ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

出来ないものは出来ない

2017-10-02 21:23:03 | 時事(海外)
ノーベル賞、今年は日本人の受賞はなかったのかな?

平和賞は5日の発表らしいが、今年はミャンマーのスーチーさんの影響もあって、受賞後
にがっかりさせられない方の選考に苦慮しているらしい。といっても、その予測は大変、
難しいけれど…。

先日、彼女が卒業したオックスフォードに飾ってあった肖像画は外されたらしいけれど、
一度、受賞した賞が取り消されることはないという。

それにしても、この方の評判は、ロヒンギャ難民の件でガタ落ちしてしまった。元々、ミ
ャンマーの少数民族問題は複雑で、最初から彼女ひとりでなんとかなるような問題では
なかったような気もするが、その後の対応の仕方が悪かったのではということだと思う。

そもそもミャンマーを支配するビルマ族の見解では、元々、ロヒンギャ族は今のバング
ラディシュにあるチッタゴン丘陵にいたベンガル人という見方をしている。実際、ロヒ
ンギャはベンガル語を話している。ということは、元々、このミャンマーにはいなかった
わけで、それなら母国であるバングラディシュに帰ってもらって当然、という身勝手な
解釈はこのへんから来ていると思われる。

では、一体、いつ、ミャンマーに来たのか?

一つは戦前、イギリス植民地時代。ミャンマーとバングラデシュはともにイギリスの植民
地だったから、移動は難しくなかった。そして戦後の混乱期にもロヒンギャはミャンマー
に移住しているらしい。流れをつくったのはミャンマーの軍事政権という話もある。軍事
政権に反発するラカイン族を押さえるために連れてこられたというもの。植民地時代から
大戦後にかけて迫害されたのがラカイン族で、今、人権侵害を受けているのがロヒンギャ
族ということにもなる。

結局、争いの元を作ったのは宗主国だったイギリスとうことになる。

ただ、そもそも共存できないのが問題なわけで、今さらイギリスを非難したところでなに
もはじまらない。

案外、今起きている多くの人権問題は、世界の歴史そのもののように思う。そんな根の深い
問題の解決をスーチーさん一人に期待してしまうのもなんだか酷なような気もしなくない。

「簡単に、出来ないモノは出来ない。」

思い切ってそう言ってしまい、国際機関の手助けを求めた方がよほど、好感が持てたのに…。

ちょっと残念な気がしている。


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