ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

大垣夜行

2021-01-26 21:37:10 | 時事(国内)
東京と岐阜の大垣を結ぶ「ムーンライトながら」が廃止というニュース。

すでに定期列車ではなく臨時に成り下がっていたようで、廃止は時間の問題だったのかもしれない。昭和の世代にはかつての「大垣夜行」のイメージの方が強く、今でも緑とオレンジ色の車体と4人掛けのボックスシートを思い出す。乗ったのは一度だけ。高校1年生の春休みに友人と大阪へ遊びに行く時に利用した。まだ国鉄から民営化したばかりのころで、席座も指定ではなく、早い時間から東京駅で並んで待った記憶がある。固いボックスシートで、ほとんど眠れずに早朝の大垣に着き、そのまま米原行に乗り継ぐのだが、ここでダッシュしないと席の確保が出来なかった。そんなことを知らなかった私たちは、案の定座れず米原まで立つ羽目に…。徹夜明けのボーっとした頭で体力の有り余る高校生だったにもかかわらず、辛かった記憶しかない。

帰りも、同じルートで東京まで戻ったが、もう2度と乗りたくないという、辛さだけが刷り込まれた行程だった。以来、乗ることはなかった。当時は安いバスもなく、18切符を使うことで圧倒的なコスパも魅力だったが、今はそのような差はなく時間が読めるくらいで、バスの方がずっと楽だ。昼間の移動で同じ座れるのなら鉄道を選ぶが、夜行なら間違いなくバスになる。日本での寝台車はすでに衰退し、夜行列車の移動は、一部を除いて不可能になりつつある。

今でも夜汽車の旅は旅情を誘い魅力的にも映るが、迎える朝を思うと尻込みしてしまう。選択肢が増え、疲労が伴う移動の回避。実はこれが一番の理由なのかもしれない。

友人が大垣駅に隣接するマンションに住んでいる。北側の部屋からはJRのプラットホームが見えるほどの近さだ。時々、その友人が、「うちからは、ほんとんど歩かずに東京駅へ行けるんだよ…」と言うので、何のことかと思ったが、それがこの「ムーンライトながら」のことだった。夕食を食べ、風呂に入り、ジャージに着替えて大垣駅の改札まで徒歩1分。そのまま改札を抜け、「ながら」に乗ると、翌朝には東京というわけである。

国鉄の面影を残す列車が無くなる。

またひとつ、昭和が遠くなった気がしている。
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