今回のシドニー滞在で、ガイド的役割から解放されたのは、夕方4時から翌日、昼までの
たった1日だけ。
この時を逃すと、もうどこへも行けそうにないので、早々、かつて住んでいた場所へ向かう。
四半世紀前、長期滞在していた時、ボンダイビーチに隣接するタマラマというところに住んで
いた。記憶はおぼつかなかったが、日が完全に落ちる前にたぶんそうだろうと思われるフラット
を見つけた。この辺りは静かな住宅街で、周囲に人影もなくひっそりとしていた。長い時間フ
ラフラしているとなんだか怪しまれそうなので、名残惜しかったが、早々、次の目的地へ向かう。
暮らしていた当時、ここから毎日、ボンダイビーチを通りノーズボンダイにあるアルバイト先
である「チャコールチキン」というチキンの炭火焼の店まで歩いて通っていた。片道およそ30分。
天気の良い日はほんとうに爽やかで気持ちよかったのを覚えている。
すでに陽は落ちて真っ暗だったが、週末だったせいかボンダイビーチはそこそこ賑やかだった。
当時と同じように歩いて店の前までやってきた。
けれど、かつての店は見当たらない。ただ同じ場所にチキンやさんはある。店はすっかり改装され、
店名も「チャコールチキン」から「リトル エル」に変っている。
メニューや商品を見ると、それは昔と同じような気がした。とりあえず、チキンのハーフとポテト
のセットを頼んで、店員さんにちょっと尋ねてみた。
店名が変ったのは、もう何年も前らしく店員さんも詳しくはわからないようだった。
ポルトガル人のオーナーのトニーは、今も経営者だが店には、もう時々しか来ないらしい。昔は
私を除くアルバイトの全員がブラジル人の留学生で、店内はポルトガル語オンリーだったが、今
は、もう完全なオージーの店のようだった。
当時の私の仕事は、頭と羽の取れた丸ごと一羽のチキンを捌くこと。お腹から包丁を入れ内臓をきれ
いに取り出し、そのチキンを秘伝のたれ、レモンジュース、蜂蜜、オレガノ、お酢、塩、などの調味
料を混ぜたものに一晩つける。これがすべてだった。捌く鳥の数は平日で150羽から180羽。休みの
前の日は280羽くらい捌いた。当時の時給13ドル。およそ1400円くらいだった。週6日で1日6時間か
ら7時間の仕事だった。昼に限らず、店の食べ物はなんでも食べ放題で、その後の旅行資金を稼ぐ身
したら、ほんとうにありがたい職場だった。
すっかり暗くなったボンダイビーチを見下ろす高台のベンチで、昔を思い出しながら、26年ぶりの
チャコールチキンを食べた。
それは、26年前と同じ味だった。
つづく。
たった1日だけ。
この時を逃すと、もうどこへも行けそうにないので、早々、かつて住んでいた場所へ向かう。
四半世紀前、長期滞在していた時、ボンダイビーチに隣接するタマラマというところに住んで
いた。記憶はおぼつかなかったが、日が完全に落ちる前にたぶんそうだろうと思われるフラット
を見つけた。この辺りは静かな住宅街で、周囲に人影もなくひっそりとしていた。長い時間フ
ラフラしているとなんだか怪しまれそうなので、名残惜しかったが、早々、次の目的地へ向かう。
暮らしていた当時、ここから毎日、ボンダイビーチを通りノーズボンダイにあるアルバイト先
である「チャコールチキン」というチキンの炭火焼の店まで歩いて通っていた。片道およそ30分。
天気の良い日はほんとうに爽やかで気持ちよかったのを覚えている。
すでに陽は落ちて真っ暗だったが、週末だったせいかボンダイビーチはそこそこ賑やかだった。
当時と同じように歩いて店の前までやってきた。
けれど、かつての店は見当たらない。ただ同じ場所にチキンやさんはある。店はすっかり改装され、
店名も「チャコールチキン」から「リトル エル」に変っている。
メニューや商品を見ると、それは昔と同じような気がした。とりあえず、チキンのハーフとポテト
のセットを頼んで、店員さんにちょっと尋ねてみた。
店名が変ったのは、もう何年も前らしく店員さんも詳しくはわからないようだった。
ポルトガル人のオーナーのトニーは、今も経営者だが店には、もう時々しか来ないらしい。昔は
私を除くアルバイトの全員がブラジル人の留学生で、店内はポルトガル語オンリーだったが、今
は、もう完全なオージーの店のようだった。
当時の私の仕事は、頭と羽の取れた丸ごと一羽のチキンを捌くこと。お腹から包丁を入れ内臓をきれ
いに取り出し、そのチキンを秘伝のたれ、レモンジュース、蜂蜜、オレガノ、お酢、塩、などの調味
料を混ぜたものに一晩つける。これがすべてだった。捌く鳥の数は平日で150羽から180羽。休みの
前の日は280羽くらい捌いた。当時の時給13ドル。およそ1400円くらいだった。週6日で1日6時間か
ら7時間の仕事だった。昼に限らず、店の食べ物はなんでも食べ放題で、その後の旅行資金を稼ぐ身
したら、ほんとうにありがたい職場だった。
すっかり暗くなったボンダイビーチを見下ろす高台のベンチで、昔を思い出しながら、26年ぶりの
チャコールチキンを食べた。
それは、26年前と同じ味だった。
つづく。