ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

植生復活、地に足のついた自然保護とは

2022-08-25 10:08:41 | 
40年近く通った妙高、火打山。そしてそこにある高谷池ヒュッテ。

この山小屋は、地元頚城の山小屋として地元に愛されてきました。
設備的には、よく言えば“近代的”な、悪く言えば”金をかけた“北アルプスの山小屋に較べると不便さ、目立ちます。でも、その管理人さん、スタッフは魅力的な人達が多く、単に山を登ると言うよりも、その人達に会いに来る登山客、常連客の多い山小屋でもありました。
その管理人さんが、30年近く前に始めた登山道整備。
周囲の山々が火山であるのに対して、火打山は数少ない“隆起した山”。周囲の火山の”火を沈める“と言う意味で“火打山”と名付けられた、と言うことも地元の人からうかがったことも(あくまでも聞いた話)。
また、名だたる豪雪地帯でもあり、雪解けの雪の力により、隆起した山は崩れやすく、どんどんと木々は失われ、”石山““瓦礫の山”と化してきていました。
そこで、その当時の管理人さんは、最初は一人で、そのうちに山仲間達と、この山を好きな人達がボランティアで木道のみならず、山体崩壊の元となる植生復活を始めました。
使用する植物は、その付近の高山植物の種を。丁度この時期に種をつける植物を利用。
土留めを作って土砂が流れないように。


崩れて足元が崖になった場所は、内側にあらたな道を切り開きました。
資材は、ヘリで運ぶことはありましたが、登山口から担ぎ上げたことも。



時期的には、登山客の少ない、夏の終わりから秋の紅葉までの間、だいたい9月初旬に。

もちろん、自然相手ですから雨の時にも。
ある年には、大雨で、泥まみれになって”道直し隊“が“道壊し隊”になりそうで、作業中止、お客さんのいないときには早速、宴会を。もちろん、天気回復した翌朝は朝早くから作業。
でも、雨が降っても、この山、そしてこの山小屋を愛する人達は地元のみならず、全国から集まってきました。
夏山だけではなく、春先の春スキー、厳冬期のパウダーを求めて来た人達も。好きな山小屋へのご恩返しと、年に一回会う同窓会のように。もちろん、毎回、新しい人達、お子様連れの人とかも。
夜は、楽しく、宴会を。他にお客さんがいないときには徹夜して、時には、お客さんを巻き込んで。人数が多いときには、幾つかの”分科会“に別れて、それぞれの分科会を酒瓶持ってハシゴして。巻き込まれたお客さんもこの山小屋のファンになって翌年道直しボランティアに参加された方も。
翌朝、二日酔いで作業したことも多々。

そして20年以上前に植生復活をした場所を元管理人さんが、先日、写真に





ものの見事に復活、土砂崩れを防いでいます。
この“道直しボランティア”、歴代の管理人さん達が引き継ぎ、最初に始めた管理人さんから4代目までその志を続けてきました。

残念ながら今はその思いは繋がらず、おこなわれていません。

火打山といえば天狗の庭一面に咲き誇るハクサンコザクラが有名です。全国、白山も含めて各地でハクサンコザクラに接することができますが、ここのハクサンコザクラが1番紫色が綺麗と(贔屓の引き倒しかな?)。しかし今は、道直しボランティアの作業箇所より下部の土砂が流れ込みハクサンコザクラの群生地がドンドンと小さくなってしまっています。明るいピンクがかった紫色に一面覆われていた天狗の庭を知っている人達には寂しい、そんな光景。

自然保護、と声高に叫ばれても、行政が関与するものは、”木道設置“と“登山道の枝払い”。これは一時の工事。将来を見越して植生復活させようという長い目の活動は難しいと。
その山の本当の美しさは、そこにある山小屋、そこを愛して集まる人達によって護られるものかもしれません。

素敵な山小屋は、北アルプスの山小屋でもそうですが、ロケーションの魅力と共に、そこにいらっしゃるスタッフが魅力的だと思います。

山の登り方、百名山制覇、二百名山制覇、縦走登山、様々。その中でお気に入りの山小屋に通うのもひとつの山登りかと。

20年以上前前の今は失われた良き山小屋の時代の思い出。









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