爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 bb

2014年10月01日 | 悪童の書
bb

 リスク・マネジメントと危機管理は立場がちょっと違うそうである。理論上。良く分からないながらも理解しようと努力する。

 もちろん、絶対的な正しさなんて、ひとつもない。

 猫ちゃんのヒゲはリスクを予測する。この幅なら我が肉体は通り抜けることが可能である。もともと幅以下ならば、向こう側へと通じる道には違うルートを探す。これが、リスク・マネジメント。先々の心配とかもろもろ。やばい、なんだか急に先が狭まってしまった。壁と壁の間から身動きがとれない。油断していたのか。そこで、切羽つまった状況のうまい解決はどうしようかが、このことが例えると危機管理のようだ。どうやら、こんな説明では、経済学者、エコノミック博士にはなれないだろう。永遠に。物語と映像が常に勝る。やばい、浮気をしようとしたのに結婚指輪がまったく抜けない。さて、これは、どっち?

 心配だけではなにも成し遂げられない。無鉄砲だけでも、ゴールにたどりつけない。計画を立てる。不安の要素を洗い出す。ひとつひとつ潰していく。バーベキューに行く。食材があって、冷たい飲み物があって、炭があって、ライターがない。決してこうならないよう、前もってリストをつくる。遠足や旅行前も同様である。弁当があって、水筒があって、おやつがある。心配性にはもっとたくさんのリストと荷物が必要になる。ものには限度がある。線を引く。その中間地点で迷うことになる。面倒くさいとあきらめるひともでてくる。代行する会社は、サービスを謳う。

 充電したはずのバッテリーがカメラに入っていない。桜咲く砧公園にいる。遠い地で、ただのカメラの重みだけが実感としてある。物忘れが、リスクにも危機管理にも含まれていない。だが、リュックには日常持ち歩いているカメラもあった。各駅と急行の停まる駅を未確認のため、さらに本に夢中になって乗り過ごしてしまう。降りる景色がちょっとだけ違う。失敗だと思っていたことが、意に反して、結果として良好だったりもする。

 渋滞が予想されても、しない訳にはいかないことも多くある。うんざりや厄介もトランクにきちんと収まっている。完璧なる予定の完全な遂行も人生の最大の楽しみとは別物のような気もする。小さな上乗せを。その小さな満足感が、ひとを幸福にする。ショートケーキの天辺のイチゴのように。

 すると幸福は外的な要因に左右されやすいことになる。思いがけないプレゼント。

 プレゼントはプラスに限るのだろうか。

 ブラック・マンデー。突然の到来。突き詰めれば、負の要素として、「ブラック」ということばを使うことこそ潜在的な差別意識だと主張するひともいる。ブラック企業。意識しなければ、ことばの小さな意味合いの点検などしないで用いている。

 株価の暴落もリスクである。反面、だからこそ利益の根もある。シーソーは傾くので、うえにも昇る。猫ちゃんは紙切れの価値など知らない。いたって現物主義である。

 価値が急に上がったり下がったりする。最近でもサッカー選手の実例がある。片方のチームに立てば、高く買って安く売る。そのことだけで倒産や身売りするほど、経営の体力がないチームではない。片や、高く売って、その余った資金でグラウンドの一部を改修して、当人を安く買い戻す。企業としては素晴らしいが、人気とか実力とぴったり一致するかといえば、そうとも言えない。みんな、見込みと戦術に該当するかの賭けにも似た予測などで売買するのだ。監督が変われば、作戦も一変するかもしれない。

 そういう危なっかしい綱のうえに乗り、選手も監督もキャリアを積む。理解し尽くせないことを、漠然とした運と名付けて呼んだりもする。ある一定の普遍性をチームが維持しようと勝手に働く。名門という看板が付く。それは価値以上の威光を与える。その威光の力に弱小チームは自らのガッツを事前に滅ぼす。そして、絶対的な永続性など誰も有していない。ローマもハプスブルクもいつかは終わるのだ。

 その間に普遍的な戦術を生み出す頭脳もある。最初はリスクや危険を顧みなかったのかもしれない。奇襲のひとつに過ぎなかったのかもしれない。だが、そのノウハウが移転される。違うチームにも。さらには競技の技の名前として最初に行ったひとの名が残る。リスクと危険を冒したことが金字塔となる。

 その間に骨折が無数にあるのだろう。

 ある外国の軍人のひとつのエピソード。関ヶ原の陣形を見る。フォーメーションの美しさ。「じゃあ、勝ったのはこっちだね?」机上の理論も美しい。「いや、反対です」「だって、そんなことはないだろう? これだよ!」

 当事者であること。修学旅行で女性の風呂をのぞくこと。または部屋まで行く。リスクより、やはり無鉄砲である。赤いジャージというまやかしのため見誤った大柄の男性の美術教師にスリッパで思いっ切りあたまを叩かれる。危機管理がなっていない。だが、正確なビジョンも倒す旗もないのだ。若者は、無知な若者はこういうことをするのだ、という意向(これも威光)をなぞったに過ぎない。猫ちゃんででもあれば、うまくすり抜けたかもしれない。ジンジンする頭。少し正座のブレイク・タイムができ、その後、大部屋の二段ベッドで寝る。次こそはという確たる挑みと信念がぼくを作る。

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