帰国いたしました。
帰宅すると、母親から留守電が入っていた。
聞くと、祖父が亡くなったとの知らせだった。ちょうど、帰国日が本葬の日だった。
なんてタイミングが悪いのだろうと思った。
長野県に住む母方の祖父は、祖母が亡くなってからずっと一人で暮らしていた。跡取りだっ
た長男夫婦と折り合いが悪く、さらにうちの母をはじめ他の実子との関係まで悪く、「ひね
くれじいさん」のようなもの言いで呼ばれていた。
長男夫婦には子がおらず、当然のことながら外孫とも疎遠だった。唯一、私だけが小さな頃
から夏や冬、そして春の休みになると度々、田舎へ通った。今思えば、現実逃避先に近いも
のがあったし、長男夫婦に子がいなかったこともあって、田舎ではいつも皆に大歓迎しても
らえるのが心地よかった。なかでも、特に祖父には可愛がってもらっていた。欲しいものが
あると、電話で祖父にねだって買ってもらっていた。これは中学3年の頃まで続いた。
20代になると、さすがに田舎に行くこともなくなったが、30代になってからは2年に一度は
顔を出して、食事を一緒にしていた。昨年3月に行ったのが最後になってしまった。
3月くらいに、今年はどうしようかと一度は考えたが、結局、行かなかった。
今思えば、「あの時行っておけば…」と思えてならない。
95歳という年齢だったが、これといった大病もせず元気だったので、まだ数年は大丈夫だろう
と勝手に思っていた。
やっぱり、最後に会っておきたかった。
これで、「田舎のおじいちゃん家」というのが無くなってしまった。
旅の疲れなのか、心労なのか…。
お肉でも食べれば、少しは元気になるだろうか?
帰宅すると、母親から留守電が入っていた。
聞くと、祖父が亡くなったとの知らせだった。ちょうど、帰国日が本葬の日だった。
なんてタイミングが悪いのだろうと思った。
長野県に住む母方の祖父は、祖母が亡くなってからずっと一人で暮らしていた。跡取りだっ
た長男夫婦と折り合いが悪く、さらにうちの母をはじめ他の実子との関係まで悪く、「ひね
くれじいさん」のようなもの言いで呼ばれていた。
長男夫婦には子がおらず、当然のことながら外孫とも疎遠だった。唯一、私だけが小さな頃
から夏や冬、そして春の休みになると度々、田舎へ通った。今思えば、現実逃避先に近いも
のがあったし、長男夫婦に子がいなかったこともあって、田舎ではいつも皆に大歓迎しても
らえるのが心地よかった。なかでも、特に祖父には可愛がってもらっていた。欲しいものが
あると、電話で祖父にねだって買ってもらっていた。これは中学3年の頃まで続いた。
20代になると、さすがに田舎に行くこともなくなったが、30代になってからは2年に一度は
顔を出して、食事を一緒にしていた。昨年3月に行ったのが最後になってしまった。
3月くらいに、今年はどうしようかと一度は考えたが、結局、行かなかった。
今思えば、「あの時行っておけば…」と思えてならない。
95歳という年齢だったが、これといった大病もせず元気だったので、まだ数年は大丈夫だろう
と勝手に思っていた。
やっぱり、最後に会っておきたかった。
これで、「田舎のおじいちゃん家」というのが無くなってしまった。
旅の疲れなのか、心労なのか…。
お肉でも食べれば、少しは元気になるだろうか?