ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

ポカポカ陽気のスキー

2021-02-08 10:08:13 | スキー
まだ、2月始めというのに暖かい冬

いつもの妙高、アカカン(赤倉観光リゾートスキー場)へ。
久しぶりに天気の良い週末
途中の姨捨SAからの夜明け前の善光寺平。


でも、なんとなく春霞のような靄(もや)。

近づくと妙高山が綺麗に。

駐車場へ行くと多くの車。人出が戻ってきたのか、と思うと、実は地元の車。丁度、子供たちのスキーの競技があり、その送り迎えの車。
リフトが動くまで車の中で

アカカン名物の傾いた駐車場。
凍結したときには滑り落ちて隣の車に接触するトラブルも昔は良くありましたが。





朝の陽光も暖かみ。
地元の知人がいたので一緒に。
ゲレンデを滑ってから、燕温泉側、関見隧道方面へ



前日は一昨日の新雪で良かったのでしょう、でも雪はゴワゴワで新雪を楽しむ、ということは無かったです。トンネルも赤倉温泉側スキー場側から寄せられた雪でやっとのことで脱出

暖かい気温、雪中をもがいたので、汗だくに。
知人と赤倉観光ホテルへお茶しに。
リッチな気分を(たかがコーヒーですが)。
知人はこのホテルの自家製のパン🍞を買ってここでお別れ。このホテルのパン、とても美味しいです、そして安い。
知人と別れてから赤倉で一番美味しい(と個人的に思う)ぽん太郎さんへ。
ちょうど、前山に登って降りてきた地元の高校の先生と。朝一番にあがったので上の方は楽しかったとのこと。下からリフトに乗りながら、前山に沢山人が登っているな、と思っていましたがその中の先頭集団にいたのですね。
お昼のあとには春スキーのようなゲレンデで。






新しく購入したブルーモリスのステップソールの試運転。乗り慣れているカルフに比べると重くて硬い。色々と難儀しながら汗だくに。
宿に戻ってから夜は赤倉温泉街にある“うどんの歩”さんへ。



出かける前に宿からの妙高山。赤倉観光ホテルの灯りが。



うどんの歩、さん、今年の3月で30年以上のお店を閉めます。本当に美味しい、素敵な昔ながらのお店。また、”昭和“が消えてしまいます。
宿に戻って夜景を。
翌朝は晴れ



午前中は良さそうな予報、その後は急速に冬型に逆戻りの予報。
朝食を食べてから東京の実家へ









春霞のような、モヤッとした山々。
いつも立ち寄る横川SAへ。ここで釜飯を購入。東京の母も好きなのでいつも購入。



釜飯、“おぎのや”さんのお店の前にはディーゼルカーのモックアップ。キハ57。横川軽井沢間、いわゆる横軽区間の碓氷峠越えに使用された車両。
トンネルが低いためにこの区間だけ車両の高さを低くできる特殊車両。空気バネでこの区間だけ空気を抜いて、全くサスペンションが機能していなかったです。横川駅、軽井沢駅では車両の高さが変わるのが実感。そして電気機関車の補機。ラック式の時代にブレーキ装置がラックにあたるのでディスクブレーキ方式に。
この間の長い停車時間に釜飯を買いに走り回ったのも昭和の思い出。
でも、ここに展示してあるのは実はキハ57ではなくキハ58。表示だけ碓氷峠馴染みのキハ57に。

釜飯の具の入った釜飯パンを扱っていたお店も休業。武漢肺炎の影響は日本の、世界のあらゆるものを破壊していますね。
いつも、下仁田ネギを

だんだんこぶりになってきています。お店の人と話をしたら、もう、季節も終わりで、中々大きなネギを集めるのが大変、とのこと。
世の中、いつもとは違う、とはいっても、自然、季節の移り変わりは昔から変わらず。もう、春はすぐそこに来ているのですね。

実家で母とお昼ごはんの釜飯を食べて、買い出しをしてから名古屋へ。
途中、神奈川県登戸にある父の墓参り。
多摩川を渡る橋を通るときに車の中から見ると河原には沢山の人達、歩道も多くの人が。いつも寄るお花屋さんで、話を聞くと”サイクリングロードも多くの人達が散歩していて凄い人ですよ“
天気よく、ボカポカしていれば仕方ないですかね。家に閉じこもれ、という方が無理かな。
確かに途中のディスカウントショップも車が入りきれないくらい人が溢れていました。
東名川崎から名古屋へ。









富士山、とても冬の富士山という光景ではなく春先のようなまだら模様。本当ならば真っ白に覆われているのですが。
夕方前に名古屋へ。
これから、スキーシーズン、どうなるのかな?



















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