ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

ONEDAY in 京都

2021-04-01 19:41:33 | 旅行(国内)
今日は朝から京都へ行ってきた。

子供も春休みで、まだどこへも連れて行ってなかったので、妻が押す京都へとなった。京都人には申し訳ないが、私は人の多い京都がなんとなく苦手で、できれば行きたくない。京都なら奈良の方がまだいい。けれど、妻に「あなたといると、私は一生、京都へは行けない…」などとネチネチ言われたので、仕方なく付いて行くことにした。

まず伏見稲荷連れていかれた。30分程度で上まで行って帰って来れるのかと思っていたら、1時間45分もかかってしまった。結構、登りがきつくて思いのほか疲れた。あらためて伏見稲荷って山だったんだと実感した。次に着いたのは、三十三間堂だった。実際、名前すら知らなかった場所だった。鎌倉時代からの仏像が千体も並んでいたが、ここは弓術で有名なところなんだとか。マイナーどころで、空いているのが良かった。

その後、お弁当をテイクアウトして鴨川の川べりでお昼を食べる。昔、京都に友人がいて、その友人の家がこの川の近くにあった。1週間くらいお世話になったことがあり、当時、毎日のようにこの川べりに来ていたことを思い出した。すっかり音信不通になってしまったけれど、どうしているのか、ちょっと懐かしさを覚えた。

その後、清水寺へ連行された。

さすがに人が多かった。本殿に靴を脱いで上がり込み、しばしお昼寝タイム。ここは景色と言うより、風が本当に気持ちよく昼寝には最適な場所だった。その後、参道を降りて抹茶タイム、そのまま祇園をかすめ、最後に金閣寺へ。

なんでこうも神社、仏閣ばかりを訪ねるのかわからなかったが、まぁ、本人が満足ならそれでいい。娘が文句の一つも言わず、延々と付いてきてくれたのが意外だった。帰りの車の中で感想を聞くと「あんまり面白くなかった。もう充分…」と話していた。

それでも、どこもかしこも桜がキレイで気持ちが良かった。

ただし、京都はもう10年くらいはいいかもしれない。

ちょっと疲労感満載。

では、おやすみなさい。

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冬の知床(2)

2021-03-16 11:28:13 | 旅行(国内)
雪上の森を歩くスノーシューイングに行ってきた。

スノーシューイングってなにかと思ったら、雪上でも滑らずに歩ける器具をブーツにつけて歩くということだった。森の中は雪深いし、坂や段差もあったりするのでスノーブーツだけでは歩きにくいのでこれを使うのだとか。雪山登山などで使うアイゼンをもっと大きくした感じの器具だ。秋に来たときは、自分たちだけで歩けるコースを歩いたが、今回はガイドさんがいないと行けないコースを選んだ。

秋の森も気持ち良かったが、冬の森は一面銀世界で、これはこれで気持ち良い。この日は暖かくて歩きやすかった。

知床はヒグマやエゾ鹿などの野生動物の保護に一番力をいれているのかと思っていたが、実際は森の再生を一番に考え、いかに森を守るかということを基準にして野生動物の数を調整したりしているのだという。さすがにこの時期は、ヒグマはまだ冬眠中ということで出会わなかったが、エゾ鹿はそこら辺にたくさんいる。人間が危害を加えないことを知っているらしく、近くによっても逃げない。断崖絶壁からは大鷲とオジロワシも見れて、皆、大満足。私にはその感動が今ひとつわからなかったけれど…。

ガイドさんの話は面白く、自然や動物にあまり興味のない私でも楽しく聞けた。参加者は皆、知床フリークが多く自然や動物に詳しい人がばかり。なんとなく知床好きは、年配の女性の一人旅が多いような気がする。この日も10人中、半数以上が女性の一人参加で知床のリピーターだった。皆、真面目そうで学校の先生のような雰囲気の人が多いような…。

雪の中を3時間も歩いていると、だんだん足が重たくなってくる。帰り着くころにはヘトヘトになった。

ウトロの宿に戻りお風呂に入って食事をすると、疲れ果てたせいか8時前には寝てしまった。
翌日、釧路空港へ戻る途中に、少し早めに起きて釧路湿原に立ち寄った。展望台から見る、湿原のその大きさに感動する。

あらためて北海道の自然は気持ちいい。昨年の夏に札幌と稚内へ行き、秋には根室と知床へ。そして今回また知床へと、年に3度も北海道へ足を運ぶことになってしまったが、それもこれも飛行機代の安さゆえ。2度ともキャンペーンのタイミングで予約したので、3人で3万円弱で行けた。知床フリークさんらによると、LCCが釧路や女満別に飛ぶ以前は、知床旅行はとても高くて、飛行機代だけでひとり7万とか8万円もかかったらしい。

帰ってくるなり、妻が今度は9月に行きたいという。
なんでも9月から10月にかけて、鮭の遡上のタイミングでヒグマが川を上がってくる鮭を食べているところが見れるという。人の趣向はそれぞれだが、また知床へ行くのかと思うと、気分的にはちょっと微妙だ。

帰りに釧路の魚市場に寄って土産に魚を買ってきた。焼いて食べると、シシャモやほっけが本当に美味しい。

もっと買って来ればよかった…。




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冬の知床 (1)

2021-03-15 20:16:33 | 旅行(国内)
再び、知床へ行ってきた。

昨年の11月に行ったときは冬のとば口だったが、今回はやや春の雰囲気を醸し出してた。実際、知床の桜の開花は5月の連休のころで、本格的な春の訪れはまだまだ先だが、先週末の知床はポカポカ陽気でダウンでは暑いくらいだった。

今回の目的は2つ。

一つは流氷の上で遊ぶ、二つ目は雪上の森を歩く、スノーシューイング。いずれも妻の要望で決まった。知床の流氷シーズンは1月の終わりから3月くらいまで。年によって若干異なるらしいが、年々、短くなっているようで、近い将来、日本では見られなくなるだろうと言われいる。ここ北海道のオホーツク沿岸が流氷がやってくる最南端ということで、そういう意味ではこんなにインパクトのある自然現象が見れる日本の道東は貴重な場所だ。ひと昔前までは12月から4月ごろまでびっしりと接岸した流氷が見られたらしいが、近年は2か月にも満たないのだとか。さらに流氷は1日に何十キロも移動するので、昨日あったのに今日はないということもあり、まさに運次第。私たちもびっしりの流氷ではなかったが、ぎりぎりのタイミングで間に合った。

特殊なドライスーツに着替えて、いざ流氷へ。

海に浮かぶ氷の上にいるのはなんとも不思議な感覚で時折、氷から海にドボンと飛び込む。けれどドライスーツは沈まないし寒くないので面白い。首と手首だけは少し濡れるが、薄い氷の上でジャンプすると氷が割れて海に落ちたり、思いのほか楽しい。いや、控えめに言って、相当楽しい。ずっと遊んでいたいほどだった。料金は2時間半で一人6000円。一見、そこら辺に浮かぶ流氷で遊ぶのに…と思ったりもするが、流氷の上を歩くには相当危険だ。地元の人らは小さいころから、絶対に流氷には乗らないと厳しく教わるらしく、やっぱり相応の装備とガイドさんが必要なんだと実感。

あとはスマホの防水ケースが必須だ。運が良いとクリオネとアザラシが見られるとのことで必死に探すものの全く見れなかった。

行く前までは、まったく期待していなかった流氷ウォーク。思いのほか楽しかった。

関東圏の方は成田からLCCのピーチが女満別に飛び始めたので、知床が格段に行きやすくなった。名古屋からだと関空から釧路へ飛ぶので、そこから車でおそよ2時間半から3時間かかる。そこがちょっとネックではある。せめて関空からも女満別へ飛んでくれれたらありがたい。これまで関空をハブにしていたピーチが名古屋をサブ的なハブとして就航しだした。札幌、沖縄、石垣、福岡、仙台線を開設してエアーアジアとジェットスターの路線を継承したようだ。ここにぜひ釧路を加えていただけるとうれしい。

タイが観光入国に際し、ワクチン接種をした者に対して隔離を2週間から1週間へと短縮した。ワクチン後は隔離撤廃かと期待していたのになんとも残念。といっても、ワクチンがいつになるのかわからないけれど…。

今年もまだまだ海外へは行けそうにないな…。









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北海道 知床編

2020-11-25 20:04:59 | 旅行(国内)
晩秋の知床。

宿泊はウトロに2泊。天気には恵まれたが、様々なネイチャートラベルは、すでに時期遅しでほとんど終っていた。羅臼に抜ける知床峠へも知床五湖へも行けず、ウトロのネイチャーセンターで長靴を借り、2時間のトレッキングをしただけ。知床と言えばヒグマだが、こんなプチトレッキングでも「出会うときは出会うので、気を付けてください…」と注意を受ける。けれど、出会ったのはエゾリスだけだった。それでも、知床の自然はほんとうに気持ちよかった。

その後、羅臼へ。本来なら知床峠を通れば35キロ程度の距離なのに一度、斜里の方から迂回しなければならず100キロ以上走ってやっと到着。海を挟んで国後島が良く見える羅臼、2月には流氷がやってくるらしい。どうせなら流氷の羅臼のほうが見てみたい。ここでも国後島が良く見える展望台へ向かう。北方領土にはうんざり気味の妻と子供がいなければ、飽きるまで居たかったが仕方ない。

やはりここでも、いつか国後島から羅臼も眺めてみたいと思った。ちなみに国後島へはサハリンのユジノサハリンスクから、表向きはツアーという形で2泊3日、56,000円程度の費用で案外、簡単に行けるようだ。これには南クリルへの許可証など諸々込みの価格だという。

昨年だったか、アベベがプーチンとの領土交渉の中で過剰に期待感を持って挑み、あたかも2島が返ってくるような一時があった。ふたを開ければ微塵たりとも進展などなく、完全に勇み足で終わったが、この出来事でロシアは本気で返す気などないと、多くの人が感じたように思う。

今となってはソビエトが崩壊したとき、あの時しかチャンスはなかったのではないかと思える。当時、困窮していたロシアに対して、経済援助とプラスしてお金で買うくらいの条件で2島は返ってきたのかなと。それでも国後と択捉島は返さなかっただろうと思うけれど…。

まぁ、たとえ返ってこなくとも、将来的にはビザなしで簡単に船で行き来ができるようになれば、知床ももっと賑わうだろうし、根室からも色丹島などへ船で行けるようになれば、道東自体がもう少しは経済的に潤うのではないかと思ったりした。

北海道は本当に過疎化が酷いと思う。なんとなく日本の将来を見てるような、本土も地方はどんどんあんな風になっていくのではないかとちょっと不安になった。その後、雪の中、知床から摩周湖と阿寒湖に寄って釧路へ戻った。

gotoでもうちょっと旅行者も多いのではと思ったが、道東は本当に少なかった。やっぱり札幌に集中するのかな。

タイが8度目の緊急事態宣言の延長を発表した。来年1月15日までだという。香港とシンガポールのトラベルバブルも香港の感染者増で延期されたようだった。

アジアはなかなか開かないなー。

もう、落胆しかない。

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北海道 納沙布岬、野付半島編

2020-11-24 20:02:35 | 旅行(国内)
出発の日、釧路空港周辺では濃霧が発生していて、乗っていた便は延々と上空を旋回してなかなか着陸しない。30分後、ようやく着陸を試みるも、あと少しで着陸という寸前に再び上昇。そこで機長からのアナウンスがあった。

「燃料が不足しているので、このまま札幌、新千歳空港へ向かいます…」

3時間半かかって到着したのは札幌だった。その後、給油のため機内で待機、45分後に再び釧路に向けて出発した。結局、5時間かかってようやく釧路に着いた。そのままレンタカーで今夜の宿泊地、根室に向かった。

この時期の根室の日の入りは早く、午後3時50分には日が暮れ、4時にはすでに暗い。根室の宿に着いたのは午後6時、釧路から3時間かかった。本来ならこの日は納沙布岬へ行き、その後、根室に引き返して宿泊、という予定がすっかり狂ってしまった。

翌朝、根室から20キロ、日本の最東端、納沙布岬へ。岬から目の前に北方領土、歯舞諸島の貝殻島が良く見える。その距離1,6キロほど。本当に目と鼻の先だ。貝殻島は無人島らしく、肉眼では建物らしきものは何も見えなかった。岬には北方領土資料館やNPOが建てた廃墟の巨大なタワーがある。資料館には高性能な望遠鏡があり、それで見ると灯台らしき建物が見えた。ロシア軍の監視塔かと思ったが、資料館の説明には戦前、日本が建てたものと記述があった。

妻と娘は、当然のことながらこういうものにまったく興味がなく、早く知床に向かいたがったが、花咲ガニとバーターで、野付半島の岬にも立ち寄ってもらった。野付半島の岬は、北方領土の国後島に最も近い場所にある。その距離およそ16キロ。その後、訪ねた羅臼からも国後島が良く見えたが、羅臼からの距離はおよそ25キロほどなので、野付半島からが一番近い。さらに野付半島には、野生のエゾ鹿がたくさんいて、しかもオジロ鷲も近くで見れたので、個人的は知床よりも楽しめた。

北海道を車で走ると、あらためて人口密度の低さを思い知るような気がした。ほとんど人がいないというか見かけない。釧路を離れ、根室に着くまでも小さな町をいくつも通過したが、あるのは北海道のコンビニ、セイコーマートとガソリンスタンドくらい。その間には牧場や農場の建物があるが、人の姿というものがない。過疎なのか、元々いないのかわからないが、廃屋も多く、季節柄もあるのかもしれないが、とても寂しい気分にさせられる風景だった。

天気はさほど良くなかったが、ちょうど納沙布岬と野付半島のタイミングで晴れてきて、ともかく歯舞諸島と国後島が見れて良かった。これで私の目的は終わり。知床は妻のリクエストなので、後は付き合うだけ。

いつか機会があれば、今度は国後島から野付半島や羅臼を見てみたいと思った。


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札幌 日本一危険な動物園編

2020-08-04 19:22:01 | 旅行(国内)
娘を宗谷岬へ付き合わせてしまったので、札幌に戻ったら、動物園に連れていく約束をしていた。北海道の動物園と言えば、旭川の旭山動物園が有名だが、札幌にはちょっと変わった動物園がある。

それが「日本一危険な動物園」だ。

以前、ユーチューバーのフィッシャーズがこの動物園を訪れた時の動画を見た娘が一度、行ってみたいと言っていた動物園だった。札幌市内から地下鉄とバスを乗り継いでおよそ1時間の山間にある。

正式名「ノースサファリ サッポロ」

入り口に着くと、ひと際大きな看板に「当園は普通の動物園ではありません、危険です。ケガや物損は補償できません、すべて自己責任です。了承した上での入園になります。」とデカデカと書いてある。基本、すべての動物園との距離が近い。さらに多くの動物にも触り放題。また、別料金だがライオンにハイエナ、キリンなどにエサやりができ、普通の動物園とは一風変わっている。

ライオンの釣り堀という名のエサやりがある。ライオンの檻の上に上がると真ん中が大きく開いている。そこへ生肉の付いた竿を垂らすとライオンが喰いついてくるというもの。もしもライオンに引っ張られ檻の中へ落ちて喰われても自己責任ということらしい。そういえば、見守るスタッフは皆無だった。現在、コロナで休止中だが、ライオンの肉球を触るというのもあった。

さらに園長さんと一緒にトラの檻の中に入り、トラと対面し、トングでエサをやるというエサやりもある。トラとの距離1メートル。一応、鎖には繋がれてはいるが、柵がない対面にはちょっとビビるほどの迫力だ。これ3人で1000円。他にも巨大なヘビを首に巻いたり、ナマケモノにカワウソ、マイクロ豚にフクロウに陸ガメなどなど、全部、タダで触り放題。

さらにデンジャラスゾーンというのがある。

こちらはあらためて、誓約書に署名して入る。まず毒蛇の部屋。床に毒蛇がいる。噛まれないように木の切り株の上をトントンと進んでいくように道が作られている。万が一、つまずいて落ちて噛まれても自己責任ということらしい。そしてピラニア、たくさんいるピラニアの水槽に一本の細い板が引かれている。その上を歩いて進んでいく。万が一、落ちて噛まれても自己責任。ワニも同じような作りで、落ちたら死にますと書かれていた。後は気持ちの悪い幼虫が何百匹も入っているタライを飛び越えたり、巨大なゴキブリがいたり、ともかく罰ゲーム感覚のアスレチック要素満載の動物園だった。

動物園が好きではない人にも、まぁ、楽しめる。普通の動物園との一番の差は、お客さんに対して全くサービス精神がないこと。基本、すべてほっとらかしのセルフだ。一見、ふざけているのかポリシーなのかわかり難いが、これが案外、心地良い。緩い管理で自己責任で遊ぶ。動物なんだから、触って嫌がられて噛まれても仕方がない。それが怖いなら触らなければ良いというのも実にシンプルでわかりやすい。

併設されているアスレチックも、やっぱり自己責任だった。本格的なジップラインでさえ、装備の装着もセルフだし、ヘルメットすらなかった。セルフで人を置かない。安全は自分で担保する。だからなんでも安いし、規制もない。

もしかすると、ここは動物園ビジネスの隙間を狙ったのかもしれない。

とりあえず、娘は大満足だった。

動物好きの方、ぜひ一度、行ってみては…
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北海道 稚内編

2020-08-03 20:08:23 | 旅行(国内)
北海道、稚内の宗谷岬へ行って来た。

日本の最北端、正確に言うと、本土最北端の地。ロシアのサハリンまで41キロ。行った日は晴れで、気温20度、けれど海風が冷たく、体感温度は15~16度の感じで肌寒かった。サハリンが見える日もあるらしいが、この日は全く見えずちょっと残念。観光客はほとんどいなかったが、バイクで旅するライダーの方々が結構、集まっていた。

稚内へは、札幌からJRの特急でおよそ5時間20分。北海道には元々、特急も含めすべての列車に5日間乗り放題で24000円という切符がある。今回、それが北海道版GoToトラベルとして半額の12000円になっている。これは窓口でこの金額で購入可能だ。普通に札幌ー稚内を特急利用で移動すると、片道1万円以上するので、かなりお得感のある切符になっている。なんでも、予算が尽きたら終了らしい。

札幌ー稚内を結ぶ特急列車は1日1本のみ。4両編成だが乗客は3割にも満たないほどガラガラだった。旭川を過ぎ、宗谷本線に入ると、無人駅が増え、周辺の風景も北海道のイメージそのものになる。時々、止まる駅もこじんまりしていて、人の乗り降りはほとんどない。たまに古い木造建築の駅舎のある駅もあり、さながら、健さんの映画「ぽっぽや」を思わせる。

突然、車内放送で「この先、列車はシカなどの動物と接触多発区間となります、急停車にご注意ください…」とアナウンスがあった。面白いと思って聞いていたが、帰りの列車で見事、シカと接触し急停車。列車は遅れる羽目に…。本当にあるんだなと納得した。

国境の町、稚内。

昨年まではサハリンのコルサコフまでの船が出ていたのだが、すでに廃止されてしまった。ようやく昨年から極東ロシアへ、電子ビザでの往来が可能になったばかりなので、そのタイミングでの廃止は、往来増の流れに逆行するようで残念でしかない。市内にある寂れた商店街のアーケードにはキリル文字の案内が数多く記されていて、少なからず交流があった痕跡が残っている。

稚内はうら寂れた最果ての港町という感じで、特に何があるわけでもないが、またそれが良い雰囲気を醸し出していて、個人的にこういう町は嫌いではない。稚内では車を借りた。宗谷岬までは30キロほどあり、人数によってはバスで移動するよりも安上がりだ。宗谷岬ともう一つ、ノシャップ岬というのがある。根室の先、納沙布岬と似ていて紛らわしいが、こちらはカタカナ表記、遠くに利尻富士が見えた。また高台には巨大なレーダーアンテナがいくつもある航空自衛隊の駐屯地がある。とても大きな駐屯地で、ここはまさにロシアと対峙する北方の最前線なんだなとつくづく…。

夏の北海道は湿度も低く、本当に気持ちが良かった。もはや本土は亜熱帯になりつつあるので、尚更そう思うのかもしれない。でも、もし今度来るなら、冬だなと思う。やはりこのうら寂れた感を味わうには、人のいない冬の方が、きっと味わい深いはずだ。今度は、ぜひ炭鉱町にも行ってみたい。

そんなことを思いながら札幌へ戻った。
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西表島 カヌー編

2020-04-08 20:39:00 | 旅行(国内)
西表島でカヌーに出かけた。

両側にマングローブが生い茂る河を登っていくことおよそ2時間。両腕がパンパンになったころ上流に着いた。今度はそこから山の上層部にある滝に向かって、ぬかるんだ細い道をトレッキングする。歩いて小一時間で滝に到着。緑色の苔がびっしりの岩と石が広がる場所に滝があった。滝の上に上るとそこに流れる水辺に天然の大ウナギがいた。

西表島にはちょっと日本離れした大自然があった。

ガイドさんは兵庫県から西表に来て6年目の女性だった。生き物や植物に詳しく聞くとなんでも答えてくれる生き物博士のような人だった。以前は水族館に勤めていたそうだが、こちらの自然に魅了され移住したのだとか。西表にはダイビング好きか生き物、または自然好きな人が移住者に多いのだそう。

わかるような気がするが、私には絶対に無理だと思った。まず虫が多すぎる。どこにでも何かしらの虫がいたりする。それがもう耐えられない。キャンプも嫌いではないが、夜眠るときに背中が痛くなるのがキツイ。理由はマットレスが薄いからだが、寝返りを打っても体中が痛く、3泊目には痛くて夜中に目覚めてしまったほど。フカフカのマットがないと連泊キャンプは辛いなとつくづく思った。

これは軟弱ということではなく、おそらく体質の問題だと思われる。

食材は石垣で買い込んで毎日、3食自炊をした。米を炊き、肉を焼きカレーを作ったり…、最初は楽しかったが、3日目には正直ちょっと飽きてくる。妻には言えなかったが、やっぱりキャンプは2泊で充分。いや、やっぱり旅館とか普通に宿に泊まる方が楽だし良く眠れるので、キャンプは体質的に向いていないのかもしれない。

西表島はもう十分。

やっぱり国外の方が楽しい気がした。



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西表島編

2020-04-06 19:29:00 | 旅行(国内)
石垣から船で40分、揺れもなく到着。西表島は沖縄県で本島の次に大きな島だったらしい。そんなこと全く知らなかった。石垣からの船は、便も多く一番栄えている南側の大原港か北側にある上原港のどちらかに着く。私たちはか大原港行きを選んだ。そこでレンタカーを借り宿泊地である上原港近くのキャンプ場を目指す。

西表の宿泊はキャンプにしてみた。

目指すキャンプ場には固定のテント、設備の揃ったキッチンに24時間使用可能のお湯シャワーがあり、寝袋と食材持参すれば手ぶらキャンプができる。これで一人1泊1000円×3人分で3000円。そこに固定テント代が1000円プラスされ、3人で1泊4000円になった。キャンプ代としては高い部類に入るとは思うが、設備を考えれば充分安い。しかも設備はどれもキレイでとても快適だった。

大原港からキャンプ場まで車で40分。結構、遠いので、あらためて島の大きさを実感する。道沿いには「イリオモテヤマネコに注意」の看板が至る所に設置されている。西表と言えば、とりあえずヤマネコだ。ただ夜行性なので地元の人でもめった見れないらしい。道は海に沿って1本しかないので、基本迷いようがないのだが、ナビを入れてその通りに走ったら、なぜか6キロ先の普通の民家に着いてしまった。不思議だ。民家の人に聞いてきた道を戻りようやく到着。

西表島は島のほとんどが手つかずの自然のまま。マングローブのジャングルや滝があり、まさにネイチャーアイランドそのもの。個人的には自然より街の方が好きなので、この島では妻が主導権を握り私は後から付いていくだけ。本当はキャンプ場でボーっと本でも読んでいたかったのだが、あまり「行かない!」を連発すると機嫌が悪くなるので、まぁ、仕方ない。妻は若いころ、この島で住み込みバイトをしており、ようやく再訪できたことに大喜びでテンションが高かったので尚更、素直に従うしかなかった。

同じ旅行好きでも、それぞれのスタイルがある。そこを合わせるのはなかなか大変で、これはもうどちらかが合わせるしかない。今回は私が先に与那国に付き合わせてしまったにので、後は私が合わせる番だった。

そういえば、今日の夕方、石垣と西表と与那国の八重山の3町がちょうど来島の自粛を発表していた。あまりにもタイミングが良すぎてちょっと微妙な気分。

そしてようやく緊急事態宣言。周囲に押されての宣言というのは、ちょっとどうなのか?。

で、なぜ、愛知県は入れなかったのだろう…?
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与那国島編

2020-04-05 20:05:19 | 旅行(国内)
石垣島から50人乗りのプロペラジェット機でおよそ30分。水平飛行はごくわずかであっという間に日本最西端の島へ到着。乗客は8人のみだった。通称「ゲロ船」と呼ばれる船も石垣ー与那国を週3便から4便、およそ4時間半で結んでいる。こちらは往復で7000円弱と経済的だが、時間の都合と船酔い体質もあってここはビューんと飛んでしまった。

与那国島。

台湾までおよそ110キロ、フィリピン北端の島までも480キロと東京ー大阪間よりも近い場所に位置している与那国。もしこの島から船でも出ていれば国境の島として、もう少しは栄えていると思われるが、実際は特に何もない。海底遺跡とハンマーヘッドシャーク目当てのダイバーと野鳥好きのおじさんが時々訪れる程度らしい。

車を借りて島内を走る。一周しても40分程度の島だった。島は3つの集落があり、それぞれ民宿と雑貨屋さんと飲食店と郵便局が数件あるだけであとは何もない。銀行もコンビニもスーパーもない。しかも人も少なく、滅多に遭遇しない。途中で食堂に入り与那国そばを食べ、日本最西端の碑の前で写真を撮る。1年のうち数回だけ台湾が見えるという場所から台湾を眺めるが、当然ながら見えない。与那国空港に台湾が見えた日の写真が飾ってあり、その写真にはすごく近くに大きく見えた台湾があった。あんなに大きく見えるのに、どうしていつも見えないのか不思議だった。

それから「Dr コトー」の撮影が行われた診療所跡へ行ってみたり、普通に道端に歩いている馬や牛を近くで眺めていた。何もないが、天気も良かったので牧場のような景色と人のいない風景がとても気持ち良かった。

宿泊は民宿の素泊まり。泊り客は大きなキッチンで自炊ができるようになっている。そこには大きなテーブルもあり宿泊客が集えるようになっている。ちょうど野鳥おじさんとダイバーのお客さんが一人泊まっていた。夕食前に皆で話をする。こういう民宿に泊まるのが初めてだった娘は
普通のホテルより楽しいと喜んでいた。

さらに民宿のおじさんともいろいろな話をした。本土はコロナ一色なのに、与那国ではマスクをしている人は皆無だった。聞けば、コロナの影響で少なからずキャンセルがあり、島の経済には大きな打撃なんだとか。おじさん曰く、島を完全に封鎖しない限り、いずれはやってくるだろうと島の誰もが思っていると言っていた。けれど島の経済の多くは観光業と繋がっていることから、自粛で誰も来なくなることも本意ではないとのこと。役人と年金生活のお年寄りは来てほしくないと思っているのは、まぁ、当然かもしれないが、立場によって人の意見は様々だ。

石垣島に本土からコロナ避難で多くの人が押し寄せているという記事がネットに掲載されていた。石垣には一泊、しかも夕方着いて、翌朝出てしまったので良くわからないが、島民のマスク着用はほぼ皆無。しているのは外から来た観光客のみという感じだった。夕飯を食べに街に出かけたが、自粛もほぼ皆無。入った地元民と観光客が半々という居酒屋もすぐに満席に…。しばらくすると三線を持った店長が島唄を歌い始めて大盛り上がりという展開に…。店員さんに「自粛とかはないんですか?」と聞くと、「地元の人は、ほとんどないですね。でも観光客の方はいつもよりは随分少ないですよ…」と。なんとなく、石垣に押し寄せる的なネットのニュースとは、ちょっと違うような気がした。

自粛は必要だろうと思う。ある程度の移動制限も。ただ完全かつ強制的にやれないなら、立場によって考え方が微妙に異なるのではないかと思う。強制なら諦めもつくし、とりあえず補償も出るだろうし、あとはひたすら耐えるだけになる。本当は国が強制的に一定の期間、経済活動を含めた移動と外出制限をやれるならそれがベストなのかもしれない。

けれど自粛はあくまでも自粛で強制ではない以上、補償だって当てにはならないし、結局は自己責任で生きていかないといけない。離島で観光客相手で生きている人達にとって、誰も来なくなるのは死活問題だ。本音は可能な限り気を付けて来てくれるのが一番だということ。これは現在、場所に関わらず、すべての商売において言えることだと思う。コロナは怖いが、仕事はしないと生きてはいけない。

理想的な批判ばかりでは、本質的に何も解決しない。

日本の一番西の端で、志村けんの死とこんなことを考えていた。
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