ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

メテレスキー!、でも春はすぐそこに?

2024-02-13 08:11:05 | スキー

三連休は妙高赤倉へ
斑尾山からの日の出
妙高山は日の出で紅く染まっています


今年のゲレンデはここ数年の中でピステンの整備がしっかりとしてしています。朝一番のまっさらの、きちっと整備されたピステンのあとのゲレンデの滑走、ものすごく気持ち良い!


三連休なので混んで来たので早めにゲレンデを撤収。そして美味しいお昼をぽん太郎さんで。

美味しいランチの後は、上越高田、金谷山スキー場へ

一本しか無いのに何故”第2リフト“と思って係員さんの方とお話をすると、“昔、高田平野に向かってジャンプ台があってそこにあったリフトが第一リフトだったのですよ”と。なるほど、昔は、ジャンプ台ありました、今はなくなっていますが。
のんびりと、シングルリフトでカタカタと。



日本海もよく見渡せます

この金谷山、日本のスキーにとっては歴史的な場所。
八甲田山死の彷徨として有名な(悪名高き)日本の山岳遭難の歴史で最大の犠牲者を出した陸軍の大量遭難、そしてその後の日露戦争と”冬の戦争“のために“スキー”の必要性を感じた陸軍。そこでオーストリアからレルヒ少佐を招聘、陸軍にスキーを導入のための訓練
1911年、明治44年1月12日。
ここで発せられたレルヒ少佐の
”メテレスキー!“(スキーを装着せよ!)
これが日本のスキーの歴史の始まり
ちなみに次に発せられた命令は
“オテレスキー!”(スキーをぬげ)

最初にレルヒ少佐が訓練をしたのはスキー場の反対側、高田平野を望む斜面。ちなみにこのレルヒ少佐の銅像は高田平野を見下ろし、更に故郷オーストリアを向いているそうです
レルヒ少佐、その後北海道にわたり、倶知安駅近くの旭山スキー場で、軍事訓練を行っています。このときには少佐から中佐に、そして倶知安にあるレルヒ公園の銅像は恰幅が良くなっています!
夜は久しぶりに外国人だらけの赤倉、柴田食堂さんへ。おばちゃんも元気そうでした
連休中日。
天気悪く視界も無く、更に朝から駐車場が満車になるくらいのスキー客。こんなときにはスキーをしても楽しく無いし、なにしにろ怪我をしたくないので自然の中へ

いもり池の周りをステップソールで








野鳥も沢山。

ゲレンデの喧騒から逃れて静かな冬を。



モンスターのような木。これも冬の雪のいたずら?

天気が良いと妙高山が見えるいもり池。ですがスキー場がよく見えるので、せっかくの妙高山も台無し。
でも妙高山は見えなくてもガスでスキー場が隠れて静かないもり池。

お昼はぽん太郎さんで大好きな”牡蠣フライ“。
夜は知人達と“うどんの歩”さんで。
美味しい料理と美味しいお酒、そしておじさん、おばさん、知人達と楽しく赤倉の夜を。

連休最終日も朝は天気悪いので妙高赤倉から名古屋まで高速道路使わずに国道18号、19号を抜け道使って名古屋へ南下
いつもの木曽上松のお蕎麦屋さん”越前屋“さんへ

江戸時代からある歴史的な蕎麦屋さん。皇女和宮、十返舎一九、その他の名だたる歴史上の人達も食した蕎麦屋さんです。


この冬の時期だけの“すんき蕎麦”
”すんき“とは木曽地方の冬の保存食。赤カブを発酵させたもので酸味が強く、蕎麦に加えると独特の味に。そして最後に蕎麦湯を入れると蕎麦湯のまろやかさとすんきの酸味が美味しい蕎麦のつゆと相まって美味しい味に。

お店の方と話をしていると、外には春が来ていますよ!、と。

お店の周りにはもう、初春の花、福寿草が咲いています

今年は冬らしくなく、既に春が。
今年のすんき蕎麦、期間が短そう。





















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