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誰が発起人だったのだろう。制服を愛用するなど趣味ではない。アウシュビッツの記憶。支配する側と、される側。長いブーツと縞模様の普段着。ハイル・ムッソリーニ。
陸上部でお揃いのウインド・ブレーカーを着ている。勢ぞろいした写真もどこかにあったはずだ。物事の常として上手くいった場合、経過を忘れられる運命にある。誰の手柄も、反対の責任も必要ない。すでに、そこにあったのだ。
先輩がそれを着ていたイメージはない。試合のユニフォームはあった。シックな色合い。原風景。だから、ぼくらの代からの発案だった。
ちょっと離れたスポーツ・ショップでデザインを伝え、人数分のサイズを確定して発注する。定かではないが、顧問の分を割り勘で作ってプレゼントした気もするが、歴史の美化かもしれない。もし、したとしても100円程度の出費で賄える計算になる。所属するグループの一員として、それを着てトレーニングをしていた。
先輩が卒業を控え辞める際に、ぼくはキャプテンに任命される。自分としては、もうひとりが選ばれると勝手に思っていた。自分という存在と十五年ほど付き合っていたので、オーガナイズする能力も付与されていないのは自分のなかで確定ずみで、この任務や責務に向いていないことは把握できていた。組織力が完全に欠落している。その後も芽生えることもなかった。だが、そこそこチームはまとまっていた。他の部活のキャプテンや主将がどう知恵を働かせていたのか知ることもない。リーダーとしての能力があったひとも確かにいた。でも、十五歳。あれが、限度だろう。
いまになれば、自分たちがいなくなったときまで、きちんと舗装をしてこその先輩だと考えられる。風雨に耐え得る。賢いひとは有能な弟子をひとりでも発掘して、伝授することも不可欠だと思う。あくまでも理想論に過ぎないが。ぼくは、破壊に傾いている。その部活がその後、どのような運命をたどったか知らない。そして、責任があったのかも理解の範囲外にある。
いま、その学校の野球部はとても強いそうだ。
そうした父母たちのいくらかの出費を各自で交渉することが生徒の裁量で許されるほど、実力があった。短距離も強く、中距離にも秀でたひとがいて、長距離(大人の観点にたてば、ここもはっきりと中距離)にも数々のタレントがいた。みな、小柄であった。長く走らせるにはエンジンも小さく、躯体も小さい方が向いているのかもしれない。アフリカの勇者と競い合う世界でもなかったので。
強豪校がいる。すると二番目に甘んじるという悲哀が生じる。越えられない壁として他校の先輩に憧れる。その足腰の強さを生かして、競輪の学校にすすんだといううわさを聞いたが、その後の活躍は伝わってこない。上には上がいるというのがスポーツを選んだ人生の物の見方のメリットであった。当時は無性に悔しくても。人生は、負けが付き物なのだ。いつも勝利者でいることなどできない。まれに、できるひともいる。沖縄のアフロ・ヘアのボクサーとかが。だが、テレビでは滑稽な部類に役割がある。片時も揺るがずに、勝利者ではいられない。
陸上部の顧問は狂気をひめたひとだった。エピソードは割愛する。カタカナもしばしば誤っていた。ソニー製の携帯音楽プレーヤー「ポークマン」や大塚製薬の「ポカリット」などなど。そういうものを試合の際に注意するように、ということだったと思う。苦悩も知らない年代のぼくらは笑い転げる。抱腹絶倒。さよなら、大好きなひと。
別の映像。
卒業も間近になる。別のクラスを受け持つ先生の家で食事をしている。その前に、夜間の先生の時期もあったらしくその実りある実生活の誇らしさ(当然、光だけの世界でもない)を熱弁に至らないかすかな熱さで、ぼくに伝えた。職業としての選択肢として、こういうのも悪くないと言った。もし、君が望めば。ぼくも、悪くないと思っている。できない子ができる、というのを手助けする作業こそ、もっとも貴いのだとの事実を疑うこともできない。
妻と子どもがいたはずだが、記憶からまたもやこぼれる。ぼくらは小遣いを合わせ、先生の自宅に向かう前に手土産を買った。ああいう利得を度外視した優しさをぼくはどれほど受けたのだろう。これも、書類にはならない心温まる記憶であった。
だが、反抗することもやめない。怒りはいつまで保てるのだろうか。このひとつの小さな誤りを正さなければ、明日も来ないのだという無意味な正義感。打算も妥協も、相容れない。
同級生の母たちは、この十五年しか生きていない生意気なぼくをどう見ていたのだろう? 組織という観点がなくても、ささいなリーダー・シップを有していたと認めていたのだろうか。自分の息子や娘が付き合うには相応しいのか、害はないのか、と判断をして考慮する時間もあるのだろうか。そこは、空気には微量な不純物があり、水道水ももっともまずい地域の住人なのだから、適度な悪も許してくれていたのだろう。
その少年が記憶して、文字を打っている。自分を美化する傾向に陥ることは正しいのだ。反論がなければ、議会を通過してしまう。多数決も、相手がゼロなら簡単だった。確実に一票は手元にあった。買収も賄賂もなく。
誰が発起人だったのだろう。制服を愛用するなど趣味ではない。アウシュビッツの記憶。支配する側と、される側。長いブーツと縞模様の普段着。ハイル・ムッソリーニ。
陸上部でお揃いのウインド・ブレーカーを着ている。勢ぞろいした写真もどこかにあったはずだ。物事の常として上手くいった場合、経過を忘れられる運命にある。誰の手柄も、反対の責任も必要ない。すでに、そこにあったのだ。
先輩がそれを着ていたイメージはない。試合のユニフォームはあった。シックな色合い。原風景。だから、ぼくらの代からの発案だった。
ちょっと離れたスポーツ・ショップでデザインを伝え、人数分のサイズを確定して発注する。定かではないが、顧問の分を割り勘で作ってプレゼントした気もするが、歴史の美化かもしれない。もし、したとしても100円程度の出費で賄える計算になる。所属するグループの一員として、それを着てトレーニングをしていた。
先輩が卒業を控え辞める際に、ぼくはキャプテンに任命される。自分としては、もうひとりが選ばれると勝手に思っていた。自分という存在と十五年ほど付き合っていたので、オーガナイズする能力も付与されていないのは自分のなかで確定ずみで、この任務や責務に向いていないことは把握できていた。組織力が完全に欠落している。その後も芽生えることもなかった。だが、そこそこチームはまとまっていた。他の部活のキャプテンや主将がどう知恵を働かせていたのか知ることもない。リーダーとしての能力があったひとも確かにいた。でも、十五歳。あれが、限度だろう。
いまになれば、自分たちがいなくなったときまで、きちんと舗装をしてこその先輩だと考えられる。風雨に耐え得る。賢いひとは有能な弟子をひとりでも発掘して、伝授することも不可欠だと思う。あくまでも理想論に過ぎないが。ぼくは、破壊に傾いている。その部活がその後、どのような運命をたどったか知らない。そして、責任があったのかも理解の範囲外にある。
いま、その学校の野球部はとても強いそうだ。
そうした父母たちのいくらかの出費を各自で交渉することが生徒の裁量で許されるほど、実力があった。短距離も強く、中距離にも秀でたひとがいて、長距離(大人の観点にたてば、ここもはっきりと中距離)にも数々のタレントがいた。みな、小柄であった。長く走らせるにはエンジンも小さく、躯体も小さい方が向いているのかもしれない。アフリカの勇者と競い合う世界でもなかったので。
強豪校がいる。すると二番目に甘んじるという悲哀が生じる。越えられない壁として他校の先輩に憧れる。その足腰の強さを生かして、競輪の学校にすすんだといううわさを聞いたが、その後の活躍は伝わってこない。上には上がいるというのがスポーツを選んだ人生の物の見方のメリットであった。当時は無性に悔しくても。人生は、負けが付き物なのだ。いつも勝利者でいることなどできない。まれに、できるひともいる。沖縄のアフロ・ヘアのボクサーとかが。だが、テレビでは滑稽な部類に役割がある。片時も揺るがずに、勝利者ではいられない。
陸上部の顧問は狂気をひめたひとだった。エピソードは割愛する。カタカナもしばしば誤っていた。ソニー製の携帯音楽プレーヤー「ポークマン」や大塚製薬の「ポカリット」などなど。そういうものを試合の際に注意するように、ということだったと思う。苦悩も知らない年代のぼくらは笑い転げる。抱腹絶倒。さよなら、大好きなひと。
別の映像。
卒業も間近になる。別のクラスを受け持つ先生の家で食事をしている。その前に、夜間の先生の時期もあったらしくその実りある実生活の誇らしさ(当然、光だけの世界でもない)を熱弁に至らないかすかな熱さで、ぼくに伝えた。職業としての選択肢として、こういうのも悪くないと言った。もし、君が望めば。ぼくも、悪くないと思っている。できない子ができる、というのを手助けする作業こそ、もっとも貴いのだとの事実を疑うこともできない。
妻と子どもがいたはずだが、記憶からまたもやこぼれる。ぼくらは小遣いを合わせ、先生の自宅に向かう前に手土産を買った。ああいう利得を度外視した優しさをぼくはどれほど受けたのだろう。これも、書類にはならない心温まる記憶であった。
だが、反抗することもやめない。怒りはいつまで保てるのだろうか。このひとつの小さな誤りを正さなければ、明日も来ないのだという無意味な正義感。打算も妥協も、相容れない。
同級生の母たちは、この十五年しか生きていない生意気なぼくをどう見ていたのだろう? 組織という観点がなくても、ささいなリーダー・シップを有していたと認めていたのだろうか。自分の息子や娘が付き合うには相応しいのか、害はないのか、と判断をして考慮する時間もあるのだろうか。そこは、空気には微量な不純物があり、水道水ももっともまずい地域の住人なのだから、適度な悪も許してくれていたのだろう。
その少年が記憶して、文字を打っている。自分を美化する傾向に陥ることは正しいのだ。反論がなければ、議会を通過してしまう。多数決も、相手がゼロなら簡単だった。確実に一票は手元にあった。買収も賄賂もなく。