解すればいいのか、私の頭は空中分解しそうだ。 
辛らつな神奈川の友人も言ってきた。 「沖縄の民意は、どうなっているんだ」辺野古の基地建設に反対して10万人が集結した4月の県民大会、5月の普天間基地包囲行動は何だったのか。(中略) 

しかし、実際は低い投票率に加え、革新政党は分裂選挙を演じた。 社会大衆等、人民党が働いた復帰前が懐かしい。 あの共闘があったからこそ、日本復帰も成し遂げられたことを思い出すべきである。》

沖縄に住んでいてもU・Jさんのように沖縄タイムスをそのまま鵜呑みにして信じ込むと、報道と実際とのギャップに戸惑って、「頭が空中分解」しそうになるのだろう。 

お気の毒に。

 

沖縄メディアを通じて全国に配信される沖縄の実態ほど判り難いものはない。

沖縄が島ぐるみで「基地野全面撤去」を訴えていると同情心を持つ人は、真の沖縄の実相を知れば、見事にその足をすくわれることになる。

そして見事に足をすくわれ判断を誤った結果、政権を追われ羽目に陥ったのが鳩山前首相である。

「辺野古移設反対」が沖縄の民意だと新聞は騒ぐが、沖縄の民意は新聞を反映していない。 何しろ「辺野古移設」の一番の当事者である辺野古地区の行政委員会が、「辺野古容認」を議決しているのだ。

 一見、「左翼の島」に見える沖縄。

だが、参院選で保守系候補が圧勝し、U・Tさんの頭は空中分解寸前になる。 そして次は11月28日の沖縄県知事選で沖縄の政治の季節も総括の時を迎える。 それまでにU・Jさんの頭が沈静化することを祈念する。 

頭が空中分解したら脳ミソまで飛び出してしまう。 

これで沖縄タイムスを読まないのが頭の健康に一番良いことがわかる。

 

今年、保革対決で注目を浴びた県内の選挙を振り返ってみると、

まず年頭の1月の名護市長選挙。

地元マスコミの「県外・国外移設」の大キャンペーンを追い風に「県外派」の稲嶺候補の圧勝が予測された。

がが結果は稲嶺候補の僅か1500票余の辛勝であった。

続く2月の石垣市長選。

4期20年の長期政権を狙う極左市長と保守系の新人候補の直接対決であった。

ところが、長期独裁政権の膿ともいえる「市長婦女暴行疑惑」が発覚し、石垣市民の良識が石垣市長選始まって以来の大差で、現役市長を権力の座から引きずり下ろした。

そして7月11日の参院選。

「普天間移設は県外」で島中が赤旗で揺れるような沖縄紙の報道にもかかわらず、自民党の公認候補が革新候補に圧勝した。

マスコミ報道と一部のプロ市民の政治活動を見て、沖縄を「革新の島」と呼ぶのは誤りであるという説がある。 先祖を大事にする祖先崇拝の島が革新のわけは無いというのがその論拠だ。

沖縄返還以後、沖縄に雪崩れ込んできた日教組を中心にしたプロ市民達と地元新聞が結託しして捏造したのが「革新の島・沖縄」という幻影だというのだ。

そういえば県知事も二代続いて保守系だし、問題の名護市長もカツゼツの悪い島袋市長が僅差で敗北するまでは、比嘉⇒岸本⇒島袋と「辺野古容認派」の保守系知事が3代も続いていた。

だが、地元紙が言論界を支配する沖縄では保守系知事や保守系国会議員といえども、地元紙に揉み手で秋波を送っておかないと、地元紙に一旦敵と看做されたらどんな妨害を受けないとも限らぬ。

2007年の「11万人集会」の時、開催寸前まで大会出席を拒否していた仲井真知事だったが、沖縄二紙の連日の圧力に負けて結局出席せざるを得なかった。 

直近の例では4月25日の「県民大会」で、知事は開催寸前まで出席を躊躇しており、結局出席はしたが大会の主旨である「県外・国外移設」には明確な発言を避けた。

さらに7月11日の参院選で大勝した島尻候補も「県外・国外移設」を主張し沖縄二紙のご機嫌取りをしたが、自分を公認した自民党が14年の試行錯誤の結果決めた「辺野古移設」に反対せざるを得ないところに沖縄の保守の特殊性がある。

何しろ沖縄タイムスや琉球新報に楯突くヤツは沖縄県人では無いと公言して憚らない方々もいるのだ。

最近この勇気ある行動をし、沖縄二紙を批判した星雅彦、上原正稔両氏が沖縄論壇から完全に村八分にあっているのがそのいい例である。

■11月知事選は「仲井真VS伊波」の一騎打ち■

ところで来る11月の県知事選に立候補を表明した人物は今のとこいないが、自民、公明を与党とする現職・仲井真知事(70)が2期目に前向きな発言をしたほか、宜野湾市の伊波洋一市長(58)が民主、社民、地域政党・沖縄社会大衆党など革新勢力側から立つ意欲を見せている。

筆者は宜野湾市民であるが、「普天間基地」と「沖国大ヘリ墜落事故」を自己のパーフォーマンにのみに利用し、宜野湾市民の安全は二の次に考える伊波市長の沖縄県知事当選には反対するものである。

筆者は何度も言うように、過去現在に渡り何の政治組織にも属した経験は無いが、政治ブログを書く一ブロガーとして、新聞本来の使命を忘れ「反戦平和」を叫べばこれを免罪符として左翼市長を応援する沖縄紙も批判してきた。

伊波市長もご多分にもれず「反戦平和」を自己PRに精一杯利用しているが、沖縄紙は伊波市長が管轄する宜野湾市役所職員の犯罪に関してもお目こぼしをしてきた。

■「反戦平和」は免罪符!■

対照的に米兵の起こした事件・事故ならどんな些細なものでも、一面トップで針小棒大に騒ぐことは沖縄では珍しいことでは無い。

昨年の7月、宜野湾市役所職員が公用車で事故を起こした上、替え玉を使って虚偽申告をするという公務員にあるまじき犯罪を犯していながら、新聞は名前を公表しなかった。

沖縄紙の甘い報道がこれ。

宜野湾市職員、事故で替え玉 同僚に身代わり依頼
2009年7月30日         
【宜野湾】宜野湾市は29日、同市役所の国民健康保険課の男性職員(32)が、公用車で自損事故を起こしたにもかかわらず、同僚の市保護課の男性職員(32)に身代わりを頼み、その同僚が自ら運転したとして宜野湾署の事故処理に対応していたと発表した。市によると、2人は高校時代からの友人。宜野湾署は男性職員を道路交通法違反、同僚を虚偽申告の疑いでそれぞれから事情を聴いている。市は週明けにも職員分限懲戒委員会を開き、2人の処分を検討する
 市によると、国保課職員は17日午前11時30分から正午の間、同市佐真下の市道で同市宜野湾から真栄原方面へ走行中に電柱に衝突した。国保課職員はその後行方をくらまし、連絡を受けた同僚が現場へ行き、市民の通報で駆け付けた宜野湾署の事故処理や事情聴取に応じている。
 
当初、市への報告では、国保課所有の車両を保護課に貸し出し中に事故を起こしたことになっていたが、その後、2人が事故についてうそをついたと告白。それを受け、市は27日に宜野湾署に連絡し、事故に虚偽があったことを伝えた。
 
この国保課職員は、昨年、市役所に設置した投書箱に市民から「運転が荒い」などの苦情が寄せられ、上司の指導を受けており「事故でさらに指導を受けるのを避けたかった」と身代わりを頼んだ理由を話し「すみませんでした」と謝罪しているという。
 同僚も「断るべきだったが、友人だったため身代わりに応じてしまい、申し訳ない」と話しているという。
 市の仲村隆総務部長は「替え玉したことは事実で、市民におわびしたい」と謝罪し「内部調査を進め事実を明らかにし、再発を防いでいきたい」と話した。

                        ◇

琉球新報は職員の実名を公表しないどころか、懲戒委員会の処分の対象になっていながら、その処分の結果は報道もせずうやむやにしてしまった。

このような悪質な職員は実名公表はともかく、懲戒免職だろうと思うのだが、実際はこの悪質職員はそのまま職員として居座って、今度は公金横領をしたというから、宜野湾市や沖縄紙の「身内に甘い」措置には言葉を失う。

今朝の琉球新報記事である。

宜野湾市職員50万着服 生活保護費の過払い返還金(2010.7.15)

 【宜野湾】宜野湾市の30代の男性職員が、市民に過払いされ、その後市に返還された生活保護費を着服していたことが14日、関係者の話で分かった。職員は事実を認めている。同市は16日に記者会見を開き、事実を公表する予定。
 関係者によると、男性職員は2009年6月ごろ、年金の支給開始に伴い所得が増えたため生活保護費の返還義務が生じた市民が市の窓口で支払った過払い金約50万円を着服したとされる
 
本年度に入り、担当を引き継いだ職員が住人に対し、生活保護費の返還を要求したところ、「すでに支払った」と回答したことから不正が発覚した。
 同市は6月29日から6回にわたり分限懲戒審査委員会を開き、男性職員から話を聞いた。職員は着服の事実を認めており、市は懲戒免職などの処分を検討している。公金流用として職員の刑事告訴も検討している
 関係者によると、同職員は同市保護課に在籍時の09年7月、物損事故を起こした別の職員(同年10月に懲戒免職)の替え玉として事故申告をし、減給処分を受けている。

                                                     ◇

琉球新報は、この期に及んでもこの悪質職員を「30代の男性職員」として実名を「公表しない。 「30代の男性職員」なら宜野湾市役所には何百人もいるだろう。

刑事告訴の対象にもなる悪質職員に対する琉球新報の大甘報道は、やはり伊波市長の「反戦平和」の免罪符の効果なのだろうか。

いやいや記事にしただけ琉球新報はまだ良い。

「反戦平和」の霊験あらたかさを知る沖縄タイムスは、記事にさえしていないではないか。

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コメント (6)

池上彰のスペシャル番組を見た

2010-07-15 07:41:17 | 県知事選

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昨夜は、テレ朝の「池上彰の学べるニュース2時間スペシャル」を見た。

通常は、ゴールデンタイムのチャンネル権は筆者にはないのだが、権利者の連れ合いが池上彰氏のファンだということで、気兼ねすることなく堂々?と二時間居眠りすることなく見た。

先日の「テレビ東京」の参院選特番をでキャスターを務めた池上氏は、これまでの放送界のタブーを破った切り口で、選挙の圧力団体の双璧日教組と創価学会に切り込み、絶賛されたので、昨夜も期待して見たのだが・・・。

フリップを使って「分かっていそうで曖昧の知識」を明快な語り口で説明されると、なるほど非常に分かりやすい。

かく言う筆者も「落選議員には『元議員バッジ』が支給され、これがあれば議員経験者は落選しても一生国会に出入りできる」等は初めて知った。

だが終始基本的述語の解説に止まり、参院選の話に及んでも、集票マシーンの創価学会、日教組、連合等と各政党のしがらみにまでは踏み込まなかった。

番組を重ねるうちにこれらのタブーにも切り込むつもりなのか、それともテレビ局の思惑でタブーはタブーとして頬被りするのか、昨夜の番組だけでは判断しかねた。

お笑い芸人ねずっちの「謎かけ番組」がゴールデンタイムでブームを呼んでいるようだが、、池上彰の「ニュース解説」がゴールデンタイムのブームになるのかどうかは、池上氏がテレビのタブーに切り込めるかどうかに全てがかかっている。

選挙の度ごとに大きな顔をしていた圧力団体というか、集票マシーンの威力も、従来のような力を発揮できなくなった現状だからこそ、池上氏のタブーへの挑戦も実現性がある。今後に期待したい。

ちなみに昨夜の番組の話題を拾うとこうなる。

そうだったのか!参院選挙⇒解説のみで今ひとつ突っ込みがあまかった。


そうだったのか!税金⇒日本とギリシャの借金の違いは解説したが増税と経済成長の関係の説明が今ひとつだった。

教えて池上さん!保守・革新って何?⇒常日頃右翼と決め付けられている(低劣右翼というお方もいる)筆者は、特に興味深く聞いたが。 特にソ連崩壊以後、相手にレッテル貼りで罵倒すするために悪用されているという解説にゲストのタレント達は納得の模様。

筆者は何の政治組織にも属していないが、沖縄では地元紙を批判する者は全て、右翼の範疇に入るようなので右翼の称号を栄誉と思っている。(笑)

なお、番組のフリップで、眼鏡をかけた一見インテリ風のイケ面な人物のマンガに「革新派」と説明があり、いかにも頑迷そうなちょび髭に和服のオッサンのマンガに「保守派」と書いてあったが、

これなどはリベラルな意見を言えば「知的」に見え、保守的意見を言えば「痴的」に見えるといった「戦後民主主義」の風潮がマンガに垣間見えて興味深かった。

次の「おまけ」は参院選の選挙特番をテレビ東京で見た人のサイトの全文引用です。

本日のエントリーは本文より「おまけ」の方が中身が濃いので、熟読してください。

なお、太字強調は引用者。

【おまけ】

池上彰の参院選「タブーに挑戦」 「創価学会、日教組」に絶賛の声
     
   「創価学会は、菅首相と仙谷官房長官が嫌い?」。NHK出身のキャスター、池上彰さん(59)が、テレビの選挙特番でこんな疑問を公明党代表にぶつけるなど、直言ぶりで人気だ。そのタブー破りとは――。

   池上彰さんは、テレビに本にと忙しすぎたのか、口蹄疫被害のニュースで間違った解説をしてしまった。しかし、2010年7月11日の参院選では、そんなことも忘れさせるような、切れ味鋭い質問や解説を連発した。

谷亮子氏には、政治と柔道の両立を突く
   舞台は、テレビ東京で11日夜に放送された「選挙スペシャル」だ。

   「池上解説タブーなし」「宗教と選挙も解説」――。こう新聞のテレビ欄でうたったように、特番での池上さんは、初っぱなから直撃パンチだった

   たちあがれ日本から出馬した元巨人軍選手の中畑清氏には、こんな質問をぶつけてきた。

「そもそもですね、読売新聞の渡辺会長に呼ばれて、『こっから出ろ』と言われたという話がありますが、そうなんですか」
   これには、いつもは笑顔の中畑さんも、さすがに焦った顔になった。「いえいえ」と必死に否定すると、出馬を相談した人として、野球の監督や政治評論家などの名を挙げた。

   トップ当選の蓮舫行政刷新相であっても、ジャブを忘れない

「一番でなきゃダメなんですか、というあの発言が結局、自民党が一番でなきゃダメなんです、一番一番、というスローガンに取られてしまいましたねえ」
   すると、蓮舫氏は、苦虫を噛み潰したような表情に。「あのー、他党のことはよく分かりません」と答えるのが精一杯だった。

   さらに、谷亮子氏に対しては、だれもが聞きたいと思うような政治と柔道との両立について切り込んだ。神妙な様子の谷氏に対し、池上さんは、国会の開会と柔道の大会が重なったとき、国会を優先するのか尋ねたのだ。
   「当然そうです、はい」と谷氏から言質を取ると、今度は、どの委員会に所属したいか、具体的な専門性を突っ込んできた。これに対し、谷氏は、「国に力を、子どもたちに未来を」という基本姿勢などを挙げただけで、具体的な委員会名は出なかった。

   解説では、組織票や政治と宗教をテーマに挙げた。他のテレビ局が触れないようなものだ。

   組織では、日教組について、組合出身の輿石東民主党参院議員会長が出馬した山梨県を例に、組合の加入率が高い県は、組合と教育委員会は仲がよく、組合幹部が出世することもみられるとした。さらに、政党ごとに支持団体名を挙げ、自民党では、日本遺族会、日本看護連盟などが支持しているとした。

   さらに、突っ込んだのは、政治と宗教の関係についてだ。

   公明党候補の街頭演説には、多くの創価学会員が集まるとして、集まった人に「会員の方ですか」と聞いて回る場面も放送された。そして、同党の山口那津男代表への質問では、学会が菅氏や仙谷氏を嫌っているから民主党と連立しないという声があることを単刀直入に聞いた。これに対し、山口代表は、政教分離を理由に、全面否定するだけだった。

   また、浄土真宗などのケースを挙げたほか、スナック・クラブ票やお笑い票なども解説していた。

   ネット上では、こうした解説は選挙前にやるべきなどの声もあったが、「池上さんぱねぇ(半端じゃない)」などと称賛の声も相次いでいる。

   識者にも、好評のようだ。芸能評論家の肥留間正明さんは、日刊ゲンダイのコラムで、他局と比べて「わかりやすさ、フレッシュさで圧勝」とした。デーブ・スペクターさんは、東スポのインタビューに、視聴者をバカにしているとも取れるものの、独自色を出す意気込みが感じられた、と話した。ちなみに、選挙特番の視聴率は、民放では、日テレに次いで2位だった。

引用終了

池上彰氏のNHK時代の「子供ニュース」の残滓が、忘れた頃に顔をださないか気にはなる。

だが、テレビワイドショーのニュース解説で大きな顔をして民主党を応援してきた鳥越俊太郎、古館一郎、大谷某、河村某に引導を渡す意味で池上氏にテレビ業界のタブーに切り込んで欲しいと思うのだが、やはりテレ朝の番組では無理なのだろうか。 

 

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輿石議員を告発せよ!選挙違反での疑義あり!

2010-07-14 17:25:06 | 県知事選

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江田参院議長交代へ、後任に輿石氏ら浮上

 参院選後の与野党の攻防の焦点となっている参院議長人事について、13日、参院第1党の民主党から議長が選出される公算が大きくなった。


 同党は現職の江田議長を交代させる方針で、後任には輿石東議員会長、西岡武夫議院運営委員長らの名前が挙がっている。

 自民党は13日、参院副議長に谷川秀善参院幹事長(町村派)を充てる方向で調整に入った。

 江田氏について、野党からは「先の通常国会での議事運営が民主党寄りだ」と議長続投に反発する声が多く、民主党は参院で与党が過半数に足りないことを踏まえ、江田氏続投は困難と判断した。

(2010年7月14日03時09分  読売新聞)

                   ◇

本来の職務(死刑執行の決定)を忠実に執行した結果、朝日新聞に死に神と罵倒された法務大臣がいる。

その一方で、その職務放棄(死刑執行拒否)を公言する人物が法務大臣を続行するという。

職務拒否をするなら大臣就任も拒否せよ、というのが国民の常識だが、ゾンビ大臣には人間の常識は通用しないものらしい。

民主党はよっぽど人材が枯渇しているのか、江田五月参議院議長の後任として「死に神」を推薦するという。

江田議員といえば、市民運動家上がりの菅直人氏が高齢の市川房江議員のアッシー君となり、市川氏の死後支持票を全部受け継ぎ、それでは足りずに癌で死期を悟っていた当時革新の星であった江田三郎議員に接近し、その支持票を吸い取ったが、その江田三郎氏のご子息が江田五月議員である。

江田・菅の提携の僅か一ヵ月後、江田三郎氏は死去するが、父の遺産の支持層を根こそぎ菅直人氏に奪われるのを恐れた、当時裁判官だった江田五月氏が急遽職を辞して父の後継候補として政界に乗り出した。

つまり「老人たらし」の菅直人氏と息子の江田五月氏は、江田三郎氏の跡目相続争いの様相を呈した。

だが、幸いなことに両者とも揃って当選したため、中川(酒)氏と鈴木宗男氏のような骨肉の争いには至らなかった。

一方の菅氏が派手なパフォーマンスで政界を渡り歩いて首相の座まで上り詰めたのに対し、江田五月氏は父三郎氏の遺産の上に胡坐で馬齢を重ね、何とか参議院議長の座を得た。

だがその)国会運営たるや法律の番人の裁判官上がりだとは思えない無法ぶりである。 

菅直人氏にエキスを吸い取られミイラ化した風貌は仕方ないとしても、東大を優秀な成績で出たという割には、政治家としては無能を曝した。

それにしても「ミイラ男」の後釜が「死に神」では、民主党の人材不足にも、そろそろ勘弁して欲しいものだ。

 

今回の選挙の民主党大敗を慶賀した読者が、中でも特に躍り上がらんばかりに喜んだのが千葉景子法務相の落選であった。

その反対に一番悔しい思いをしたのが「死に神」として有名な輿石東民主党幹事長代行の当選である。

参議院のドンといわれ三期目を狙うベテラン議員が日教組の強力な支援の下に無名の新人候補の宮川典子氏を相手にするのだから、普通に考えれば輿石氏の楽勝と思われたが、実際は輿石氏は薄氷を踏む思いの僅差の辛勝であった。

輿石氏の得票数は18万7010票で、宮川氏の18万3265票とはわずか3745票差。
 
最終開票結果は次の通り。

 山梨選挙区開票結果(選管確定)
 当  輿石 東  (民 現) 187,010票
    宮川 典子 (自 新) 183,265票
    花田 仁  (共 新)   32,274票
    根本 直幸 (無 新)  19,390票
    木川 貴志 (無 新)  12,721票

何と20万近い得票争いで、その差がわずか3745票だったのだ!

山梨県民のことを罵倒する向きもあるが、山梨教職員の組織票に対抗し、覚醒した山梨県民が良く頑張ったというべきだろう。

僅差の敗北は山梨県民が一番悔しくて当然である。

輿石氏は前回の選挙でも明らかな選挙違反で当選した人物であり、「教員に中立はありえない」と公言して憚らない人物である。

今回の選挙でも選挙違反が無いはずが無い、と考えても不思議はないだろう。

産経新聞の阿比留さんのブログ
国を憂い、われとわが身を甘やかすの記が、明らかな選挙違反を示す文書を公開していた。

それがこれ。⇒クイズ・ある教員からの一斉メール

阿比留さんは投票日前だったのであえて名前をマスキングしていたが、当事者が輿石東その人であることは誰の目にも明らかである。

早速山梨県警に告発すべきではないか。

さらに別のソースからも「死に神候補」の教職員を動員した選挙違反の証拠が挙がっている。

それがこれ。

ソースは、依存症の独り言さん経由してクリスタル・ピープル。さんのブログに辿りついた。

以下↓は、山教組による、教職員に対する強制動員の証拠文書である。

Koshiis11

この文書は、文科省の「演説会の開催その他の選挙運動の企画に関与したりすること」という通達に明らかに抵触している。


発信人の執行委員長は組合専従で、現役の教員ではない可能性もあるが、受取人の分会長は、まぎれもなく学校現場の現役教員である。

日教組の上部組織の指示を受けて、学校現場の校長がで輿石氏の個人演説会に動員をかけたのは、ほぼ間違いない。

だとしたら、文科省の公職選挙法にかかる「教職員等の選挙運動の禁止等について」(平成15年)という通達に違反しており、明らかな選挙違反である。

ご丁寧に、各校への強制割当表↓もある。

Koshiisi10

えっ?これが死に神の正体だとしたら、

写真の死に神はヅラだったの?

選挙違反をしてでも、しぶとく生き残りを図る「死に神」には、

違反摘発により、安らかに眠るよう引導を渡すべきである、

と思う方

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コメント (9)

ゾンビ大臣起用!断末魔の菅内閣、

2010-07-14 07:26:32 | 県知事選

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内閣支持36%、不支持52%に 共同通信世論調査
 共同通信社が参院選を受け12、13両日に実施した全国緊急電話世論調査で、菅内閣の支持率は36・3%と発足直後の前回6月調査61・5%から急落した。25・2%だった不支持率は52・2%に倍増した。「首相を辞めるべきだ」は15・2%にとどまり「辞めなくてよい」が52・8%。財政再建や社会保障のための消費税率引き上げに「賛成」と「どちらかといえば賛成」を合わせた回答は52・5%と過半数だった。

 今月7、8両日に実施した全国電話調査での内閣支持率は43・4%で、低落に歯止めがかかっていない。

                                                       ◇

参院選大敗後も、支持率急落の歯止めはきかない。

菅首相は得意のブーメラン攻撃に曝され、天国から地獄への心境を味あわされている。

市民運動家から首相の座に上り詰め、支持率もV字回復の祝福を受けた、と我が世の春を謳歌しかかったのだが・・・。

やはり国民はバカではなかったのだ!

参院選で大敗を喫したにもかかわらず、菅首相は自らの続投は勿論、党執行部の最高責任者の枝野幸男幹事長にも続投を指示した。

落選した閣僚の補充を含む内閣人事も9月の党代表選まで先送りするというが、特に引退を表明している千葉景子法相も続投を依頼したというから、民意もクソ(失礼)もあったものではない。

菅首相は、国民が学習効果で覚醒したことにまだ気がついていないのか。

本人が開き直って権力の座にしがみつくのは政治家の性(さが)としてさておくが、過去の自分の発言との整合性は国民にどう説明するのか。

野党時代の菅氏は、安倍政権時の前回参院選での自民党敗北を受けて、菅氏本人がこのように安倍首相に辞任を迫っていたではないか。

直近の民意を鑑みて安倍総理は辞めるべきだ、解散総選挙をすべきだと。

勿論、「直近の民意」とは直前の参院選大敗のこと。

菅首相が普通の政治家だったら、自分の発言との整合性を考えて、即刻辞任か解散をするのが筋だろうが、普通の政治家ではない菅首相が自分の言葉に責任を取るとは、国民はまったく期待はしていない。

その証拠が上記世論調査に表れており、菅内閣の不支持率は52%と高率ながら、「首相を辞めるべきだ」は15・2%にとどまっている。

どうせ自ら辞めるはずの無い首相なら、そのままたな晒しにして、ねじれ国会の「地獄」を経験させ、「石もて追われるよう」に、解散総選挙に追い込まれる菅首相の末路を、国民は期待しているのだ。

野党時代、さんざん「ねじれ国会」を利用して、政局本位で施策を妨害したのが民主党だった。

だが、自民党が難儀しながらも衆院の2/3採決で切り抜けてきたが、今回は民主党は2/3を持っておらず、菅首相が立ち往生することは目に見えている。

国民が菅首相の「立ち往生」を期待して、首相継続を是認しているとしたら、昨年の衆院選で民主党に騙された国民の怒りは心頭、恨みは骨髄ということになる。

民主党がこれまで政局のみに利用してきた「ねじれ国会」が、「因果は巡る」で、いま民主党内閣を直撃している。

これを世間では、ブーメランの直撃とという。

 

今度の参院選で読者が一番慶賀を祝したことは千葉景子法相の落選である。

ところが奇怪なのは、落選した本人が引退を表明しているのに法相を9月まで続投させるとしたことだ。

仙石官房長官は「行政の継続性の観点から、続けていただくのが望ましい」と弁解ているが、落選し、しかも引退を表明た人物をそのまま起用することは、千葉大臣にノーを突きつけた国民をバカにしてはいないか。

千葉景子氏は、今は政治家としては死んだも同然であり、死人に法務大臣の要職をを委ねるは、ゾンビを大臣にするようなもの。

だだ、ゾンビ大臣の登場も、菅内閣にとっては支持率低下を加速させるアクセルの役割りを果たすことになる。

ゾンビ大臣が解散総選挙に拍車をかけることになる。

となるとゾンビ大臣も慶賀すべきことかも・・・。

不滅のゾンビ大臣!

【参院選】落選の千葉法相、首相の慰留受け入れも政界引退へ 

2010.7.13 13:00

落選確実となり、報道陣の質問に応える千葉景子氏(左)=12日午前0時50分ごろ、横浜市中区の選挙事務所(今仲信博撮影)落選確実となり、報道陣の質問に応える千葉景子氏(左)=12日午前0時50分ごろ、横浜市中区の選挙事務所(今仲信博撮影)

          ◇

 

断末魔のゾンビ大臣!

 

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大爆笑!沖縄タイムスの悩み?全国最下位の投票率

2010-07-13 17:14:16 | 県知事選

 

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沖縄タイムス[大弦小弦]
 2010年7月13日 09時55分     

 県内の参院選の投票率は52・44%で全都道府県で最低となった政権交代が実現した昨年衆院選でも2番目に低く、理由が今ひとつはっきりしない

 ▼沖縄では、米軍基地の存在という大きな課題を抱えており、政治への関心が低いとは思えない。むしろ、政治に対する不信任とも読めなくもない

 ▼日本の選挙制度では、いくら低投票率でも、当選人が選出される。投票を棄権することは、政治に対する不満を表す手段にはならず、「白紙委任」でしかない

 ▼米国では有権者教育として、小学生にアイスクリームや宿題について単純にイエス、ノーを選択させた後、先生がその内容を「給食に、にんにく味のアイスクリーム」「週末の宿題は廃止」と明かす(「判断力はどうすれば身につくのか」横江公美著)

 ▼イメージやスローガンだけで判断し、内容を確認しなかったために「投票のわな」に落ちる危険性を教えている。横江さんは、有権者が政治に関する情報や知識を収集し、選挙の質を上げ、その結果として投票率が向上することが正しい順番だとする

 ▼民主党は「普天間の県外移設」という総選挙時の「公約」を反故(ほご)にし、県民を失望させた。各党の政権公約を最初から「にんにく味のアイスクリーム」だと判断した県民が多かったとすれば、不信を回復するのは容易ではない。(浜元克年)

                        ◇

沖縄ほど頻繁に県民大会を開く県は他に例を知らない。

沖縄で日常茶飯事で行われる政治集会は、県民大会に止まらず、「○○抗議集会」「○○行進」に米軍基地を取り巻く「人間の鎖」等等、新聞を見ると徒党を組んだ政治活動が絶えず行われている。

沖縄県民が政治に関心が無いはずは無いとコラム記者は疑問を呈しているが、良識ある県民なら、新聞紙上を連日賑わしている「政治好きの方々」は一握りのプロ市民達であることを先刻承知している。

日頃の新聞記事のみで沖縄県民を判断したら、「沖縄が全国一投票率が低い県」という謎を解き明かすのは困難であろう。

その場合、当然答えはコラムの記者と同じく「理由が今ひとつはっきりしない」ということになる。

だが、理由ははっきりしている。

沖縄で過剰に政治に関心を持つ勢力は一握りのプロ市民達に過ぎない。

執筆者の浜元記者はトボケているようだが、あのルーピーといわれた鳩山前首相でさえ、数回の沖縄訪問で学習したのか、訪問先々で待ち構える抗議集団を見て「どこへ行っても同じ顔ぶれ」と思わず口走ったという。

さすがのルーピー首相も最後は、沖縄の「民意」とはノイジーマイノリティが作った幻であることに気がついていたのかも知れない。

そのノイジーマイノリティを扇動し、一握りの彼らの大声を「民意」と報道してきた沖縄タイムスが、沖縄の低い投票率の意味を知らないはずは無いのだ。

浜元さん、オトボケが過ぎますよ。

読者は全てお見通しですよ。

 

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池上彰の政治解説

2010-07-13 08:53:59 | 県知事選

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テレビ・ワイドショーの集票効果を充分に意識し、「小泉劇場」と揶揄されながらも国民の圧倒的支持を得た小泉純一郎元首相。

今やワイドショー番組は、政治家にとって決して敵には回せない最重要メディアになっている。

何しろ、取材した多くのVTRの中から番組の主旨に合う意見だけを「街の声」として流せば、「民意」や「世論」なんて、番組スタッフの匙加減で自由自在なのだ。

その昔、「椿事件」というのテレビの暴走事件があった。

1993年7月18日、第40回衆議院議員総選挙で、与党自民党が解散前の議席数の過半数を割り、非自民で構成される細川連立政権が誕生した。

自民党は結党以来初めて野党に転落した。

「自分らが政治は動かせる」と驕り高ぶったテレビ朝日報道局長の椿貞良氏が選挙時の自局の報道姿勢に関して、次のように発言した。

「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」 と。

椿発言に関し放送法違反の疑いが生じ、椿氏が国会に証人喚問された。

その中で椿氏は自分の軽率な発言を陳謝し、放送法で禁止されている偏向報道を行った事実を認めた。

これがいわゆる「椿事件」である。

結局、郵政省は、テレビ朝日に対する免許取消し等の措置は見送り、厳重注意の行政指導にとどめた。

だが、喉元過ぎれば何とやらで、昨年の衆院総選挙前後のテレビ各局の政治報道は椿氏も真っ青の偏向報道であった。

テレビ各局のコメンテーター総動員で、民主党への政権交代を公言し、「我々が成し遂げた政権交代」と公言するキャスターも出てくる有様は記憶に新しい。

「椿事件」のDNAは今でもテレ朝「スーパーモーニング」の鳥越修太郎氏や「報道ステーション」の古館一郎氏に脈々と受け継がれているのだろうか。

 

ところで、最近のテレビ番組で奥様方に「わかりやすい」と人気を博しているのが「池上彰の解説番組」である。 筆者の連れ合いも池上彰氏ファンの一人で、「活舌が明快で、知識が豊富。 しかも分かりやすい」というのがファンとしての弁。

池上彰氏といえば以前にNHKの子供向けニュース番組を担当しており、その番組を見るともなしに何度か見たことがあったが、妙にNHK風に偏向した解説に、子供を洗脳するの怪しからんと画面に向かって怒鳴った記憶がある。

最近の池上氏の番組だが、チャンネル権を持たない筆者としては、次のような捨てゼリフを吐くのが精一杯であった。

「(池上氏の)政治解説等には時々NHK風のバイアスがかかった偏向発言があるので、そこに気をつけて、知識として学ぶのは結構でしょう」。

NHKを退社した池上氏は民放各局の解説番組で、現在八面六臂の大活躍なのは周知の通りである。

先日も連れ合いに付き合って「池上番組」を見たが、なるほど、テレビの特性を充分に活用し、VTR、図表を駆使し、NHK出身の明快な活舌で「子供にも分かるように」解説されたら主婦のファンが増えるのも納得である。

ちなみにそのときの「解説」では、特にNHK風の偏向も気にならず、そのまま途中で寝てしまったのだが・・・。

池上氏も、NHKを離れて、引く手数多(あまた)の現状で、NHK風偏向のDNAが消え、目が覚めたのだろうか。

池上氏の「テレビ政治解説」が、エンタテーメント化したテレビワイドショーの政治番組に風穴を開ける存在になるのか。

しばらくは池上氏の動向に注目すべきである。

一昨日の参院選では各局、エースキャスターに大物ゲストを迎え狂騒がヒートアップしていたようだが、沖縄では放映されていない「テレビ東京」の選挙番組で池上彰氏が大活躍したとのこと。

同番組を見た「あんた何様?日記」さんが、紹介しておられるので勝手に引用させてもらった。

なるほど、引用の図解を見るだけで興味深い。

◆以下」引用。(太字強調と註は引用者)

テレビ東京(関西はテレビ大阪)の選挙特番が面白かった。










池上発言まとめ

・レンホーに「一番じゃないとダメなんですか?の通り二番になりましたね」
・タワラ(ママ⇒★註)に「柔道と政治両立できるんですか?試合と国会重なったらどっちにくるんですか?」
・中畑に「なべつねに言われたから出たんですか?」
古館が谷へのインタビューを規定時間よりも長くやってたらしく
 「どうやら他の局を考えずに話してる人がいるみたいですね
・公明の山口に「創価学会員の皆さんが菅さんを嫌ってるから連立組まないんですよね」
・民主党本部記者席ガラガラ状態を見て「なんかこう、お通夜の様な感じもしますが」

日教組、創価学会、労組の組織票とタブーな話もバンバン出るし

候補者や政治家への質問もけっこう鋭いものが多く、

民主党に対して嫌味や皮肉も多くて、

他の局だと局の意向で本心と違うことを言わされてるだけなのでしょうか

◆引用終了。

★註⇒ヤワラちゃんと思われる。

 

【言い訳】

筆者が見ていないテレビ、新聞、書籍等々を紹介してあるブログで、興味深いものは勝手に丸ごと引用させてもらっています。

場合によっては筆者の見た記事でも、筆者の及ばない興味深い切り口のブログも,丸ごとパクらせて貰っています。 一応パクリ元は明記しますが、承諾も得ずに勝手に引用させてもらっています。

承諾を待たない理由は、待っている時間の経過と共に別の興味のネタが出現し、承諾待ちのネタをボツにしたくなる場合があるからです。

もし、苦情があれば直ちに削除することは言うまでもありません。

以上、グダグダの言い訳でした。

【おまけ】

先ほど(8時45分頃~)、テレ朝の「スーパーモーニング」が各政党の支持団体をパネルに図解し池上彰氏のパネルをパ喰ったような解説をしていた。

今頃、遅いっちゅうの!

【おまけ・その2】

参院選沖縄地方区は4万の大差で自民党の島尻安伊子せが再選されたが、ペンギン市長の16年にも及ぶ専横支配で「左翼天国」と言われた石垣市を中心にした八重山地区は2月の保守市長の誕生以来、完全に「保守地区」に様変わりしたようある。

2月に市長選と同じく3808票の「大差」で圧勝とのこと。

自公ダブル当選に沸く 島尻八重山支部選対

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国民はバカではなかった!

2010-07-12 08:43:52 | 県知事選

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民主党の大敗、おめでとうございます!

あえて自民党大勝、と書かないのは昨日のエントリーでも書いたように、消去法で残ったら、結果的に自民党が大勝したというニュアンスが拭えないからである。

つまり、今回の民主党大敗は、鳩山素人内閣、菅市民運動家内閣が連係プレーでオウンゴールをしたといえるから。

自民党は、この勝利を自力によるシュートで勝ち取った勝利だと勘違いしたら、必ず国民のしっぺ返しを受ける。

勝って冑の緒を締めよ、とは今の自民党に当てはまる言葉だ。

昨日のエントリーで、「国民はバカ」を連発し、「バカは死ななきゃ直らない」で文を結んだ。

だが、やはり国民は、それほどバカではなかった。 学習能力をちゃんと発揮したのだ。

そう、国民は民主党が考えるほどバカではなかったのだ。

 

同時に沖縄県民も、バカでは無いことが投票結果に表れた。

今朝の沖縄タイムス一面トップは「民主敗北 過半数割れ」という白抜き大見出しの下に、次の見出しが躍っている。

島尻氏、大差で再選再選

山城氏に4万票差

島尻安伊子氏は昨年の総選挙で保守系の沖縄選出議員が、総崩れした中、ただ一人残った保守系(自民党)議員であった。

対する山城博治氏は、無所属ではあるが沖縄では一番人気の社民党が全面的に応援しており、新人とはいえ沖縄ではソノ道では有名人である。

その経歴を縁側さんのブログより引用すると、《元沖縄県庁職員で、県職労副執行委員長や自治労県本部副執行委員長などを歴任。また沖縄平和運動センター事務局長などに携わり、「平和運動」に取り組んできたようだ。》ということになる。

つまり、山城氏は、何かというと徒党を組んで、赤旗、赤鉢巻でで「○○反対!」とシュプレヒコールをする組織の親玉的存在である。

沖縄紙が常日頃報道する沖縄の状況だったら、山城氏こそ最も「沖縄の民意」を象徴する候補者ではなかったのか。

それが「僅差」ではなく「大差」で、自民党候補に大敗したことを見ても、沖縄県民は、沖縄メディアが考えるほど「バカではなかった」のだ。

一握りのノイジーマイノリティが本物のバカだったというわけ。

ところが、沖縄タイムスの総合面(三面)を見て、思わず吹いてしまった。

池野メダカがボコボコにされた後、「今日はこれくらいにしておいてやる」と嘯くギャグを思い出したのだ。

沖縄紙で「識者の意見」として必ず登場する左翼学者の江上能義早大大学院教授の談話を囲みつきで掲載。 次のような見出しをつけているではないか。

山城氏善戦、県民の怒りの表れ

同じ日の沖縄タイムス一面では、山城氏は自民党候補に大差で大敗と報じ、別の紙面では「識者の談話」とはいえ、「善戦」はともかく、「県民の怒りの表れ」はないだろう。 メダカさんじゃないが、この辺で勘弁して欲しい。

もう一つ、沖縄県民がバカではなかった証拠は、喜納昌吉民主党県連代表の余裕の落選である。

前稿で民主党が大敗したら、菅首相は頭を丸めて、喜納県連代表とコンビを組み、カンカラ三線でも弾きながらお遍路の旅でもするのがお似合いだ、と書いたが是非「懺悔の二人旅」を実行して欲しい。

                         ◇

昨夜は、民主党の過半数割れと千葉景子という現役の法務大臣の落選のニュースを聞いて、一応国民はバカでなかったことに安心し、早々に寝てしまった。

千葉景子といえば言うまでもなく、外国人地方参政権、夫婦別姓法案など外国人地方参政などに賛成した現職法務大臣。

それが落選するという結果こそ,国民はバカではなかった証拠である。

話は飛ぶが、先ほどTBS「みのもんたの朝ズバッ!」に、落選した喜納昌吉民主党県連代表が生出演して落選の弁を述べていた。

みのもんたの、「今後(落選後)はどのように進みますか」という質問に対する喜納氏の返答には、かじっていた塩煎餅を思わず噴出してしまった。

喜納氏は、ビートたけしに「本物(のバカには)負けるよ」と言わしめた、得意の首振りをしながら、こう言い放ったのだ。

「私は、これまで物を考えて行動したことはない」と。

さすが薬物経験者で国会議員にまでなった人物、言うことが意味深い。

これにはみのもんたも、ググッとつまって、「これからも頑張って下さい」という以外に対処法はなかったようだ。

 

今日も朝から猛暑のようで、早朝からセミの声が騒がしい。

「世界一危険な米軍基地」の近隣に住む宜野湾市民の筆者が、騒音に悩まされるのがヘリの騒音でなくセミの声というのも皮肉なもの。

「セミの騒音に悩む宜野湾市民」という現実は、沖縄紙を通してだけで「普天間基地」を理解しようとする方々には理解できないことであろう。

最後にもう一度くり返す。

民主党大敗、おめでとうございます。

本日の昼、那覇の某所で参院選の祝賀ランチ会を挙行するとのメールが入ったので参加することにした。

毎月集まる同級生の飲み仲間である。

だが、その7割は民主党支持者のはず。

それが何故祝賀会かって?

そう、理由は何でも「会」を挙行したがるのは、いつものこと。

とりたてて驚くことでは無い。

 

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♪バカは死ななきゃ直らない♪

2010-07-11 08:16:16 | 県知事選

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政治とカネ・普天間、首相「心配かけたがそれもクリア」(朝日新聞 2010年7月10日13時19分)

 菅直人首相は10日午前、福井県坂井市の街頭演説で「政治とカネとか普天間(飛行場移設)のことで少し心配をおかけしたがそれもクリアをして、いよいよこれから時計の針を進めようという時の選挙だ」と述べた。政権の出直し感を強調したかったようだが、両問題は「解決した」とは言い切れない状況だ。

 政治とカネ問題は依然として野党側が追及の構えをみせ、普天間問題は8月末の移転先工法などの決定を控えて地元から合意を取り付ける見通しは立っていない。

 また、首相は自身の消費税発言を巡る報道について「財政破綻(はたん)に陥らないため税制について議論する必要があると言った。そうしたら翌日の新聞が『菅直人が明日から消費税を上げるんじゃないか』と書いた」と釈明。「次の総選挙まで1円も上げない。このところだけ外して報道が流れた」と不満を漏らした。

                                                      ◇

「政治とカネ」と「普天間問題」はクリアしたって?

この男、国民の目はフシ穴だとでも思っているのだろうか。

もし本気でそう言っているのなら、この男の脳ミソはやはりスッカラカンで、一丁前にカンカラ三線を弾いていることになる。

「普天間移設」と「政治とカネ」を争点から隠し、「抱きつき消費税」で目くらましを計ったが、支持率急落のしっぺ返しを受けたのは一体誰だったのか。

最近では「消費税隠し」に大わらわで、後、隠すものといったら自分自身しか残ってない。

こんなと体たらくで、何が「政治とカネと普天間問題はクリアした」だ!

国民をバカにするのもいい加減にして欲しい。

隠してしまった「消費税増税」と同時に、消費税増税の根拠となっている「第三の道」も何処かへ隠してしまったではないか。

増税による収入を医療、介護、環境の分野に投入し、それで需要と雇用と消費を増加させ経済成長と税の自然増収を図るという「増税成長論」だったはずだが、ここでは深入りしない。

国民の最良の福祉は、国民の安全保障、即ち国防である、といわれる。

民主党の公約はどうせ実行する気の無い空手形だろうが、「普天間問題」は安全保障、国防の問題である。 これを封印しておいて財政再建も経済成長もないだろう。

国防問題を封印したままの選挙戦中に起こった、二大核保有国のわが国に対する外的脅威に菅首相は「外的脅威隠し」までしている。

ロシア軍が我が国固有の領土である択捉島で軍事演習を行ったほかに、中国海軍のミサイル駆逐艦とフリゲート艦が沖縄本島と宮古島の間を分断し、東シナ海から太平洋に向け航行した。 これらは日本の国防対処能力を見透かしたような挑発行動ではないか。

これら二大軍事大国の挑発行動に対し、本来国民の生命と安全を守るはずの菅首相は、何か一つでも首相らしい発言をしたか。

いくら選挙戦の最中とはいえ、国の最高責任者なら両国に対し国家主権や安全保障への確固たる姿勢を示してもらいたいものだ。

消費税やそれに絡む財政再建、経済成長等の国内的問題は全て争点から隠してしまい、外敵侵略等の国防問題まで隠してしまっては、過半数獲得もへったくれもないものだ。

そもそも国家観の全くない菅首相に「国家主権や安全保障への確固たる姿勢」を求めるのは魚屋にジュゴンの肉を求めるようなもの。

一刻も早く菅首相を退陣に追い込むのが我が国の安全保障にとって最善の策である。

■国民はバカか?■

「国民はバカ 」と、勇気ある発言する政治家は皆無である。

同じく「国民はバカ」と公言するメディアもない。

両者とも「民意」という幻影に脅えているからである。

だが、国民を一番バカにしているのは、実は政治家でありメディアであると何度も書いた。

そのくせ、政治家とメディアが、何かというと「国民はそれほどバカではない」と国民に媚びる理由は、政治家は国民を「票数」と見、メディアは国民を「視聴率」と見るからである。

財源の目途も立たないまま「子供手当て」等のバラマキで政権を取った民主党とそれを支援したメディアがその典型である。

で、実際に国民はバカだったのか。

はい、昨年の総選選挙では、実際にバカだった。

だが、バカでも程度の差こそあれ、学習能力がある筈だ。

だとしたら今回は民主党は大敗するはずだ。

では、今回、民主党が過半数取ったらどうなのか。

国民は本物のバカだったことになる。

バカな首相とバカな内閣にに指導される、バカな国民!

広沢虎三が唸っていた。

♪~バカは死ななきゃ直らない~♪

 

【追記】

政治家とメディアに代わって、条件付きながら「国民はバカ」と連発し過ぎた。 

おかげで、肝心のことを書き忘れていた。

これから参院選投票に行くつもりだが、沖縄では人気の社民党、共産党は問題外として、

消去法で行けば自ずと筆者の支持候補は分かるはずが、かと言って自民党候補を積極的に支援する気はない。

あまりにも沖縄メディアが作り上げた「民意」に媚びすぎるからだ。

まぁ、政治家先生も落選すればただの人になるので、マスコミに迎合する気は分からんわけでもないが。

でも、リベラルぶって国を売るような民主党に投票するくらいなら、消去法で自民党候補に賛成、・・・というより「是認」というところか。

 

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沖縄タイムスが差別報道!

2010-07-10 07:12:52 | ★米兵事件

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「差別だ!差別だ!」と声高に叫ぶ人間に限って、本物の差別主義者である、と何度も書いた。

本日のエントリーは沖縄タイムスが、本物の差別主義者であると、自ら暴露した内容である。

今年の3月、沖縄タイムスの一面と社会面を大見出しで飾った米兵による「ひき逃げ事件」をご記憶であろうか。

この「ひき逃げ」という報道について疑念を持った筆者は、次のエントリーをした。

沖縄の報道談合!米兵事故はひき逃げか当て逃げか

初めての読者は、先ず同エントリーで事件の概要を掴んでから、以下を読んでいただきたい。

米兵を書類送検へ 辺野古ひき逃げ
来週にも県警方針 車両実験など終了
沖縄タイムス 社会面  2010年7
月9日 10時08分     

 名護市辺野古で3月にあった米軍車両によるひき逃げ事件で、県警は8日、浦添市の米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー)内で、容疑者と特定している米海軍3等兵曹の女が運転していた米軍車両と同型の「ハンビー」を使用し、事件当時の速度やブレーキの効き具合などを実験した。

 捜査関係者によると、県警の捜査はほぼ終了、来週にも3等兵曹を自動車運転過失傷害や道交法違反容疑(酒気帯び運転、救護義務違反、事故不申告)で書類送検する方針だ。

 捜査関係者によると、3等兵曹は事件当時、言葉も話せないほど酔っており、現場で拘束した憲兵隊が病院で検査も受けさせていた。県警の調べに対し、3等兵曹は「基地内で飲酒し、運転した」などと容疑を認めているという。

 事件発生から約3カ月余り。県警はこれまで、任意で数回の事情聴取を実施。現場での実況見分をはじめ、事件を起こした米軍車両と被害車両からとった証拠品の鑑定、3等兵曹の酒気帯びが事件に与えた影響の鑑定などを基に供述の裏付け捜査を進めていた。

                          ◇

上記は今年の3月の「ひき逃げ」報道のフォロー記事である。

当時の報道によると、泥酔した米兵が軍車両を運転し、追突事故を起こしたが事故を放置して逃走した。

ここまでだったら当然「当て逃げ」と報道すべきなのだが、追突された自動車に怪我人が出たため(それと容疑者が米兵だったため)、沖縄タイムスはあえてこれを「ひき逃げ」と派手に報道した。

筆者は、これは「当て逃げ」ではないのかと、当時のエントリーで疑問を投げかけた。 

忙しくて沖縄の報道談合!米兵事故はひき逃げか当て逃げかを読む時間の無い方のため、同エントリーを編集加筆で要約して以下に再現する。

「ひき逃げ」という報道への違和感を、読者のとおるさんが指摘して下さっているが、同じく読者の石原昌光さんは新聞社に直接問い合わせをし、その様子をコメントして下さっていた。

沖縄タイムスの意図が透けて見えて興味深いので、再度ご両人のコメントを紹介する。

◆とおるさん

> 米軍車両が名護市に住む軍雇用員の男性(45)が運転する3人乗りの軽自動車に後ろから衝突した。この事故で軽自動車に乗っていた2歳の男児が顔に軽いけがを負った。
>  県警がひき逃げ事件として逃走した車両を捜索していたところ、

「ひき逃げ」では無く、「当て逃げ」では?

 

◆石原昌光さん

 とおる様、私もそう思いまして、今朝「っつても10時ですが、、、」沖縄タイムスに確認の電話を入れました。
私:今朝の朝刊の、辺野古の事故の事で質問があるのですが?
記者:は?
私:あのー米軍車両と民間車の追突事故、、、
記者:あーあの、当て逃げ事故ですね
私:そう、その当て逃げ事故ですけど、紙面では、ひき逃げになってますよね?
記者:、、、、、、、、ああ、そうですね。
私:あれ、当て逃げの間違いじゃないですか?
記者:<少し私の発言に喰い気味に>いや、あれは、広い意味ではひき逃げと言う意味ですね!
私:いや、やはり、当て逃げですよ。広辞苑によるとですよ。当て逃げ、衝突事故を起こした自動車・船が事故処理をせずにその場から逃げ去ること、ほら、今回の状況にピッタリですよ?
記者:まぁ、そうなんですけど、意味を広く捉えるとひき逃げなんですよ、、広く捉えると!
私:でも、だれも轢かれてはいませんよね?車内にいたんでしょう
記者:<また喰い気味>いや、でも子供さんが怪我をしてますから、広い意味では、これは、ひき逃げと、、、
私:確かに子供が、怪我をしてますけど、別に当て逃げでも怪我をする事は有りますよね、追突の衝撃、、、
記者;いや、もう、ですから、広い意味でのひき逃げなんですよ!!!
私:広い意味でのひき逃げですか、、、分かりました。
記者:広い意味なので、一つ、そういう事でご理解願います。
そういう事らしいです。<小>左翼って、広い意味ってマジックワードが好きですね。
慰安婦問題も広義の強制、集団自決も軍の広義の強制、、、多分、教科書問題も文科省の広義の強制でしょう。

                 ◇

この追突事故を新聞が「ひき逃げ」と書くのはどう考えても不自然である。

コメント欄には道路交通法を根拠にタイムス報道を擁護するコメントがあったが、新聞の一般的読者は、六法を片手に新聞を読むわけではなく、常識で読む。

常識で言えば、今回の追突事故から「車輪の下に踏みつけて通り過ぎる」という「ひき逃げ」のニュアンスは感じ取れない。

これが起訴され裁判となった場合、検察側が「酒気と逃亡」という悪質性を強調するため、「逃亡した」のだから、ひき逃げに相当すると主張するのなら理解できる。

罪の軽い「当て逃げ」を、より罪の重い「ひき逃げ」にするための検察側の法廷戦術の一種として理解できるのだ。 

だが今回の場合、加害者が追突そのものは認めても「負傷者がいるとは知らなかった」と主張すれば、検察がこれを覆し「ひき逃げ」相当に持ち込むのは困難ではないのか。

今回の追突事故は決して良くある通常の追突事故ではなく、酒気の上加害者が被害車両を放置して逃走するという極めて悪質な「事件」」である。

だからと言って新聞が一般読者に対し、当初から検察まがいの予断で読者を惑わすのはいかがなものか。

沖縄二紙も地元テレビこの追突事故を横並びで「ひき逃げ」と報じているが、これは報道談合ではないのか。

いや、これこそ異論を許さぬ沖縄独特の全体主義ではないのか。

沖縄メディアだけではない。

全国紙も沖縄二紙に追随している。 

全国的な報道談合である!

だが、この全国的な報道談合に逆らって、記者の「国語能力」を主張し、「当て逃げ」と報じた気骨のメディアがあった。

筆者の調べた限り次の二例。

またか!女米兵 辺野古で飲酒当て逃げ [ スポーツニッポン 03月18日 ]

下士官の女、米軍が拘束=当て逃げ、飲酒運転か-沖縄 時事通信 03/1722:11)

                       ◇

さて、これまでは前置きで、これからが本論である。(いつも前置きが長い?汗)

その後、多くの読者から、沖縄タイムスは、過去に沖縄人が起こした同様の追突事故を、「当て逃げ」と報道した例がある、との情報を頂いたが、今さら過去の例は、沖縄タイムスはどうにでも言い訳するだろうと考え、ずぼらしてそのまま放置していた。

ところがである。

上記「ひき逃げ報道と同じ昨日の沖縄タイムスの第二社会面に次のような記事が掲載されているではないか。

酒飲み当て逃げ

容疑の男を逮捕   嘉手納署

酒気帯び運転でバイクに追突し、現場から逃走したとしたとして、嘉手納署は8日、道交法違反(酒気帯び運転・事故不申告)の疑いで、那覇市辻の会社員、上地栄太郎容疑者(22)を現行犯逮捕した。 追突されたバイクの運転手は、右ひざを打撲したという。 同容疑者は酒を飲んだことは認めているが、バイクへの追突については「何かにぶつかったような気がする」とあいまいな供述をしているという。(沖縄タイムス 2010年7月9日)

これは過去の記事ではない。

冒頭に引用の米兵による「ひき逃げ」と同じ沖縄タイムスの紙面に、しかも同じ日(9日)に掲載されている記事である。

二つの「事件」は同じ追突事故で、事故の状況は次の条件のどれを取っても全く同じである。

(1)酒気運転、(2)追突事故、(3)逃亡、(4)被害車両に怪我人

ただ一つ違いを挙げれば、片方は容疑者が米兵で、一方が容疑者沖縄人という違いである。

沖縄タイムスは人種によって報道の姿勢が大きくことなる、つまり人種差別主義者であることを自ら暴露したのが二つの追突事故の報道である。

沖縄タイムスは同じ追突事故であっても容疑者が米兵というだけで、一面と社会面のトップを使って大々的に報道し、しかも違和感のある「ひき逃げ」と決め付けている。

一方の沖縄人による同種の事故は、第二社会面の最下部に見逃しがちなベタ記事で、しかも「当て逃げ」と報じているではないか。

これこそ人種差別による差別報道ではないのか。

沖縄タイムスよ、恥を知れ!

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沖縄タイムスに恥じの持ち合わせは無い、と思う方もプチっと。

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完・勝負あった!集団自決 「因果は巡る」

2010-07-09 07:42:22 | ★集団自決

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昨日に引き続いて、『正論】7月号に掲載の藤岡信勝拓大教授の論文「沖縄戦『集団自決』 控訴審判決の誤診を糾す」の最終部分の引用です。

                おわりに

宮平は、大阪高裁の法廷に「這ってでも行って、梅澤さんの無実を証言したい」と漏らしていた。
弁護団の方針で、宮平の証人尋問が行われなかったのは、返す返すも残念である。 控訴審判決は、「控訴人の訴訟代理人は、期日前にには、当審で宮平秀幸の証人調べを求めるとしていたが、結局、証人申請はなされなかった」と書いてある。 法廷で宮平が証言していたら、裁判所は窮地に追い込まれた可能性がある。 証人申請を出せないほど、自信がないのだろうと思われても仕方がない。 裁判官は安んじてデタラメな判決を書くことが出来たわけである。
しかし、手弁当の弁護団が訴訟を提起してたたかったことは、歴史的快挙であったことに変りはない。
「因果はめぐる」というが、この訴訟が提起されたことが、教科書検定意見のきっかけとなり、それに反発した沖縄の大騒動がおこり、それに危機感をいだいた宮平が誰に相談するでもなく、真実を語ろうと決意するようになったのだから、結局、訴訟を提起するという能動的行為こそが現実を動かしたのである。 このことを忘れてはならない。 
今後、私は、チャンネル桜などの協力も得て、座間味村役場に貞子証言のテープの公表を求めるとともに、宮城晴美に事情の説明を求めたい。 そして、座間味島集団自決の説明を求めたい。 そして、座間味島集団自決の全貌を解明したいと考えている。(完)

                        ◇

前稿で、今「澄江証言」で、一番戦々恐々としている人物は宮城晴美氏と安仁屋政昭沖国大名誉教授の左翼師弟コンビであろう、と書いた

何しろ藤岡教授は、貞子証言を収録した座間味村役場に貞子証言を収録したテープの公開を求めているのだ。 

沖縄戦史の検証のため証言者の録音テープの公開を求める大学教授の要請を村当局が、断る理由はないはずだ。

テープが公開されたら宮城晴美氏の捏造工作が白日の下に晒されることになる。

それでも宮城晴美氏が貞子証言の捏造に無実潔白だというなら、テープの公開に協力し、藤岡教授の疑問に答えるのが『母の遺したもの』の著者として多くの読者に対する責務ではないのか。

 

沖縄タイムス、琉球新報を中心に左翼学者達で幾重にも張り巡らせた沖縄のサヨクネッチワークが、いかに歴史の真実を隠蔽・捏造しようと画策しても、これまで天の配剤とも言える出来事が幾度となく彼らの虚偽を暴いてきた。

全体主義の島沖縄で、真実を語ることがどんなに難しいことを知りながら、宮平秀幸さんは、島の空気に逆らって真実の証言をした。

宮平さんが真実の証言をしたからといって、得をすることは何一つ無い。

それどころか、証言をして以来自分が経営するペンションに関しても村の住民や学校教師などの村八分を受け、宮平さん自身が多くの経済的打撃を被っていると聞く。

その宮平秀幸さんの苦境を見聞きしている村人が、新たに真実の証言をするというのは非常に困難なことと思われた。

そんな矢先の、今回の大城澄江さんの証言である。

まさに、天網恢恢疎にして漏らさず、天知る地知る、澄江知る、である。

ここに筆者は天の配剤を感じたのである。

宮平さんが、2001年の毎日新聞での証言以来、沈黙を守っていた。

それが2007年、再度真実を語るように宮平さんを決意させた動機は一体なんだったのか。

その経緯を詳述した藤岡信勝拓殖大学教授の論文『座間味島集団自決の証言者・宮平秀幸さんとの出会い』(歴史論争最前線より 08/2/25掲載記事)より引用する。

前略)

◆宮平さんはなぜ証言を決意したか

宮平秀幸さんは昭和五年1月10日、座間味島で父・宮平秀松と母・貞子の間に生まれた。梅澤隊長は軍命令を出していなかったことを後に証言した宮城初枝は腹違いの姉、秀幸さんは初枝の弟にあたる。秀幸さんのきょうだいは姉の初枝と、母を同じくする6人の兄弟姉妹からなる。ただし、初枝は母に連れられて実家に帰っていたから、秀幸さんと初枝は同じ家に住んで育ったわけではない。ただ、秀幸さんの家と初枝の家は隣同士だった。初枝の手記に登場する美恵子は、初枝とは父が異なる同腹の姉妹である。このあたり初枝の家庭事情は複雑だが、本筋に関係ないからこれ以上立ち入らない。

秀幸さんの父・秀松は秀幸さんの生後10ヶ月の時、南洋のトラック島に鰹漁に出かけた。秀幸さんが物心ついたころ、母も父のもとに行くことになったので、秀幸さんは主に祖父母に育てられたといってもよかった。祖父母の愛情を受け、たいそうかわいがられた。秀幸さんは間違ったことを嫌うまっすぐな性格に育った。

秀幸さんが14歳の昭和20年1月1日、座間味で郷土防衛隊が組織され、秀幸さんもその一員となった。同月10日には15歳になる。彼はいつしか梅澤隊長の本部付きの伝令員をつとめるようになった。といっても、防衛隊は法的根拠のないもので正規の日本軍の一部ではないから、伝令員としての正式の辞令が出たわけではない。ただ、機敏で現地の地理に詳しい少年が重宝がられたことは確かであろう。

こういう立場の伝令員の少年は秀幸さんの他にも数名いた。同年配の村の少年たちにとって日本軍はあこがれの存在であり、軍の壕に出入りし、軍から与えられた任務を張り切って果たすべく村中をはだしで飛び回っていた。梅澤隊長は秀幸さんを「あんちゃん」と呼んでいた。戦後30数年ぶりに二人は再会したが、当時那覇泊港と座間味島を結ぶ連絡船の機関長をしていた秀幸さんをすぐに認めて、梅澤さんは「あんちゃん」と呼びかけたという。  

初枝の証言をもとに晴美が書いた著書には、秀幸さんの証言と矛盾する箇所がたくさんある。秀幸さんは初枝に、「姉さん、本当のことを言わなければ駄目だよ」と繰り返し意見していた。

宮平さんは、大阪の名誉毀損訴訟の証人になることを2年前には固辞していた。なぜ、心境が変わったのか。それは昨年の教科書騒動で、嘘が歴史になることに耐えられなかったからだという

25日、ツアーの一行が高速艇で座間味港に着いた時、二人の島民が私に抗議文めいたものを突きつけた。それを同じ高速艇に乗り込んでいた沖縄タイムスの吉田啓記者が横から写真に撮った。島民の一人は宮里芳和という人で、夜、彼の経営するパブに行って真意を聞いた私達の到着時刻は沖縄タイムスの編集委員・謝花直美からの連絡で知った。彼は昭和23年生まれで、隊長命令のことはわからないと弁解した。ところが、翌日の沖縄タイムスの記事には、座間味島民が藤岡に抗議文を突きつけ、隊長命令があったと彼が語ったことになっていた地元紙による歴史偽造の現場に立ち会った私は、彼等が最も恐れていた人物にめぐりあったことになる

                      ◇

2001年の毎日新聞への取材を最後に沈黙を守っていた宮平さんが、島に蔓延する同調圧力に立ち向かって、再度証言する決意をしたり理由が、2007年の「11万人集会」の大騒ぎだったという。

全国を騒がした「11万人」の数字捏造による左翼勢力の歴史隠蔽運動が、宮平さんの危機感を突き動かし、逆に歴史の真実を白日の下に曝す結果になるとは皮肉なものである。

 

【おまけ】

■大城澄江さんは以前にも証言していた

問座間味島の集団自決生き残りとして、大城澄江さんは2007年に沖縄タイムスの取材を受けていた。

だが、島の同調圧力を恐れた当時87歳の澄江さんは、「軍命」に関しては曖昧な証言しかしていなかった。

ところが捏造を得意とする沖縄タイムスは、「軍命令があった」とは明確に証言していない澄江さん(87歳)の証言を巧妙に「軍命令があった」と印象操作している。

当時25歳だった大城澄江さん(87は座間味島への米軍の艦砲射撃が始まり、友人4人と避難中、壕内で「忠孝碑の前に集まれ」との声を聞いた。一度は忠孝碑の前に行ったが、その後、逃げ回っている途中で日本軍に遭遇、手りゅう弾を渡された。逃げ場を失い、自決しようとしたが爆発せず、生き延びた。≫(沖縄タイムス 2007年7月7日

>米軍の艦砲射撃が始まり、友人4人と避難中、

>その後、逃げ回っている途中で日本軍に遭遇、手りゅう弾を渡された。

小さな島を取り巻いた敵艦の艦砲射撃で村民は、完全にパニックに陥り、忠魂碑前から四散した。

澄江さん達が逃げ回っている最中に日本兵に遭遇し、手りゅう弾を渡されたのは、その日本兵の思いやりではなかったのか。

「鬼畜米英」は女子供を強姦し八つ裂きにして殺されると信じていた島民にとって、敵に捕らわれるより自ら命を絶った方がましだと考えても不思議ではない。

だが、自ら命を絶つ手段が無い。

遺された最後の手段は「舌を噛み切る」以外には無かったのだ。

パニック状態で逃亡中に遭遇した日本兵から貰った手りゅう弾に地獄に仏と考えるのがそのときの状況だろう。

このパニック状況から、「軍の命令で自決した」と言う絶対服従の状況はどうしても想像できない。

パニックで「軍命で自決する」ような規律は既に崩壊していたのだ。

数多く証言はあっても「軍命令があった」という証言はない■

2007年当時、沖縄タイムスは「続々出てくる証言」と、大見出しで煽ったが、悲惨な体験の証言はあっても「軍命令があった」と言う証言はただの一つもなかった。

少なくとも沖縄県議団文教厚生委員の聞き取り調査を受けた大城澄江さん(87)(上記記事)は、「軍命令があった」とは証言していない。

 ■島民は死ぬ手段を捜し求めて島を彷徨った■

最近の証言では女子学生が日本兵に、自決のための手りゅう弾を「おねだり」して、断られたという例もあるくらいだ。

弾薬装備の貧弱だった日本兵が貴重な手りゅう弾を「これで自決せよ」と住民に配布したとは、当時の状況を知らない者の推測に過ぎない。

沖縄タイムスが捏造した上洲幸子さんの記事でも、自分で命を絶つ手段が無く、切羽詰って殺ソ剤(ネズミ殺し剤)で死のうと思ったと証言している。

このような状況で逃亡中、手りゅう弾をもらったら少なくとも「軍命令」というより「渡りに舟」の心境ではなかったのか。 

 《上洲幸子さん(84)は母ら4人と壕に避難。母は殺ソ剤での自死を主張したが、上洲さんが「逃げられるうちは逃げよう」と訴え、島内を歩き回った。ため池近くに村民や日本兵がおり、梅沢裕部隊長の姿もあった。梅沢部隊長は村民を集め「米軍は上陸して、どこにでも入り込んでくるから、もし敵に見つかったら舌をかみ切って死になさい」と話したという。》(沖縄タイムス 2007年7月7日)

注:上記記事で赤字の部分は、後に「沖縄タイムスの捏造」ということが判明し、小さな訂正記事で誤魔化している。

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首相はカンカラ三線の名人?

2010-07-08 20:15:28 | 県知事選

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消費税「1ミリもぶれてない」=首相
 菅直人首相は8日午後、参院選後に消費税引き上げに向けた超党派の協議に入りたいとした方針について「1ミリたりともぶれていないし、1ミリたりとも後退はしていない」と強調した。同日の鹿児島、熊本両市での街頭演説で、首相が消費税に触れなかったため、記者団から「方針転換したのか」と問われ、熊本市内で答えた。
 首相は「議論の中で(消費増税が)まとまったとしても、次の総選挙の前に実施するのではなくて、次の総選挙で国民の皆さんにきちんと判断していただいた上で、その了解があった段階のことだ」と語った。 (時事通信 2010/07/08-15:58)

                        ◇

鳩山前首相は「普天間移設」と「政治とカネ」で「挫折」し、

首相の座を去った。

後を継いだ菅首相は「二つの挫折」に対処する術はない。

ひたすら「小沢隠し」と「普天間隠し」で、とりあえず参院選を乗り切ろうと目論んだ。

自民党の消費税増税のマニフェストに渡りに船と相乗りして、国民の関心を「普天間移設」と「政治とカネ」から、ずらそうと目論んだ。

だが支持率の急落で、今度は「消費税隠し」に必死の有様。

消費税に関し、首相の口から、「1ミリたりともぶれていないし、1ミリたりとも後退はしていない」と強弁しても、信じるものはいないだろう。

鳩山前首相が国民にウソをつき続けたことを、各紙は一斉に批判の矢を放ったが、産経の5月14日付「主張」は、まるで最近の菅首相の迷走発言に対しての批判のようにも見える。

「政治は『信なくば立たず」(論語)だ。 国民の信頼がなくなったら政治は成り立たない。 首相としての信を失っている」(14日付主張「約束を守れぬ首相は辞めよ」)と前首相に辞任を迫っていた。

菅首相の言動を見ていると、マニフェストに書かれたことを実行する気配はなく、むしろ書かれていない外国人地方参政権等の「裏マニフェスト」を強行採決する気配が見え隠れしている。

【追記】週刊新潮によると、これに夫婦別姓法・人権侵害救済法を加えて「三杯の毒」というそうだ。民主党に投票するには「三杯の毒」を飲む覚悟が必要とのこと。⇒文末「おまけ」参照。

民主党きっての論客として登場した菅首相だが、蓋を開けてみたらイラ菅、ズル菅、逃げ菅はともかく、中身の無い空き缶、いや、スッカラ菅であることが判明してきた。 

民主党信者には、これら中身の無いそぶりは菅氏独特の三味線だという向きもある。

だが、三味線を弾くのなら沖縄に謝罪の意味で「菅カラ三線」、じゃなく,カンカラ三線でも上手に弾きこなして欲しいもの。

三線の勘所は、1ミリでもぶれたら音は狂ってしまう。

ちなみに「カンカラ」とは沖縄語で「空き缶」のこと。

菅首相の正体を言い得てミョウである。

首相就任の際、菅首相によって「しばらく静かにしておいた方が・・・」と「小沢隠し」された小沢一郎前幹事長だが、

菅首相の消費税発言には、たまりかねて次のように首相批判を始めた。

「わたしは政府に入っていないので、政策決定に口出しをする立場ではないが、民主党は政権党になったのだから、国民と約束したことはなんとしても守らなければ、社会は成り立たない。これでは国民に結果としてうそをついたことになる

さらに一段と言葉を荒げて、こうも言い放っている。

「『政権をとったら、金がなかったのでできません』などと、そんな馬鹿なことがあるか。約束したことは守るのが政治であり、約束できないなら言うな」と。

発言者を明示しなければ、元民主党代表の発言とは到底思えない発言ではないか。

菅首相から「しばらく、静かにしていろ」と言われた小沢氏だったが、さすがに静かにもしておれないと悟ったのか、口を開いたら、野党も驚く首相批判の連続である。

まぁ、党内の二大実力者が共食いを始め、党内分裂に至れば日本の国益に適うことなので精々喧嘩でもしておればよい。

鳩山前首相は「普天間移設」で迷走したが、菅首相の消費税を巡る迷走振りは目に余るものがある。

前回総選挙のマニフェストで、民主党政権では消費税率を4年間上げないと約束していたはずだが、6月21日の菅首相の記者会見では次のように変化していく。

「増税しても、そのお金を正しく使えば景気は良くなる」と。

そもそも「成長戦略が無い」といわれていた民主党が、「正しくお金を使う術」を知っているとは考えられない。

「子供手当て」や「農家の所得補償」等への支出を「正しくお金を使った」と言えるであろうか。

単なる選挙目当てのバラマキ政策だということは、今では民主党支持者でも承知していることだ。

仮に、消費税を増税しても、その分を支出して財政が立ち直るほど景気が良くなる魔法のような「腹案」が菅首相にあるのか。

あるなら、何故「消費税隠し」に走るのか。

堂々と消費税論議に応じれば良いではないか。

そもそも、40兆円余の新規国債を発行しているにもかかわらず、なぜ他の支出に手を着けないまま、「子ども手当」だけに財源の手当てが必要だというのか。

他の支出の財源は国債によって賄われているのに、なぜ民主党の看板である「子ども手当」に財源がないとして増税に走るのか。

国民は納得しないであろう。

参院選まで後二日だ。

これから菅首相の「嘘」と「ブレ」がますますエスカレートすることが予測される。

だが国民はこれを許してはいけない。

民主党が参院選で大敗して、解散総選挙に追い込まれ、一日も速く政権を明け渡すこと。

これこそが、日本の国益に適うと思う方、ご支援をお願いします。

その後の菅首相の進む道はって?

心配ご無用。 

頭を丸めた四国お遍路の旅も残っている。

他にも道はある。

三線の達人・喜納昌吉県連会長に、「カンカラ三線」の手ほどきでも受ければよい。

そして「♪ハイサイ オジサン♪」でも弾きながら、

「カンカラ三線の二人旅」としゃれ込むのも、絵になると思う。

最後のおつとめは、

国民の前から「菅隠し」すれば良い。

 

【追記】 以下は転載自由です。

◆◇◆◇◆

週刊新潮 2010年7月15日号(2010/07/08発売)
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20100708 週刊新潮 中吊り広告

※以下は記事より一部をご紹介
目下、参院選の真っ最中だが、民主党が過半数を握った暁には天下の悪法3法案が国会通過を待っている。
しかも、菅総理、参院選マニフェストにその3法案を謳わず、国民の目を欺いていた。
背任行為に違いないが、3杯の毒を食らう覚悟をせなばならないのか。


目次はこちらをご覧ください。
http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/newest/

◆◇◆◇◆

(転載は以上)


 

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続々・勝負あった!集団自決論争、澄江証言の衝撃!真実に脅える師弟、 

2010-07-08 06:40:59 | ★集団自決

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最高裁判決に決定的影響を与えると思われる「澄江証言」の登場。

発掘者である藤岡信勝拓大教授が、解説論文を雑誌『正論』寄稿している。

論文の前半は「澄江証言」が裏付けした「宮平証言」の解説になっているのでそこは省略し、後半の「大城澄江の証言」の部分を全文紹介する

『正論』7月号掲載論文 

沖縄戦「集団自決」控訴審判決の誤診を糾す  

拓殖大学教授藤岡信勝

(前略)

大城澄江の新証言

私は以前に、大城澄江に面会したことがある。 2008年2月、世界日報記者・鴨野守とともに座間味住民の証言を集め始めた時、出会ったお年寄りの一人であった。 その時は、第一戦隊長の・梅沢裕少佐が村の女子青年のあこがれの的であったことを、相好を崩して話していただいたことが印象に残っている。 しかし、その当時は、澄江が今回のように沖縄集団自決訴訟の控訴審判決を根底から覆す決定的な証言の証言者のポジションにあることなど想像も出来なかった。 
大城澄江は大正9年1月20日生まれで、現在、90歳の高齢である。 集団自決があった65年前の昭和20年3月の時点では、25歳であった。 当時は旧姓・宮平澄江で、学校の職員をしていた。 
澄江の名前は、宮城晴美著『母の遺したものー沖縄座間味島「集団自決」の新しい証言』(平成12年、高文妍)に収録された宮城初枝(当時24歳)の手記の中に登場する。本部壕を去るとき、村の重要書類を忠魂碑前に運んで焼却するように助役の宮里盛秀から命じられた宮城初枝は、4人の青年達に仕事を手伝わせ、そのあと、5人で米軍包囲下の村の中を逃避行する。 その5人組の一人が大城澄江だった。 初枝の手記には次のように書かれている。
《私はそこにいた宮平初枝さん(25歳)、小嶺つる子さん(22歳)と弟の茂さん(17歳)、そして妹の美枝子(22歳)に事情を話し、5名で役場の壕から重要書類(土地台帳)を持ち出し、忠魂碑の前に運ぶことにしました。
1回はどうにか運びましたが、2回目の時、突如飛来した照明弾が、私たちの頭上をパーッと明るい光線で照らし、ゆっくり落ちてきました》
澄江は初枝らとともに、忠魂碑前に来たことになる。 その時、澄江は秀幸とその家族に会っていたいたというのが、今回の証言のポイントである。 
5月1日、午後2時半ごろ、大城澄江は簡易椅子を押しながら忠魂碑前にやってきた。 インタビューは忠魂碑を背にして行われた。 以下、私の質問は「--」で示し、( )は前後の文脈や意味を補うために付け加えたものである。 


【山に行ったら、(小嶺)つるさん、私、初枝さん、美枝(子)さん、(小嶺)尚弘さん(当時は茂。戦後改名して尚弘)、この5名いっしょになって逃回って、あと、こっちまで来たんだけど、こっちは初枝さんが・・・・

ーーここは忠魂碑前、(地元の名前では)マカーですよね。 マカーに来るようになったのはどうしてですか?

だから、壕の中にいるときに、みんな呼びかけて、あっちに集まりなさいということだから、自分らは勘違いして、米の配給かねーと思って、農業組合(名称変更で後に産業組合)の店があって、米はこっちの上に積んでいたから、ああ、これとりに来なさいというんだねーと、(忠魂碑前に)集まったら、誰も来ない。 マカーで米の配給があるかなーと思って自分から先に来たら、待っても待っても誰も来ない。 シーンとしている。 初枝さんが待っている間に役場の書類こっちにあるから、こっちからどんどん出してきたら、バラバラ飛ぶものがあって、聞いたら土地台帳だったって、みょうにち(翌日)は、バラバラと風に飛んだ。 

ーー土地台帳、どこに置きました?

この辺(忠魂碑の手前2メートルほどの草の上を両手で示しして)に持ってきたんですよ。 初枝さんは役場のかただったから、「壕があるから命令でこっちに積んでおこうね」と言って、土地台帳しかわからなかったけれど、一人ひとり行ったり来たりして運んで、そうしているうちに、秀幸さんたちに会ってね。

ーー秀幸さんだけですか? 家族?

家族、会ったから、誰も来ない。 自分らは初枝さんの

家に整備中隊の団体がいたから、もしどこにもいけなかったら、整備中隊の壕に行きなさいといわれていたって。 もうこっちにいても誰も来ないから。(秀幸の)家族、会ったんですよ。

ーー覚えている人は、どんな人?

おばあさん(貞子)、秀幸さんと、千代さんはあとから来たね。

ーー千代さんにも会ってる?

千代さん、(米軍の)捕虜になってから、あとから合流して、あばあ探して山に来た。 こっち(忠魂碑前)にいる時はね、もう(千代を)チラッと見たけれども、もう逃げる考えさね(逃げることに気がとられていた)。 自分らは初枝さんらの整備中隊の壕に・・・

ーーもう一度聞くけど、この忠魂碑の前で、秀幸さんと、お母さんの貞子さんと、千代さんはチラッと見る程度で、まあ、話はしなかったけれど・・・。

そうそう。

ーー要するに、秀幸さんの家族がここにこられて、その夜、会っているわけですね。

会って、また別れて、自分らは整備中隊の壕に行こう、あっちには何もかもあるから、万が一のことがあったら、あっちに行きなさいといわれていたから】

右のように、大城澄江は、昭和20年3月25日の夜、忠魂碑前で宮平秀幸とその家族に会っているのである。 控訴審判決が誤判であることが証明された瞬間であった。
澄江が運んできた土地台帳の書類を、秀幸は忠魂碑の台座の上に置き直した。 どこからどこに運んだか、澄江と秀幸で、現場検証が行われた。 忠魂碑の台座にのせられた書類の一部は、3月26日に上陸した米軍が撮影した忠魂碑の写真ではっきり確認できる。
この時、忠魂碑前で、初枝は千代に、「ここにいたら殺されるからいっしょに山に逃げよう」とさそったが、千代は昌子をおぶっていたので、ことわった。 秀幸はそのやりとりを、そばで聞いていた。
なお、右の澄江証言に関連して、重要な発見があったので書いておきたい。 澄江は証言の中で、しきりに、忠魂碑前に「誰も来ない」とくり返している。 「誰も来ない」という言葉を字義通りに解釈すれば、秀幸とその家族がそこにいたいたことと矛盾する。 だから、この言葉が字義通りでないことは明らかだ。 はなし言葉でしばしば用いられる一種の誇張表現で、米の配給を取りに大勢の人々が集まっていると期待していたのに、その期待に比して、ほとんど人がいないということであろう。
それにしても、80人の村人が忠魂碑の前にいたという証言とは矛盾する。 現地調査で確認できたことだが、忠魂碑に来た村人、忠魂碑に向かって右手にあるに、大きな日本のマツの木の下に、家族単位で身を寄せ、ひそんでいたのである。秀幸の家族の後ろにも、大勢の家族がいた。 しばしば米軍の証明弾があがり、真昼のように照らし出されるので、敵に見つからないように身をかくしていたのである。 
それに加えて、あたりは硝煙がたちこめて、視界が悪くなっていた。 「忠魂碑前に来たが誰もいないので引き返した」という証言が多数出てくる理由は以上のような事情も反映したもので、本当に人がいなかったとは限らない。 今後は証言の読み方を変えなければならない。

捏造された「座間味村史」

一体、貞子の証言は、どのような状況の中で記録されたのだろうか。これについて、今回、秀幸の妻・照子の証言と、秀幸自身の(二度目の)証言とを得ることができた。
「座間味村史・第三巻・証言編」は、1989年8月に発行されている。 貞子の証言が記録されたのは、おそらくその前年、1988年のことであると想定される。 証言の当日、貞子は、午前中に役場に出かけてソンシの編集者担当者のインタビューを受け、昼頃、長男・秀信の家に帰ってきた。 ちょうどその時、フェリーの機関長をしていた秀幸と、妻の照子が秀信の家にいて、役場から帰ってきた貞子の愚痴を聞いていた。 以下は照子の証言である。

【ちょうど長男の秀信さんが、縁側にすわって、ナイロンの釣り糸とか釣り針とか、海の道具を準備していました。 そこに私も、ななめ横のほうに子供をだっこして立っていました。 横のうしろのほうに、じいちゃん(秀幸)が船に勤めていましたが、帰っていたんですよ。 それで、ばあちゃん(貞子)が役場のほうから帰ってきましてね。
午後12時半くらいじゃなかったかと思います。
「あんまよ、ま、ちかれて(疲れて)、もう、くり返しくり返ししゃべらされて、もう疲れた」って、おばあ(貞子)、言ってたんですよ。 「『ん、まあ、しゃべっていい。 こっちはしゃべっていけない』って、こんなにして、まあ、何回もくり返させられて、ああ、もう疲れた」」って言ってたんですよ】
すでに、8月7日付けの宮平秀幸陳述書には、「母はテープに証言を吹き込む取材を受けたとき、『そこはストップ』、『はい戻って』などとくり返され、終わって帰ってきてから『「ああ、疲れた』とこぼしていました」という一節がある。 今回、改めて次の秀幸の証言を得た。
【時期ははっきり覚えていませんが、とにかく夏でした。 兄貴(秀信)がちょうどトローリングの時期で、桟橋に定期船が入港した時に、「兄さん(秀信)は今朝からサワラとってきて、きのうからずっと大漁しているよ」って(誰かが)言うもんだから、お昼休みに桟橋を降りて兄貴の家に寄ったのです。 兄貴と釣り道具の話をしている時に、おふくろ(貞子)が帰ってきたんです。 帰ってきたのはお昼ごろではなかったかと思いますがね。
「お母さん、どこに行ってたの?」と言ったら、「ああ、もう、疲れてクタクタだ」と言ったから、「何で?どこに行っていたの? 畑の仕事をやっているわけでもないのに、疲れたというのは・・・)(ときいた。 すると貞子は)「そうじゃないよ。 役場でのインタビューがね、何が何やらわからん。 戦争のことを話そうとしたら、話を進めていくのだが、『ここやっていい。 ここ、わるい。はい、また進めなさい。 はい、また振り出しに戻して』、やり直しやり直しさせられて、疲れてコテンコテンになっている。 ゴーヘイバック、ゴーヘイバックというのはこんなもんだろう」と言われたんですよ】

長男・秀信の家で聞いた母・貞子の愚痴の内容について、秀幸と照子の証言はは、右の傍線のとおり、全く一致している。 テープレコーダーに録音しているうちに、貞子が忠魂碑前に家族で行ったことをつい話してしまうので、テープを何度も止めて巻き戻し、インタビューをやり直す様子が目に浮かぶようだ。秀幸の証言通り、「忠魂碑前のことはしゃべるなと役場で取り決めて」、貞子に禁じていたことは間違いない。 村ぐるみの歴史の偽造が行われていたのである
宮城晴美は、大阪高裁に提出した陳述書の中で、次のように書いている。
《私は昭和60年[1985年]から四年あまり、座間味村役場の委託を[受けて、『座間味村史』全三巻の編集・執筆に携わりましたが、昭和63年1月頃から「村民の戦争体験」を」まとめるため、ご自身では書けない高齢の方々から証言の聞き取り調査をはじめました。
村ぐるみの歴史の偽造の中心人物は、宮城晴美その人だったのである

                     

沖縄戦史の改竄を企む沖縄二紙等の左翼勢力は「澄江証言」を全く黙殺し平静を装っているが、地方紙でありながら「澄江証言」を一行も取り上げないのが、動揺している一番の証拠である。

だが、同証言の登場で、今一番戦々恐々としているのは、「座間味村史」を改竄した宮城晴美氏と、「渡嘉敷村史」の監修者の安仁屋政昭沖国大名誉教授の左翼師弟コンビであろう。 

自己のイデオロギーを守るため公的刊行物まで偽造して、宮平証言を虚言として葬り去り、結果的に沖縄戦史を改竄した罪は限りなく大きい。

 

つづく

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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コメント (3)

続・勝負あった!集団自決論争 9年前の宮平証言

2010-07-07 07:01:42 | ★集団自決
 

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■宮平さんは、9年前にも証言していた!■

これまで地元メディアが完全に黙殺していたため、「宮平証言」は2008年の「発掘当時」は全くの新証言とされた。(二年連続で地元の知識人である星雅彦氏と上原正稔氏が『うらそえ文藝』で地元二紙の捏造体質を厳しく糾弾したにもかかわらず、地元メディアが沈黙を守り続けているのと全く同じ構図である。)

だが、実はその7年前の2001年6月、宮平秀幸さんは毎日新聞備後版の特集記事の取材に応じていた。 

今から9年前、宮平さんは後の「宮平証言」と寸分違わぬ証言をしていたのだ。 「集団自決訴訟」が提訴される4年まえなので、その当時は左翼ネットワークの「危険人物・宮平秀幸」への警戒心も今ほど厳しくなかったのだろうか。

だが、「宮平証言」は毎日新聞という全国紙ではあるが、備後版(広島地方)という地方版に掲載されていたため、大方の注目を浴びることはなかった。

その特集記事がこれである。

 WEB第135回
http://www.bes.ne.jp/forum/bingoohrai/robouta/old/135/index.html

毎日新聞・備後版 2001.6.28

上陸前夜」~ 自決の手助けを頼む

 

忠魂碑前広場
集団自決の場とした忠魂碑前広場

 山々を焦がす猛炎、家々を焼き尽くす業火、耳膜を破る炸裂音、地軸をゆるがす爆発、なぎ倒す爆風、なぎ払う灼熱の破片、着弾予測不能の恐怖・・・。「艦砲射撃ほど恐ろしいものはない」とは旧海軍で聞いた体験談だが、80隻余りの艦船が間断なく打ち込む砲弾の下でなすすべもない光景は、生々しい臨場感を伴って僕の脳裏に展開する。
 3月25日早朝から座間味島は戦争のもっとも苛烈なルツボに投げ込まれた。
 戦争という悲劇のクライマックスの幕が一挙に開いたのだ。夜9時頃、本部壕前で梅沢少佐と村長らの話を聞いた。村長らは『軍の足手まといや捕虜になるより住民一同自決したい。爆弾か手榴弾を』と要求したが、『弾丸一発でも敵を倒すためにある。住民に渡すことはできぬ』と梅沢少佐はきっぱり断った。
 「僕は少佐らの近くに居た」と宮平さん。軍命令のよる住民集団惨死ではなかったとの証言である。
 夜中近く、「忠魂碑前の広場で自決するので集合」と役場から各避難壕に通報。だが集合は少なく、集まった人々も砲弾飛来で逃げ散ったという。死装束として晴れ着を着た住民たちもいたが、「殺される事」への本能的恐怖心が強かったのだろう。
 この通報は座間味集落のみで阿真、阿佐の集落へは届いていない。宮平さんが家族を連れて整備中隊壕へ向かったのは26日未明。自決の手助けを頼むためであった。   
                
               
 写真~集団自決の場とした忠魂碑前広場
                                                      

毎日新聞 2001.6.28



                          ◇

宮城晴美著『母の遺したもの』によると、梅澤隊長と村の幹部達の弾薬支給を巡る談判のシーンで、梅澤隊長は「とにかく今夜はお引き取りください」と言って一行を追い返しはしたが、「自決はするな」とは言っていないことになっている。

その後住民たちが次々と自決したことを考えた被告側は、梅澤隊長には自決を止めなかった不作為の責任がある、という理不尽な主張をするに至る。 

宮城晴美氏などは、その場(本部壕前の談判)では、自決命令は下してなくとも別の機会に命令していた可能性がある、と単なる推測で「隊長が軍命」と主張する有様である。

これでは議論も何もあったものではない。

「宮平証言」によると梅澤隊長は、『弾丸一発でも敵を倒すためにある。住民に渡すことはできぬ』と、自決を明確に否定しているではないか。

上記毎日記事に見るように2001年から2008年と、宮平さんの証言の間に7年の歳月が経過しているが、このように終始首尾一貫した証言をする宮平さんを「嘘つき秀幸」にするため、「軍命あり派」の面々は、ある策略を弄することになる。

村当局は、『座間味村史』の編纂・執筆を宮城晴美氏に委託し、母貞子さんの証言を改竄したのである。(『渡嘉敷村史』は宮城晴美氏の恩師である左翼学者安仁屋政昭沖国大名誉教授が監修している)

そして2009年藤岡教授が「宮平証言」を大阪高裁に証拠として提出すると知るや、かねて準備していた『座間味村史』に採録された宮平さんの実母貞子さんの「改竄された証言」を大阪高裁に提出した。

これによって大阪高裁の裁判官は大きな過ちを犯すことになる。

つまり大阪高裁の小田裁判長は「宮平証言」は虚言で、「貞子証言」は信頼に足ると判断したのである。

そして今回の「大城澄江証言」が、「貞子証言」は村当局と宮城晴美氏により捏造された虚偽証言であり、「宮平証言」が首尾一貫して真実を語っていることを見事に裏付けたのである。

つづく

 

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秦 郁彦
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勝負あった!集団自決論争

2010-07-06 08:20:20 | ★集団自決

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座間味島の戦争体験者である大城澄江さん〈90歳〉の集団自決に関する重要証言が発掘された。

上告中の「集団自決訴訟」は、これで勝負が決まった。

勿論原告側〈元隊長〉の勝訴である。

勝訴といっても、最高裁では証拠や証人などの事実認定はしないと聞く。

したがって今回のように新たに決定的証言が出てきた場合、高裁に差し戻して審議のやり直しを命ずるのであろう。

長年反日左翼勢力によって捏造されてきた慶良間島集団自決の真相が遂に明らかになったのだ。

今回の大城澄江さんの新証言とは、一体どういう意味を持つものなのか。

「大城証言」はチャンネル桜で動画が放映されているので、まだ見ていない方は、とりあえず次の動画を見ていただきたい。

1/6【沖縄の真実】座間味集団自決編[桜H22/5/15]

⇒2/6【沖縄の真実】座間味集団自決編[桜H22/5/15]

⇒ 3/6【沖縄の真実】座間味集団自決編[桜H22/5/15]

なお「大城澄江証言」については発掘者の藤岡信勝拓大教授が、雑誌『正論』7月号に「沖縄戦『集団自決』 控訴審判決の誤判を糾す」というタイトルの論文を寄稿してあるので、是非読んでいただきたい。

なお明日のエントリーで同論文の重要部分を抜粋引用して紹介する予定である。

集団自決論争にはいろんな証言者が登場し、しかも前言を翻す論者が続出するために、上記動画を見ても「大城澄江証言」の持つ意味をにわかに理解できる読者は少ないと思われる。

「大城澄江証言」は、簡単に言えば原告側にとって決定的と思われた「宮平証言」を裏付けるもの、というより、「宮平証言」が正しかったことを証明する決定的証言である。

では「宮平証言」とは何か。

同証言は、梅澤隊長が住民の自決の要請に反対し、自決のため集結した住民に解散するよう命じたというものである。 これは原告側にとっては決定的証言だと思われた。

ところが、『座間味村史』に、執筆・監修者の宮城晴美氏が、宮平貞子さん(秀幸さんの実母)の証言を歪曲・捏造して記述したため、大阪高裁では、母貞子さんの証言を真実とした。

その結果、貞子証言と真っ向から対立する「宮平証言」が、虚偽証言として退けられたのは周知の通りである。

「宮平証言」について詳しく知りたい方は、「沖縄戦『集団自決』の謎と真実地」〈秦郁彦編 PHP研究所〉で藤岡教授が詳述しているので参照して欲しい。

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秦 郁彦
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■「宮平証言」の概略■

昭和20年3月25日の夜、宮里盛秀助役ら座間味村のリーダーが本部壕に梅澤隊長を訪ね、忠魂碑前で待機する住民の自決用に弾薬等の支給を談判したが断られた。

この有名なシーンで生き残った人物は、当時村の職員だった宮平〈戦後結婚して宮城〉初枝さん唯一人だと思われていたが、実は当時隊長付きの伝令をしていた宮平秀幸さんが偶然その場面を目撃していたと証言したのだ。

■「宮平証言」のポイント■

〈1〉当時15歳の宮平少年は、3月25日の夜、本部壕前で村のリーダー達がが爆薬の支給を求めて梅澤隊長と談判している時、梅澤隊長が「自決はするな」「(自決のため)忠魂碑前に集合した住民には解散させよ」と明確に自決を否定した場面を目撃していた。

(2)これまで村のリーダーの中には名前が出てこなかった野村正次郎村長も、梅澤隊長との談判に加わっていた。

(3)本部壕で爆薬支給を拒否された村のリーダー達は忠魂碑前に戻り、野村村長は、自ら住民達に梅澤隊長の意志を伝えるべく解散命令を出した。

(4)村のリーダー達の後を追って忠魂碑前に戻った宮平少年は、そこで待機していた住民に村長が解散命令を下す後継を目撃した。

(5)宮平少年は、忠魂碑前に待機してしていた母貞子を含む宮平一家と合流し共に村長の解散命令に従って、自分の壕を目指して逃避行をした。

 
これらの証言が事実だとすると、「軍と集団自決とは関係ない」という結論になる。 いや関係ないどころか梅澤隊長は村のリーダー達の自決の要請を、明確に否定しているではないか。

それでは援護金支給のため奔走する村当局や、イデオロギーのため軍命令説を主張する沖縄サヨクにとっては困ったことになるのだ。

■宮平秀幸をしゃべらすな!■

「援護金」の関係で「軍命令」が絶対必要な村当局としては、それでは困るので忠魂碑前の村長の解散命令は、何としても隠しておきたかった。

真実を語り続ける宮平氏への対向策として、村当局は「座間味村史」の編纂に当たり、沖縄戦体験者の体験記の取材を宮城晴美氏に依頼し、 事実の隠蔽を企むことになる。
 
つまり、早い時期から事実を叫び続ける宮平秀幸さんの証言を「虚言」にしてしまう必要があった。

そのために多くの証言者を聞き取り、それを記録した「座間味村史」には、膨大な量の村人の証言集が記録されているが、その中にこれだけの証言をしている宮平秀幸さんの証言は全く登場しない。 

その代わりに「座間味村史」には、宮平秀幸さんの証言を否定する母貞子さんの証言が記載されているのだ。

母貞子さんの証言によると、その夜貞子さん一家は忠魂碑前に集合したが、その場に秀幸さんは現れておらず、秀幸さんの証言を真っ向から否定することになる。

結局「座間味村史」を編集する段階で、宮平秀幸さんの真実の証言は、村の方針にそぐわないものであるため、宮平さんはある種の危険人物として扱われることになったのだ。

そして「宮平証言」は村当局や沖縄マスコミには徹底的に無視されてきた。

そして「宮平秀幸をしゃべらすな」といった暗黙の了解が村当局と沖縄マスコミの間で成立し、聞き取り調査で島を訪れる研究者と宮平さんの接触を妨害した。 

そのスパイ的役割りを果たしたのが座間味村で琉球新報の通信員をしている宮里芳和氏である。 

宮里芳和氏は座間味村の集団自決を指導したといわれる宮里盛秀助役の親戚であり、本土から研究者が聞き取り調査のため島を訪問するという情報を、琉球新報や沖縄タイムスから入手するや、彼らと宮平さんとの接触を妨害する工作をしたと言われている。

また仮に宮平氏の証言が漏れ聞こえても「、嘘つき秀幸」といった、いわれない噂を流して「宮平証言」を虚言扱いにした。

宮平さんの証言は座間味村当局にとっても左翼勢力にとっても公表されたくない「不都合な真実」だったのだ。

2008年1月、藤岡信勝拓大教授が慶良間島の聞き取り調査の際、宮平さんと遭遇し「宮平証言」として産経新聞に大々的に報道されたのは周知の通りである。

宮平さんの証言で窮地に陥るのを恐れた沖縄二紙が、「宮平証言」を徹底して黙殺したのは勿論のことである。

つづく

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独裁者・菅首相の財政再建策 消費税15%前提に試算

2010-07-05 21:12:04 | 県知事選

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【参院選2010】テレビ討論 首相が練った「責任転嫁」戦術、あえなく返り討ち (1/2ページ)
2010.7.5 00:58

参院選公示後初のテレビ討論で野党各党の党首を質問攻めにした菅直人首相。街頭演説でも攻撃は収まらなかったが…=4日、横浜市(栗橋隆悦撮影) 「攻撃は最大の防御なり」と踏んだのか。参院選公示後初の各党党首のテレビ討論で、菅直人首相(民主党代表)は野党顔負けの質問攻撃を仕掛けた。「逃げ菅」と揶揄(やゆ)されただけに、攻めの姿勢を示したかったようだが、あっさりと返り討ちにあう場面も…。首相ならば、野党の追及を正面から受け止め反論する。なぜそんな「横綱相撲」をとらないのか。それともとれないのか。(船津寛)

[討論詳報](1)菅氏「ぶれも後退もない」
 「私はまったくぶれてもいませんし、後退もしていない!」

 首相はフジテレビ「新報道2001」の冒頭で、誰に指摘されたわけでもないのに、わざわざこう断って議論に入った。消費税をめぐる自らの発言を「迷走」と指摘されたことを相当気にしているらしい。

 「逆に質問したいのは」「私も聞きたいのは」-。首相は弱気の虫を隠すかのように野党党首に次々と論争を仕掛けた。野党時代に培った自分のスタイルを貫くことが一番だと判断したようだ。

 2日夜、首相は党本部で選対幹部との作戦会議でこう打ち明けた。

 「860兆円の借金を一体誰が作ったのか。そういうことをきっちり言おうと思ってね…」

 首相が練りに練った基本戦術は「責任転嫁」だった。消費税増税の背景となる財政悪化は「自公政権のツケ」。政権交代後のもたつきは「自民党ができなかったことを9カ月で全部やるのは難しい」との論理で正当化した。マスコミ批判も忘れてはならない。

首相はこの夜、参院候補に送った檄(げき)文で「野党はこぞって民主党に批判を浴びせるが、まともな対案を出していない」と批判し、「私も死にもの狂いで戦います」と結んだ。文面に「消費税」の文字はなく、参院選の争点は「民主党とともに安定した責任ある政治をつくるか、野党を勝たせて混迷の政治を選ぶか」にすり替えた。

 テレビ討論での首相の戦術は裏目に出た。「自公政権で債務残高が増えたことへの反省があるのか」と山口那津男公明党代表に矛先を向けると「菅さんも自社さ政権で国債発行を増やしたじゃないか」と反撃された。谷垣禎一自民党総裁も「マニフェストで16兆円の財源を見つけるはずだったのではないか。できなければ消費税はばらまきの尻ぬぐいになる」と嘲笑した。

 みんなの党の渡辺喜美代表に「なぜ政権にいた時に公務員制度改革を実行できなかったのか」と皮肉ると、「官僚の天下り根絶法案に反対したのは民主党じゃないか。反対ならば廃止すればいい!」と強烈なカウンターパンチを食らった。連立与党の亀井静香国民新党代表にも「消費税10%アップを共通の具に、混ぜご飯を作るのはよくない」と皮肉られた。

 よほど悔しかったのか、首相はNHKの党首討論では冒頭で司会者に「こちらからも質問させていただくようお願いします」と要望した。4日午後に名古屋市内で行った街頭演説ではこう力を込めた。

 「渡辺喜美さんは民主党がいつの間にか官僚に取り込まれたと言ってますが、違うんですよ。私が財務省を洗脳しているんだ。ぜひ渡辺さんの口車に乗らないでください!」

                        ◇

民主党きっての論客のはずの菅首相が、テレビの党首討論を逃げまくっていた。

が、一昨日の日曜日、「逃げ菅」と揶揄されるのを嫌ったのか、参院選公示後初の各党党首のテレビ討論に出演した。

約束を守らない人物の議論を聞いても時間の無駄。

筆者はその番組を見なかったが、菅直人首相は野党顔負けの質問攻撃を仕掛け、あっさりと返り討ちにあったとか。

それはそうだろう。

最初からマニフェストを守る気が無い人物が、議論に勝てるはずはない。

それほど野党党首もバカではないはずだから。

菅首相は、頼みの綱の事業仕分けの成果に早々に見切りをつけた。

いくらパフォーマンスをくり返しても税金の無駄遣いの見直しに、これ以上期待できないと察知したのだ。

そこで「子供手当て廃止」等の歳出削減には全て頬被りし、財源不足は増税だけで補う方針だ。 

これでは野党党首の総攻撃に勝てるはずは無い。

菅首相は、出来ない約束でも何でも無責任にぶち上げて、参院選で過半数さえ取れば何とかなるという魂胆だ。

投票した国民が悪いという論法だ。

小沢一郎氏もビックリの独裁政権になる。

■菅首相の自論は独裁政治■

国を憂い、われとわが身を甘やかすの記によると、菅首相の持論は「議会制民主主義とは期限を切った独裁」 だということらしい。

以下引用。

《菅首相はかつて、周囲に「民主主義とは、政権交代可能な独裁だ」と持論を話していた》

 これは別に、ただ事実そうだからそう紹介しただけだし、菅氏の考え方の一端を象徴的に示していると考えたのですが、訪問者の中には私が「誇張」や「デマ」を書いているのだと誤解した人もいたようです。なので、最近の国会答弁で、実際に菅氏が似たようなことを滔々と述べている部分を改めて掲載します。

 菅氏が副総理・財務相時代の3月16日の参院内閣委員会での、自民党の古川俊治氏とのやりとりです。(国会議事検索システムですぐ引っ張れます)

 古川氏 …本来であれば、多数決のやっぱり限界というものを考えていただいて、多くの議員の意見を取り入れる、あるいは超党派の活動というものもある程度は進めていく。これが国会の審議を活性化することだと思いますので、私はそうあるべきだと思っているんです。そういう民主主義が本来の国会と内閣の在り方ではないかという気がするんですが、いかがでしょうか。

 菅氏 …私は、ちょっと言葉が過ぎると気を付けなきゃいけませんが、議会制民主主義というのは期限を切ったあるレベルの独裁を認めることだと思っているんです。しかし、それは期限が切られているということです。ですから、四年間なら四年間は一応任せると、よほどのことがあればそれは途中で辞めさせますが。しかし、四年間は任せるけれども、その代わり、その後の選挙でそれを継続するかどうかについて選挙民、有権者が決めると。

 …一つの考え方だろうとは思います。しかし、「何をやりたいのかはっきりしない」人に、ひたすら独裁的にことを進めてもいいんだと言われても困りますね。その手法を徹底されて、われわれ国民がうれしいかありがたいかもまた、別の問題だろうし。それにしても、菅氏のいう「あるレベル」って、どの程度のレベルなんでしょうね。気になるところです。

引用終了。 

独裁者の大先輩ヒトラーは、地下壕の中で「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という部下の進言を退け、平然とこううそぶいたという。

国民の自業自得(自己責任)」。

「(ドイツ)国民が地獄を味わうのは当然の義務。われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ」 と。

選挙で過半数取ればば何でもできる。

それを実行し独政権力を手にしたのがヒットラーだ、と何度も書いた。

■参院選で過半数取れば「全権委任法」も強行採決で!■

ヒトラーは選挙で政権を得た後、全権委任法を立法し、それを実行し希代の独裁者となった。

全権委任法とは、「議会から立法権を政府に移譲し、ナチ政府の制定した法律は国会や連邦参議院や大統領権限を除けば憲法に背反しても有効とする」(ウィキ)という法律案である。

小沢前幹事長は議員立法を禁じ、「外国人選挙法」も政府提案で立法するというから、ヒットラーの手口を踏襲したとしか思えない独裁者振りであった。

外国人選挙法は憲法違反とも言われているが、独裁者にとって憲法など紙切れにも等しい。

「国民の委託」により全権委任法を立法化したヒトラーは、国民の人権を保証する憲法を骨抜きにし、政府主導の法律を次々と立法化し、反対勢力には「公益を害する者」というレッテルを貼って人権弾圧をした。

菅首相は、小沢前幹事長に「しばらくは静かにした方が日本のため」と言ったが、その小沢氏が菅首相の自分に勝る独裁体質に驚いて、目下菅首相に反旗を翻して全国行脚中だという。

「オレに勝る独裁者になっては困る」と。

愚かな民主党支持者が選んだ菅政権と、地獄まで付き合うのは今度(参院選)こそごめん被りたい。

■菅首相の消費税論は三倍の増税!■

菅首相は、マニフェストにも記載の無い消費税増税について、民主党がマニフェストに記載したのを見て「抱きつき増税」を目論んだが、支持率急落に驚いて目下のところ消費税論争から逃げまくっている。

ところが菅首相は、自民党の消費税アップを上回る15%アップを前提にばら撒き支出の尻拭いを目論んでいたというから驚きである。

「きっこの日記」がこのように伝えている。

ANN news菅内閣の財政再建策 消費税15%前提に試算

やはり独裁首相を抱える民主党に、参院選で過半数与えてはいけない。

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