10日、11日は妙高・火打山の登山道修復のボランティアへ。この活動は元高谷池ヒュッテの管理人である築田さんが1992年に開始したもので、現管理人の本宮さんに引き継がれています。火打山を愛する人たちが新潟県以外の各地からも参加しています。この活動には1993年の第二回活動から参加しており、18年間参加。でも、最初に参加した1993年は、山小屋に(一般の登山客として)宿泊していたときに、ボランティアの宴会に参加したところ、”酒を飲んだのだから参加して(働け)!”とのことで、参加、といことで、”ボランティア”活動というものの、お金を払って参加(=宿泊費を払って)した唯一のメンバー?です。それがきっかけで、妙高に足繁く通ううことになりました。今回は、最初のころに植生復元をしたところに生えた、ハンノキの枝払い、並びに登山道を覆っている木々の枝払いでした。ハンノキの生命力はすごいです!
火打山も秋の気配が感じられます。
下山後は、笹ヶ峰の明星荘で山菜そばを。いつもおいしいそばです。今日は、山菜そばの中に、キノコが入っていました、もう秋ですね。その後、高田の八木酒舗へお酒を購入に。そして、コーヒーをいただきながら、お酒の話や塩の話を。日本海側では製塩が盛んとのお話で、意外な感じが。安塚で、今、話題になっている塩をいただきました。この塩、安塚に来た、フィリピン出身の方が、フィリピンで作ったものをもとにした塩だそうです。そういえば、道直しの夜の宴会でも日本海側の塩について話題になっていました。製塩に適した海とは、大河のない海岸が適している、とのことで、笹川流れあたりがよい塩ができるとのことでした。日本海から長野も善光寺まで、塩の道ができていたそうです。