今日、大きな本屋さんへ行ったおり、久しぶりに
ガイドブックを購入した。
旅行人が出している、「アッサムとインド北東部編」である。
別に旅行に行く予定などないのだが、以前から行きたい
場所だったのと、なかなかこの辺りのガイドブックが
なかったのでつい購入してしまった。
インド北東部、通称「セブンシスターズ」と言われるこの7州は、
1995年まで基本的に外国人の入域は禁止されていた。
現在でも7州のうち4つの州はパーミッションが必要であり
しかも、申請しても許可がおりるとは限らないという場所である。
そのような事情からもインドには、腐るほど要る旅行者も未だ
この一帯には大変少ないそうである。ブータンとバングラディシュ
との間に挟まれた回廊によって、インド本土と繋がっているものの、
ミャンマーとの国境は難く閉ざされ、場所柄、陸の孤島のような
地理的要因の為、インドでありながら、非インド系の文化を色濃く
残しているようである。
そのため、東南アジアと西南アジア(インド文化圏)の中間に
育ったもう一つのアジアを見て取れるそうである。
もうひとつのアジア…。
「行きたい」
何日あったら行って帰ってこれるだろう。行きたいところを
絞っても、最低2週間は掛かりそうである。
それにしても、4年前から旅行人は季刊誌になってしまったのか…?
どうりで本屋で見かけなくなったと思った。
最近の若者は旅に出なくなったみたいだし、そうするとこのような
本は売れなくなるんだろうな…。
発行人の蔵前仁一は一体何をしてるのだろう?
昔、イランで2~3日一緒の部屋をシェアしたⅠ君が熱心な
旅行人投稿者であった。私はその時、39度の熱を出し部屋で
寝込んでおり、それを知っていた彼は、その朝、「水を買って
来てあげるよ」と言い出掛けていった。以外と「良い奴だな」
と思ってしばらくは待っていたが、結局彼が水を持って帰ってきたのは、
夕方の5時過ぎであった。
私は、昼頃まで寝ていたが耐えられなくなり、宿のオヤジに
付き添ってもらい病院へ。尻に太い注射を2本打たれ、宿の
部屋に戻って寝ていたのであった。
彼は帰ってくるなり、開口一番「キャビア寿司食いに行きませんか?」
とぬるい水を渡してくれた。
彼は熱を出して寝ている人に、生モノを薦めるのであった。
「今、そんなもん食えないよ」と言うと、「そうですよね、生モノは
無理ですよね。じゃあ、中華行きましょうよ。マーボー豆腐なら
火が通ってるから食えますよね。」と真顔で言うのであった。
「そういう問題じゃないだろ。熱を出している時に、脂っこい
マーボー豆腐なんか食いたいわけねえだろ」と、説教のひとつでも
してやろうかと思ったが、悪気はなさそうなので、まあ、丁寧にお断りした。
そして後日、やはり彼は、旅行人にその時のことを投稿していた。
そこには「今イランのテヘランにいます。連れが部屋で寝込んで
いるので、一人でキャビア寿司を食べに行きました…」というような
見出しの記事であった。
いつの間にか、私は彼の連れになっていた…
当時、拓殖大学の4年生だった彼は、その後ジャスコに就職したと
ハガキが届いた。そのハガキは、北朝鮮の平壌からでどうやら
入社2年目に有休を取り旅行をしているようであった。
今でも旅行人というと、彼を思い出す。

ガイドブックを購入した。
旅行人が出している、「アッサムとインド北東部編」である。
別に旅行に行く予定などないのだが、以前から行きたい
場所だったのと、なかなかこの辺りのガイドブックが
なかったのでつい購入してしまった。
インド北東部、通称「セブンシスターズ」と言われるこの7州は、
1995年まで基本的に外国人の入域は禁止されていた。
現在でも7州のうち4つの州はパーミッションが必要であり
しかも、申請しても許可がおりるとは限らないという場所である。
そのような事情からもインドには、腐るほど要る旅行者も未だ
この一帯には大変少ないそうである。ブータンとバングラディシュ
との間に挟まれた回廊によって、インド本土と繋がっているものの、
ミャンマーとの国境は難く閉ざされ、場所柄、陸の孤島のような
地理的要因の為、インドでありながら、非インド系の文化を色濃く
残しているようである。
そのため、東南アジアと西南アジア(インド文化圏)の中間に
育ったもう一つのアジアを見て取れるそうである。
もうひとつのアジア…。
「行きたい」
何日あったら行って帰ってこれるだろう。行きたいところを
絞っても、最低2週間は掛かりそうである。
それにしても、4年前から旅行人は季刊誌になってしまったのか…?
どうりで本屋で見かけなくなったと思った。
最近の若者は旅に出なくなったみたいだし、そうするとこのような
本は売れなくなるんだろうな…。
発行人の蔵前仁一は一体何をしてるのだろう?
昔、イランで2~3日一緒の部屋をシェアしたⅠ君が熱心な
旅行人投稿者であった。私はその時、39度の熱を出し部屋で
寝込んでおり、それを知っていた彼は、その朝、「水を買って
来てあげるよ」と言い出掛けていった。以外と「良い奴だな」
と思ってしばらくは待っていたが、結局彼が水を持って帰ってきたのは、
夕方の5時過ぎであった。
私は、昼頃まで寝ていたが耐えられなくなり、宿のオヤジに
付き添ってもらい病院へ。尻に太い注射を2本打たれ、宿の
部屋に戻って寝ていたのであった。
彼は帰ってくるなり、開口一番「キャビア寿司食いに行きませんか?」
とぬるい水を渡してくれた。
彼は熱を出して寝ている人に、生モノを薦めるのであった。
「今、そんなもん食えないよ」と言うと、「そうですよね、生モノは
無理ですよね。じゃあ、中華行きましょうよ。マーボー豆腐なら
火が通ってるから食えますよね。」と真顔で言うのであった。
「そういう問題じゃないだろ。熱を出している時に、脂っこい
マーボー豆腐なんか食いたいわけねえだろ」と、説教のひとつでも
してやろうかと思ったが、悪気はなさそうなので、まあ、丁寧にお断りした。
そして後日、やはり彼は、旅行人にその時のことを投稿していた。
そこには「今イランのテヘランにいます。連れが部屋で寝込んで
いるので、一人でキャビア寿司を食べに行きました…」というような
見出しの記事であった。
いつの間にか、私は彼の連れになっていた…
当時、拓殖大学の4年生だった彼は、その後ジャスコに就職したと
ハガキが届いた。そのハガキは、北朝鮮の平壌からでどうやら
入社2年目に有休を取り旅行をしているようであった。
今でも旅行人というと、彼を思い出す。
