ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

伊勢志摩へ

2022-06-27 19:15:54 | 旅行(国内)
伊勢志摩の温泉旅館へ行って来た。

三重県の県民割を使って1人3400円。さらに3人で5000円のクーポンが付いている。小ぶりだが伊勢海老が付いた夕食と朝食が付いていていた。この価格ならどんなボロ宿でも構わないと思っていたので、何も調べずに行ってみると、昭和の感じを残した大きな観光ホテルだった。フロントロビーは巨大で立派な作りをしていて、今の時代に合わない大きな宴会場もあった。最上階には大浴場と露天風呂、客室も広くオーシャンビューだった。価格とのギャップがあり過ぎたので、チェックインして部屋に入ってから口コミを見ると、そのほぼすべてが批判の口コミだった。

部屋が臭いし廊下が暗い。布団が薄くて背中が痛い。従業員のサービスが悪いし、対応が遅い。風呂の掃除もできていない。食事に対すること以外は、ほぼマイナスの評価で、これを見た人なら、間違いなく避けるだろうと思われた。

では実際に宿泊してみると、その批判のすべてが改善されているように思った。今の時代、スマホ世代ならほとんどの人が口コミなどを参考に宿を決めたりする。マイナス評価が多ければ、必然的に避ける傾向にある。ここもおそらくはそうことなんだろうと思った。その証拠に、私たち以外の客層のほとんどが超高齢者ばかりだった。悪評判がたち、いかにそれが改善されようとも、その後、スマホ世代が泊まって口コミの上書きをしてくれなければ、一向に客離れは改善されない。なんだか気の毒だなと思った。

先日、食べログの悪評被害を受けた飲食店の裁判で、評価を運営する会社への損害賠償が認められた。実際、評価のある程度のコントロールが出来てしまうことなども含めて、同じように被害を受けている店やホテルなどもあるのではないか。今後、改善されるといいなと思う。

それにしても県民割。お昼代もクーポンで浮いてしまうし、使ってみてあらためてお得だと感じた。帰りに鳥羽と伊勢神宮に寄って帰ってきた。また、行きたいくらいだ。

梅雨明け。

一体、雨の日って何日あっただろう。

いよいよ夏だが、すでに連日猛暑。

この暴力的な暑さがあと2か月以上もつづくと思うとうんざりする。

コロナ収束で喜んでいたのもつかの間、その後、戦争勃発に超円安で物価上昇、そして猛暑。

次はなんだろう。電力不足と水不足か?

平穏はいつになるのだろう?

来年…。

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奄美の旅(2)

2022-04-03 19:56:26 | 旅行(国内)
奄美と言えば、ともあれ「クロウサギ」なんだとか。

島を訪れる大半の人らが、これを観るために来るらしい。剥製なら奄美生き物センターで観れるが、生きている姿を観るにはナイトツアーに参加するしかない。動物に疎い私はまったく興味がないが、奄美に行くと娘に伝えた時、すぐさま「クロウサギは観れるの?」と聞かれた。とりあえず「タイミングが合えばね…」と濁しておいたが、出発の前日には「行くなら絶対観たい!」となり、半ば強制的に見に行く流れになってしまった。

初日と2日目は夕方から雨だったので、3日目の朝に予約すれば大丈夫だろうと踏んでいたが、どこもかしこも一杯。2日間連続雨だったからかもしれないが、8社目でようやく取れた。あやうく行けなくなり、娘の怒りを買うところだった。

日が暮れた夕刻7時に島の中心地から車で30分ほどの道の駅に集合。ここでガイドの運転するジープに乗り換えてウサギの生息地へ向かう。このガイドがくせ者だった。参加者の女性のひとりが「山に入ると上着が要りますか?」と尋ねると「そんなことは自分で判断してください、人それぞれの感じ方ですから…」に始まり「娘がカエルの泣き声が凄いので近づこうとすると、「近づくと逃げます、人間ももし背中に絵の入っている人が近づいてきたら逃げるでしょ?それと同じことです…」

一事が万事、こんな対応をする。

例えも悪いし、こやつは何かが欠落している。確かに知識は豊富で動物や昆虫を知り尽くしているようだが、肝心の人間は知らないようだ。クロウサギは小さな子供のウサギも含めて8匹ほど観れた。私たちが知っている白いウサギは人間が作り出したもので、こちらのクロウサギがウサギの原種ということで、大変貴重なんだとか。それはそうかもしれないが、ビジュアルで言えば、人が作り出した白いウサギの方が単純にかわいいと思う。そんなことを言えば、このガイドはどういう反応をしただろう?皆、大はしゃぎだったが、私はそんなことばかり考えていたので、クロウサギの印象はいまひとつだった。他にも天然記念物のネズミとかカエルに鳥もいた。

こうして2時間半、山の中にいた。帰り際、再び雨になり、屋根を取っ払ったジープに乗っていた私たちは皆、ずぶ濡れで帰る羽目に。さすがに暖かい奄美でも、夜の山の雨には凍えた。

そうそう奄美のみかん「たんかん」これも甘くておいしかった。大きな袋で買って、移動中は本当によく食べた。

お土産は海で拾ったサンゴと昨年、小笠原諸島の近くで海底火山が爆発して軽石が奄美にも流れ着いていた。小笠原では見なかったので、奄美では大きいのを探して拾ってきた。

思いのほか良かった奄美大島。
もうひとつくらい、鹿児島の島に行ってもいいかも…。

名古屋へ着くと、寒の戻りなのか寒かった。
今日も冷たい雨だったし、せっかくの桜も花落ちしそうだな…。
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奄美の旅(1)

2022-04-02 19:16:44 | 旅行(国内)
安いチケットがきっかけで行くことになった奄美大島。

地味でパッとせず、年寄りしか来ないのかと勝手に思い込んでいたけれど、訪れた今では「奄美さん、ごめんなさい」と謝罪したいくらい。沖縄の陰に隠れてしまい、大島紬とか黒うさぎとかいま一つ地味なイメージが先行しまっている奄美大島。ところがどっこい、食事は琉球料理とは違い、日本の出汁文化寄りであっさり胃に優しい和食が地元料理のベースになっていて美味しいし、物価も離島価格ではなく、本土より安めだ。おそらく割と大きな島なので、それなりの競争原理が働いていると思われる。全国チェーン店に対して地元ブランドが頑張っているのも旅行者としてはうれしい。また若い人でも楽しめる要素もたくさんあった。

道すがら何をしようかとスマホで検索していると、マングローブ原生林の中をカヌーできるということで、まずはそれをやろうかと。日本で2番目に大きいマングローブ原生林を有する奄美は西表島のマングローブと匹敵するが、残念なのはカヌーで入って行ける細い支流が限られるところ。やっぱりマングローブカヌーの醍醐味は細い支流を行くに尽きる。これはちょっと残念だったが、一時間半で1700円という料金はありがたかった。

島は南北に大きくて車で縦断するとおよそ2時間弱かかる。山道ばかりなのでなおさら時間がかかる。宿は中心地の名瀬にある民宿。気さくで話好きで大変親切な夫婦がやっていてなんとなく友人宅にでも泊まっている感じの宿。本当に嫌なところなど一つもない方々で妻はすっかりお気に入り。私は適度に放っておいてくれるか全く無関心の宿を好むので、この手の宿は苦手だ。良い人たちだけにこちらの対応も失礼のないようにと気をつかうのも疲れる。身勝手な言い分だが、そう思うのだから仕方ない。もちろん彼らには1ミリも非はないので、これは趣向の問題かも…。

車で走りながら適当に停まって海辺で生き物を探してみた。どこで停まっても海は西表や石垣とそう変わらないほどきれいだった。サンゴもたくさんいるし、どこでもシュノーケリングができそうな透明度だ。皆、沖縄に行ってしまうけれど、ちょっと手前の奄美の海も穴場で良いと思う。もっとも見れる魚が違うのかもしれないけれど…。鹿児島の島は種子島に屋久島、徳之島など、つくづくイメージで損しているなと。

行くまで知らなかったが、昨年、西表と沖縄本島北部と共に奄美大島と徳之島が世界遺産に登録された。コロナ禍の中での登録だったのでいま一つ認知度は低いようだが、LCC効果もあり、おそらく今後はグッと旅行者が増えるかもしれない。島の最南端の町の沖合に近畿大学のマグロの養殖場があった。その町の食堂でその近大マグロがたべられるというので行ってみた。これ、ほんとうにおいしかった。養殖とか近大とか抜きにしてもおいしかった。

連日24度くらいで、こちらの感覚では完全に初夏だった。

つづく…。
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かまくらの里

2022-02-13 19:31:28 | 旅行(国内)
この週末、長野県の飯山市に行ってきた。飯山市は野沢温泉や斑尾高原にほど近い場所にある。周囲にはスキー場もたくさんある。けれど私たちは妻の念願だったかまくらの中で鍋を食べるという、ただそれだけの為にやってきた。

今年のこの地方は10年ぶりの大雪で、家や道の両脇には4メートル強の雪の壁がずーっと続いている。ひと目で大雪だったんだなというのがわかる。宿の人も「今年は雪下ろしが大変で、何度やっても追いつかなくてね…」と…。

肝心のかまくらは、飯山市にある「かまくらの里」という、冬のこの時期、およそひと月限定で毎年やっているイベントの中で行われている。毎年、大人気でいつも気が付くとすでに予約でいっぱい。毎年、来年こそは、と思っていたんだとか。昨年はコロナ禍で全面中止、今年も一旦は予約で埋まったらしいが、まん延防止のおかげで多くのキャンセルが出たことで念願叶ったということになる。夜のかまくらの里はライトアップされ、とても幻想的だった。若い子が圧倒的に多い。かまくらの中にはコンロが置かれたテーブルと椅子が用意され、席に着くと完成した鍋とおにぎりが運ばれてくる。味はいたって普通のみそ鍋。それをかまくらの中で食べるだけ。妻は大満足だが、私はあまり鍋好きではないので、微妙な感じ。人の趣向は様々なので、否定するものではないが、熱気でポタポタと水が垂れてきたりして、普通に家で食べたほうがいいような気がする。もっとも本人は大満足なので、まぁ良かった。

行きたいところ、やりたいことは、可能な限りやっておくに限る。いつか機会があればと先延ばししてしまうと、なかなか実現しないもの。できるうちにやっておきたい。

次の日は飯山から車で30分ほどの山ノ内町へ移動して、猿の入浴姿を観るために地獄谷温泉へ。母親の在所の近くなので、子供の頃に何度か来たことがあったが、およそ40年ぶり。お客は、こんな時だからなのか外国人ばかり。それも西洋人が圧倒的に多い。さらにインド系の団体客もいて、久しぶりに外国人密度を味わった。猿も人慣れしていて、平気で近くまでやってくるし、気持ちよく湯に浸かる猿に子供も大満足。私はたどり着くまでの往復3,2キロの雪の中の道のりの方が、良い運動にもなり気持ちよかった。

久しぶりの雪三昧。良い気分転換になった。来月も、どこか雪遊びに出かけようと思う。

で、日本の入国規制緩和の話。

3月をめどに外国人留学生には開かれそうな予感。どうせなら日本人の帰国時の緩和もついでに議論に乗せてほしい。なんとなくだが、3月からいよいよ開国へのカウントダウンが始まりそうな気がする。新たな株次第だけれど…。

がっかりするので、あまり期待せず、吉報を待ちたい。
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小笠原諸島 父島編(3)

2022-01-06 19:40:42 | 旅行(国内)
滞在二日目はレンタカー(ボロボロの軽)を借りて島をぐるっとひと回り。

ところどころに車を停めて、そこから小規模な山歩きを繰り返す。父島は山がちで平地が港のある大村以外はほとんどない。大村を離れると、ほとんどが山道となり、そこから海へ出ようとすれば山を歩いて下ることになる。これが小笠原の小規模トレッキングだ。行きは下りだから良いが帰りはひたすら上ることになり、往復すると1時間半から2時間かかる。道は急こう配で結構キツイ。けれど海へ降りると、そこはまさにプライベートビーチで秘境感満載だ。これを3か所に渡って歩いて、1日が終わった。

最後の日だけは、水と食料を持参して、往復20キロ弱の本格的トレッキングへ出発。途中の景観がなにせ素晴らしい。道中、熱帯雨林のジャングルあり断崖絶壁あり、草原に丘、そして山あり谷あり、おまけに川も超えるなど、それはそれはバラエティーに富んでおり、歩く人をまったく飽きさせない。まさに小笠原の大自然を満喫できるルートだった。大の知床好きの妻が、自然の中を歩くということでいえば、断然、小笠原に軍配が上がると言っていた。

元々、小笠原を提案したのは私の方だが、想像以上に異文化の香りがゼロだったこともあり、ましてや自然より街歩きを好む私にとって、小笠原はややがっかりなところであった。あらためて、やっぱり自然志向の人が来る場所だなと実感。

ついでに小笠原への移住についてちょうど30年前に移住してきた、今回世話になった、大変親切な宿のおじさんにいろいろ聞いてみた。現在、小笠原は若い人の移住先として大人気らしい。とくに自然志向の方で、このアクセスの不便さも含めて気に入った方が多いという。聞けば、50歳以下の人のほとんどが本土からの移住者なんだとか。家族連れも多く、そのため幼稚園や保育園がまったく足りなくなってしまっているらしい。半面、島の若い人は本土へ向かい、完全に逆転現象にあるという。

移住に当たっては、仕事の問題もあるが、一番は住宅確保の問題が一番大きな壁になっているとか。元々、宅地が少ない上に土地の売買がほどんどない土地柄ゆえ、何が事業や商売をしようと思っても、それに適した土地や住宅の確保が出来きず、結局、諦めてしまう方も多いらしい。賃貸アパートの一室くらいはなんとかなりそうだが、それ以上が難しいということなんだと思う。

私も本格的老後を迎えるにあたり、いつの日か外国へ行く体力と気力もなくなり、ありとあらゆる病気の延命治療を拒否する覚悟がもしも出来れば、ここに移住してもいいかなと思った。それほどまでに冬の気候が良かった。もっとも夏を知らないけれど…。

そして空港問題。
島の老人らは、なんとか空港を…というのが本音らしい。島には満足な病院がなく、利便性が良くなれば、本土の病院へのアクセスが容易になる。要するに健康不安からだ。しかし若い人、特に本土からの移住者は大反対。自然破壊という側面と航空路で結ばれれば大量にお客さんがやってくる。それはありがたいと思う反面、必ず大手企業やってきて大開発を行うだろうと想定している。ほぼ個人商店規模で運営されている現状がすべて壊滅させられてしまうという危惧があるからだという。たしかに民宿とゲストハウスレベルの宿しかなく、ホテルと呼べる宿泊施設は皆無だ。島内のツアーを扱う旅行会社もすべて個人経営レベル。大手企業がやってきたらひとたまりもないだろうと思う。

宿のおじさん曰く、空港は出来ても20年後くらいの話で、当分は現状維持だろうと言っていた。

そういえば、小笠原諸島には父島から50キロ南に母島がある。こちらにも人は住んでいて小ぶりな村がある。さらに田舎というか秘境感を味わいたい人にはこちらへ向かうという。船は1日おきだったか、ははじま丸という船が父島から就航している。

母島…。
多分、行くことはないだろうな。

終わり…。

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小笠原諸島 父島編(2)

2022-01-05 19:48:08 | 旅行(国内)
船が発着する二見港は、父島の中心地、大村に隣接している。

船を降りると、そこがすでに村の中心地。村は思った以上に小ぶりだった。メインストリートと裏通りに食堂やスーパー、土産物屋と旅行会社が何軒かあるだけ。そして少し外れに役場とビジターセンターと観光局と郵便局、銀行は港にATMがあるだけでまったく見かけなかった。コンビニや本土にあるチェーン店の類もひとつもない、農協系のスーパー以外はすべてが個人商店だ。時流の電子マネーの普及もほぼないと思われる。スーパーを除くと、当然ながら離島価格。本土の2倍から3倍はする。普通のイチゴが1パック1200円、菓子パンなども、ひとつ300円前後が普通だ。

ここで暮らしていくのは、結構、大変そうだ。

ビジターセンターへ行くと小笠原の歴史についてわかりやすい展示がされている。終戦後、日本人は全員、島外へ移住させられ、先住民の欧米系の人とアメリカからの移住者と米軍関係者だけが島に住むことを許された。昭和43年に日本に返還されるまで、およそ23年間、アメリカ統治となった。沖縄と似て非なるのは、まさにこの間、日本人は誰も住めなかったところにある。アメリカ統治時代の小笠原を知る機会などなかなか無く、アメリカ時代の展示がとても興味深かった。写真もいくつも掲載されていて、まるでアメリカの田舎町のような風景だった。ただ残念なのが、この時代の建造物がほどんど残っておらず、今の小笠原にアメリカ時代を感じるさせるものは皆無に近い。唯一、村外れにかつての欧米系の人が暮らした青色の木造民家が、一軒だけ朽ち果てて残っていたのと、アメリカ統治時代の小学校の国旗掲揚代が一本残っていて、その台座の部分にアルファベッドで学校名が書かれているだけだった。

けれど、欧米系の住民の子孫が今でも残っていて、その6代目くらいの世代の人々を村では時々見かけた。混血が進んでいるようだが、こんな小さな村で、結して少なくない数の欧米系の人々が日本人として暮らしていることが、他の島とは異なる小笠原の一番の特徴かもしれない。

大村をふらふらした後、歩いて30分ほどのところにある海洋センターに行った。ここでは娘が熱望するウミガメ教室に参加した。海洋センターでは巨大なウミガメから子ガメまで200匹以上のウミガメを飼育している。2時間ほどのうち、40分ほどがモニターを使ったレクチャーで、後の1時間20分でウミガメの甲羅を洗う作業とエサやりを体験できる。甲羅をキレイする作業は、結構スポンジでゴシゴシ洗う力仕事だった。エサやりは海洋生物にまったく興味のない私でも結構楽しめた。

小笠原と言えば、ダイビングとシュノーケリング、またクジラを見るとかイルカと一緒に泳ぐとか、主にマリンスポーツのイメージが強いが、意外と陸の自然を満喫するトレッキング目的の人も多い。特に正月前後は海に入るのは微妙に寒いので、この時期は陸目当ての人もそこそこいる。私たちも滞在時間のほぼすべてをトレッキングに費やした。ツアーに参加する人も多いが、予算の関係上、私たちは自力で行くことにした。結局、ツアーに参加したのは、娘の希望する小笠原オオコウモリと星空を見る2時間のナイトツアーだけ。

何の期待もしていなかったナイトツアーだが、満点の星空には驚きだった。こんなにきれいな星空を見たのは、記憶の限りではニュージーランド以来かも。見上げるとまさにプラネタリウム状態、星には何の関心もない私でも感動する。星空がパーフェクトだったせいか、反面、いつもは見れるはずの肝心の小笠原オオコウモリは見れなかった。けれどなんのことはない、翌日の夕方、私たちの宿の上空を、多くの小笠原オオコウモリが普通に飛んでいた。こんなに普通に見れるなら、ツアーのメインのひとつに使うな!と言いたくもなったが、まぁ、満点の星空でチャラにということで…。

ナイトツアーのガイドさんが、「夜、村の桟橋に行くとマンタやサメが見れるかもしれないよ…」と教えてくれたので、行ってみると、本当に2メート近くある巨大なマンタが泳いでいた。サメも来るかなとしばらく待ったがこの日は現れなかった。けれど巨大なマンタはずっと近くを泳いでいてくれて、しかも街灯の真下を泳いでくれるのでじっくり観察できて娘も大喜び。

自然や生き物が好きな人が来たがる理由が、多少、わかった気がした。


つづく…。

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小笠原諸島 おがさわら丸編(1)

2022-01-04 13:28:13 | 旅行(国内)
年末から小笠原諸島、父島へ行って来た。

国内では行ってみたいところのひとつだったが、なにせ行くのに時間がかかる。東京から船で24時間、これ以外に行く方法がないことが最大の壁だった。しかも船は週に1便しかない。行って帰ってくると最短でも6日間かかる。船賃も最安の2等和室で往復5万7千円。この価格だと東南アジアや南アジア、時期もよるがヨーロッパや北米へも行けてしまう。国内にしても、今や沖縄や石垣、北海道の道東へも1万円そこそこで行けてしまう時代に、結して行きやすい旅先とは言えない。けれどコロナ禍で出国できない今なら、それも全部、妥協できる。というわけで、晴れて行くことにした。

小笠原諸島は、東京から南におよそ1000キロのところにある。西に100キロ行くと、噴火でできた新しい島、西ノ島があり、300キロ南に行くと悲惨な戦場となった硫黄島がある。最近、軽石を噴出し、世間を騒がせている島はこの硫黄島のすぐ近くにある。同じ小笠原村の管轄にある、日本最南端の沖の鳥島はここから南西に向かって930キロほど。さらに南に1200キロ行くとグアム、サイパンに辿り着く。気候は亜熱帯で、この正月の平均気温は19度だった。最高で23度。沖縄よりずっと暖かいと思う。日中は半袖でOK、朝晩は冷え込むので長袖か1枚羽織りものがいる。海水浴は出来そうでできない感じ。地元の子は入っている。島民曰く、日本で冬にこんなに暖かいのは、小笠原だけだそう。自衛隊や気象観測員のいる硫黄島と南鳥島は除いてということで…。

小笠原丸という船が週に一便、東京と父島を結んでいる。私たちは最安値の2等和室を利用。8人の雑魚寝の大部屋だ。一人分のスペースはおよそ畳1畳分だけ。船は4年前に新造された最新船で快適だった。しかもコロナで現在、定員の半分以下しか乗せていないので、私たちの大部屋は行きも帰りも私たち3人だけの貸し切り。結果8人部屋を3人で使用でき、これは返って2等洋部屋の1ベッド使用より、快適でラッキーだったと思う。ただし2等和室は船底近くにあり、ボイラー音が多少うるさく、当然、窓もない。マットも薄く、寝てばかりの為、背中が痛くなるのは間違いない。タイタニックでいえば3等客船の位置。上級に行くほど上階になる。乗船下船の順番も特等や1等から優先して行われる。デッキも1等しか入れないエリアもあり、こういうサービスはやはり金次第だなと。他に特2等や1等、そして特等は多分、価格相応、快適だと思う。本来なら700人近くが乗る船に300人以下しか乗っていないのだから、船内はガラガラ状態。これだけでも随分、居心地が良かったはず。客層はほとんどが若い人、ダイバーやシュノーケル目当ての方が圧倒的に多い。あとは年配者と家族連れが少しで、帰省の島民は本当に少ない感じだった。

一番気がかりだった肝心の揺れだが、行きは航路のすべてが穏やかで、ほとんど揺れなしで無事クリア。帰りは一転、父島から翌朝の八丈島まで16時間ほど大揺れ。隣の大部屋の子供がゲロ三昧で気の毒だった。同室にいると、もらいゲロ現象があり、大変、危険だ。同じ部屋でなかったのが幸いした。とは言え、ほとんどが外洋なので酔い止め薬は必須だと思う。船内の食事は高くて不味いとの評判だったので、すべて持参した。お湯もレンジもあるので、持ち込みがベストだと思う。

船内にWiFiもなく、東京を出航すると2時間半以降、あとは父島に着く30分前までずっと圏外になる。船内の各部屋(大部屋含む)にはテレビもあるが、基本BS以外は映らないし、しかも画像も悪い。トランプやUNOをやったり、あとは読書か昼寝。微妙な揺れのせいか、なぜかよく眠れ、往復ともに24時間中15時間以上寝ていた。

行きは午前10時、竹芝桟橋出航、翌朝午前10時父島到着。帰りは午後15時、父島出航、翌午後15時竹芝到着。

東京を出て翌朝、船のデッキに出ると、気候が冬から春に変わっていた。

ようやく父島到着。

けれど、寝すぎの為か背中の痛みで最悪だった。

つづく…



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秋の知床

2021-10-25 20:37:47 | 旅行(国内)
今回は女満別に入って、途中、網走の監獄に立ち寄った後、ウトロへ向かった。知床連山の上の方はすでに雪で真っ白、もう間もなくすると冬がやって来るような感じだった。

初めて見た鮭の遡上、遡上のピークはすでに過ぎていたけれど、いくつもの川でまだ遡上が見られた。急流にも関わらず、ボロボロな姿で登ってくる鮭の姿にちょっと感動する。ずっと見ていても飽きない。その上空をたくさんの鳥が舞っていて、登ってくる鮭を狙っている。なんとなくナショナルジオグラフィック的な写真が撮れそうな風景だった。

そして知床五湖に向かう途中、2頭のヒグマを発見。後続車もあり、一瞬のことで運転中の私は見れなかったが、ヒグマの遭遇シーズンではないものの、本当にそこら辺にいるんだなとちょっとびっくりした。

そして羅臼では再び国後島とご対面。その後、野付半島へ下り、そこで国後島との間を航行するロシアの巡視船が見れた。私的にはヒグマよりこちらの方がうれしい感じ。先日、国後島から泳いできた疑惑の亡命希望のロシア人が漂着した標津町で名物のホタテの天丼を食べた。これが本当に美味しかった。

その後、釧路湿原を少し歩いて、3度目の知床の旅を終えた。

それぞれ季節によって良さがあるなと思った。妻曰く、あと1回、どうしても夏のシーズンに行って終わりたいとのことで、来年夏にもう一度付き合わされそうな予感がする。

関空から女満別便が飛んだおかげで、知床がさらに近くなった。女満別から急げば1時間半程度でウトロまで行ける。これまでの釧路からを思えば所要時間が半分以下だ。行こうと思えば、週末旅の1泊2日でも行ける。沖縄の石垣島もそうだが、日本の辺境もLCCのおかげで随分、行きやすくなったなと思う。

今後は、名古屋便の就航も、ぜひお願いしたい。

名古屋に戻ると、すっかり肌寒いくらいになってきた。

10月もそろそろ終わりか…。

早いな…。

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海洋丸と旅友

2021-08-03 20:09:34 | 旅行(国内)
山歩きの翌日は富山へ日帰りした。

行き先は伏木港。ここはコロナ前まで月に2便、ロシアのウラジオストックへの定期便が出ていた港でもある。かつては横浜からの船や新潟からナホトカ便、北海道、稚内からサハリンへの船があったが、今ではすべて廃止になっている。現在、極東への船便はここからと鳥取の境港から韓国の東海経由でのウラジオストックへの便が月に2便あるだけ。コロナ後にどうなっているのかわからないが、せっかくロシアの極東地域限定のビザが緩和されたばかりなので、ぜひとも復活を期待したい。

もうひとつ伏木港には航海士を目指す学生が練習する帆船、「初代海王丸」が退役して係留されている。別に船に興味があるわけではないけれど、なんとなく日本海を見に行くなら、何かあった方がいいかなと思い、調べてみたらここに行きついた。

昔、東京商船大学を出た旅友がいた。彼曰く、航海士になるためには卒業前に半年間、この船(実際はこの船の2代目にあたる船)で実習に出ないといけない。その後、試験を受けて合格すると晴れて航海士となるようだった。ただし、行かなくても卒業はできるし、実習自体も強制ではない。けれど卒業は出来ても船乗りになることはできないということだったと思う。で、彼は結局「辛そうだから…」という理由で行かなかった。卒業後はどこかの企業に就職するものの数年で辞めて旅に出てしまった。彼とはイランで出会って、その後1年後くらいにバンコクでも偶然、また会った。

彼は頭も良いし人も良いのに、仕事が嫌いで時間にルーズ。歯磨きが嫌いで三十手前ですでに虫歯で歯がほとんどなかった。その為、食事に異様に時間がかかる。歯がないからなかなか噛めないのだ。極めつけは一人で旅ができず、必ず誰かの後について行くという根本的にダメ人間だったが、そんな彼とはどことなく波長が合い、日本へ帰ってからも一時は本当に良く遊んでいた。彼の部屋には難しい本がたくさんさん並んでいて実は物知りなのに、どこかでアホを装っているようなそんなところもあった。その気になり、腰まである髪を切って髭もそり、入れ歯を入れてスーツを着れば、どんなところでもやっていけそうな気もしていた。その後、東京を離れたことですっかり疎遠になってしまったが、共通の旅友の結婚式に呼ばれた時、5年ぶりに再会した。入れ歯も入れて容姿はすっかり変わり、大学の先輩の紹介で高速道路の指令室で仕事をしていると言っていたので良かった。相変わらず食べるのには時間がかかっていたけれど…。それでも時間が経つと人は変わるんだなと…。

海王丸を観て、ちょっと昔の友人を思い出した。

帰りに地元の回転すし屋に寄って食事をした。

富山の回転すしはとても美味しかった。



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高山と乗鞍へ

2021-08-02 20:00:24 | 旅行(国内)
この週末、岐阜の高山と乗鞍、そこから日帰りで富山へ行って来た。

乗鞍では五色ヶ原をほぼ一日かけて山歩きをしてきた。行きに山道の入り口近くのトンネルの出口で5台前を走っていた大型トラックに前方から来た乗用車が正面衝突。衝突した位置からすると、乗用車が大きく車線をはみ出してきたようだった。乗用車は大破し運転手は車内から出られず、レスキュー隊が機械で扉付近をカットして救出。足を怪我した運転手は救急車で運ばれていった。幸い誰も亡くならずに済んで良かったが、これで歩き始まるのが1時間以上遅れた。

乗鞍の五色ヶ原はおおよそ標高1500M前後を歩くので、何よりも涼しく歩けるのが良かった。アップダウンもそれほどキツくないので、子供から健脚な年配者まで歩ける。秘境を謳うだけあって、人も少なくほとんど誰にも会わないのも良かった。大きな滝や明治時代の発電所建設跡などの遺構もあり、それなりに楽しく歩けたのも良かった。

高山のキャンプ場では養殖場から一匹200円で生きているニジマスを10匹購入して、関止めた小川に放流して魚の掴み取りをやってみた。結局、素手で捕まえたのは数匹で、残りは網を使って捕獲。獲った魚は自らカッターでナイフで腹を割り、内臓を取り出して表面に塩を塗り炭で焼いて食べた。昔、シドニーで鳥の炭火焼き屋さんで鶏をさばく(関節を外し、内臓を取り出してタレに漬け込む)アルバイトをやったことがこんなところで役に立った。新鮮なニジマスはまったく臭みもなく本当においしかった。

これで夏休みは終了…ではやっぱり寂しい。
もう一度くらいキャンプに行きたいので、今からどこか予約できるところを探そうと思う。

オリンピック、ほとんど観ていないけれど、日本のメダルラッシュは凄いな。

その裏で1万人以上の感染者…。

それでもこんなんで騒いではいけない。これからは共存するしかない、ということをいま一度肝に銘じたい。それと東京でのコロナの死者数は、日によるがほとんど出ていない。ともかくワクチンと新薬、これを粛々とやるだけでいい。

それにしても、下界は暑いな。
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