ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

春のような野沢温泉、そして色々と

2024-02-19 08:28:39 | スキー
生暖かい朝の長野県飯山

信濃川(千曲川)に川霧。これは春の訪れを表すもの。まだ2月なのに
雪も道路にはありません。
野沢温泉のゴンドラから妙高山方面。快晴です


ゴンドラ降りてゲレンデに立つと頸城の山々が一望できます。

今回も灯籠木峠から七ケ巻(ならまき)へ。顔なじみになった温泉街のコンビニのおじさんと話しをしながら、最近雪が降ったから新雪かも?と。

少なく固まった雪の上に降った新雪を気持ちよく歩きながら。

うさぎの足跡がアチラコチラに。ウサギの運動会のように縦横無尽に。

水尾山山頂。2週間前よりも雪は少な目
やはり洗濯板のような、段々畠のような雪の少なさ。その上にパウダーが。なにかパウダーがもったいない、そんな気がします
奥志賀林道へ降りると遠くに苗場山、八海山などが。

奥志賀林道の道標も2週間前よりもしっかりと出ています
稜線から七ケ巻へ向かう途中、妙高山、火打山が綺麗に。
でも雪が少ない!

写真撮っていると、迎えの山の鍋倉山方面からスノーモービルの爆音が山あいに響き渡っています。静かな自然を楽しむ気持ちをブチ壊しますね。暫く経つと爆音も聞こえなくなりました。
滑りにくい斜面

昔のツアーの看板も朽ちて、木に取り込まれて一体化しています。もう、このクラシカルツアールートも歴史の中に消えていきます。

滑りやすいところを探しながら滑っていたら、通常のルートを外しました。このルートは尾根が3つに分かれ、真ん中が正解。20年近く来ていると何回か間違えたことも。今回も慌てずに。そして、負け惜しみではありませんが、木が大きくなって藪漕ぎする通常のルートよりも滑りやすかったです。

予定通り七ケ巻(ならまき)へ。
千曲川の対岸から飯山線の踏み切りの音。暫くするとディーゼルが単行で。そういえば昔は飯山線は列車の窓よりも高く雪が積もって、雪の回廊の中を通ったものです。そして国鉄で一番の積雪を記録したのは北海道、東北ではなくてこの飯山線。昔はよく自衛隊の隊員の方達が除雪していました。
そんな豪雪も昭和の思い出



七ケ巻(ならまき)で1日3便のバスを待ちます。ポカポカとして気持ち良い(ですが雪が無い)

昼過ぎに宿に戻り、温泉街から外れて一番高いところにある滝之湯へ。
誰も入っていないので嫌な予感、熱くて足を入れるとジンジンと。
逆に誰もいないので自撮り。
野沢温泉の外湯、寒いと寒さの寒気と人が入って撹拌されて温度が下がります。でも、暖かい気温、誰も入っていない、ということで熱く。

嫁さんは熱くて入れなかった、桶でお湯を浴びただけ、と。
宿に戻る途中、河原湯へはしご。温泉街の中にあり多くの人が入るので適度な温度

夜は先々週に続いて昔からあるお好み焼き屋さんへ。日本人は我が家だけ。お店の人と話しをすると、スゴイことになりましたね!と。昔はもう少しノンビリとできましたが、と。ゆっくりしていって下さいよ、とは言われましたが外に外国人が並んでいるので店を出ました

夜は硬い雪のバーンを滑ったので足も痛く、温泉効果、夜のお好み焼き屋+ビール、そして朝寄ったお店で買ったワンカップの地酒でバタンキュー。

野沢温泉といえば外湯。
朝起きて近くの外湯へ。
振り向くとモルゲンロートの妙高山

部屋に戻ると頸城の山々が朝の光に輝いています

いつもの”みゆき商店“さんで“道祖神饅頭”と添加物ゼロの野沢菜漬けを。添加物無いので日持ちはしませんが、絶品
お店の横には山形県の羽黒山からの昔ながらの道標。ここは昔からの道で羽黒山へ参拝した参詣者が湯治に来たそうです。

東京経由名古屋へ

北アルプスもくっきりと



山々には早くも真っ赤な蕾を付けた杉林。一面、真っ赤です
見ているだけで鼻がムズムズしてきます。

横川SAでは”おぎのや“さんの釜飯。牡蠣入りと鮭のはらこの釜飯

不思議なのはそれぞれ包装紙に描かれた“創業◯年”の数値が違うこと。多分、古い包装紙を使ったのですね。新たに作らずに無駄なことしていないのが好感持てます。

東京の用事を済ませて神奈川県登戸の父の墓参り
お寺さんの梅も良い香り

夜に名古屋へ。
週末、名古屋→野沢温泉→東京→名古屋と900km。

日曜日の朝の野沢温泉、バスターミナルには多くの外国人が荷物を持って集まっています。もう、外国人スキー客も終わりかな、と。
ところで、土曜日の夜、温泉街を歩くと、ここは日本か?と、思うくらい外国人。そして外国人で溢れているスタンドバーが。

野沢温泉は、まだ、村の管理がしっかりしている方なので良いですが、外国人リゾート会社、外国人資本の入った所は色々と考えさせられます。
ニセコヒラフに40年近く通っていて、のどかな時代→オージーの裕福な人達が増え始めた時代→外国人相手に商売をしようと来日した外国人→オージーのバブル崩壊→アジア系の買占め。

結局、そこに住んでいた日本人の人達は元々は農業と宿の経営で生業収入を立てていましたが、高騰する地価、跳ね上がる固定資産税で殆どがいなくなりました。

そこへ投資目的で大量の不動産購入、そして”世界的な“リゾート地へ。これも、ひとえに昔と違ってインターネットの力も大きいと。その結果、日本人が泊まることのできないようなコンドミニアムばかり。
海外のリゾート会社にすれば“貧乏な1億3000万人=日本人”よりも”1万人の金持ち=外国人“のほうが優先されます。野沢温泉のように管理できていればまだ歯止めできますが、もう無法地帯。しかも日本にはお金が落ちない巧妙な仕組み。国税庁がいくらでも調べてもお金の流れがつかめない、その一方でライフラインの向上は日本に要求する。

外国人の土地規制ができず、日本以外の殆どの国が“相互主義”を採用しているのに、日本だけがそれを行っていないのは何故だろうか、と。
莫大な利権が絡んでいるのでしょうね。
結局は、日本人が住めず、雇用も日本人ではなくて海外からの人を使うと。よく、日本の行政は、リゾート開発をすれば税金増え、雇用が増える、と。まやかしだと。
今、全国各地が”第2のニセコ“を目指して海外のリゾート開発会社を受け入れ始めています。新潟のとある地域でも。
そして、日本人が手を出せないリフト券高騰、宿泊費高騰となり、スキーが大衆スポーツではなくなります。世界的に見ればスキーはやはり金持ちのスポーツ。でも少なくとも“昭和”の時代は”私をスキーに連れてって“という映画のように大衆のものでした。

これからもっと酷くなるのかな?



























コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« メテレスキー!、でも春はすぐそこに... | トップ | 暖かさを感じる名古屋の週末 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿