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人見知りという重厚なコートを脱ぐ。えりまきも外して。
大人になっても人見知りという成分を保持しているのは、随分と我がままで身勝手で傲慢であるなと思う。自分もそうした覆いをなかなか捨てなかった。捨てる機会もなかった。
見知らぬひとがいる。共通点も見いだせない。会話もしなければ分かりようもなかった。そもそも他人に興味がない状況も存在する。自分と少数の周囲で我が国土は成り立っている。その小さな世界をわざわざ壊すこともない。
急に暇ができる。社会人になっている。いくらか預金がある。もしくは、何かの賭け金が戻ってくる。海外旅行のツアーにでも参加するかと思いめぐらす。手っ取り早い。恋人も友人もいない。少なくとも、いても急な休みがとれるほど会社員は甘くない。ぼくは、ぼくに対して限りなく甘い。休んだ期間に滞りがないために励むときだけ、自分に厳しくなる。
夕食のテーブルにひとり座る。周りの顔を一通り見る。凡その年齢と性別しか判断材料がない。そのひとらに、「友人もいない、恋人もいない」と思われているんじゃないかとの被害妄想が勝手に生まれる。ワインをボトルで飲みたい。休暇なのだ。我慢してもデキャンタ。一杯ぐらい差し出してもいい。ぼくは雄弁になるよう変身を強いられる。作ろうと思えば友人など無数にできるキャラクターなのだと演じる。必要が発明の母であった。結果、やり過ぎる場合もある。
誰かを笑わせて、ガードを下げさせるという役目もある。新婚夫婦の観光客の写真ぐらいは撮ってあげる。やろうと思えばできるものだった。
不慣れなことをしてしまった末端に芽生える恥というしずくの賞味期限も、どんな醜さも百年で潰える。本人も、覚えているひとも、糾弾したいひとさえ誰もいない。しかし、当然のこと、自己嫌悪もある。二日酔いと同じだ。翌朝は、じっとりと変な汗をかいている。
本質はひとりで本でも読んで過ごしていたい。無言で、静かに。妻も、これまた静かにピアノを弾いている。若き日の空想は常に美しい。現実は正反対の映像となって結実する。きょうも、どこかの酒場で管を巻いている。大臣である女性を、空想のなかでどうこうであった。生きていることが恥ずかしい。ちなみに、うちわを有していない方である。注解、終わり。
イタリア人にもなりたかった。電話のオペレーターの仕事もした。言葉を介在させなければ世界は暗闇と等しかった。無言で理解し合えることなど決してなく、伝えることは正確な大きさで伝えるべきであった。それができるのが大人であり、社会人であり、人間であった。
遂に終わる。最終局面。
あるリゾート地で人見知りの水着を脱ぎ捨てた。暖かい陽気のなか、屋根のない座席があるレストランにいる。夜空は雨が降りそうもない。となりで女性たちが食事をしていた。ぼくも友人とともにいて、それとなく声をかける。海外での最後の日で、両替したお金もほとんどなかった。合流してから使った代金ののこりをカードで払った覚えがある。そのひとりの女性は、ずっと、「ストリップ」に行きたいと言っていた。北陸とか、もう少し東北寄りのあの辺りのふたり。だが、そうはしなかった。横にあるぼくらのホテルで飲み直した。事件は未遂で終わる。人見知りだけが完了した。
別の友人のエピソード。
多分、こういう暖かい地でのストリップとか、そういう類いの場所であろう。オプションを追加するか交渉の機会が訪れ、結果として、ぼったくられる。やはり、人見知りであることも利益があるのだ。
次第に度を越す。
迷惑がられなければ誰とでも喋れる。酔いを含めば、急速に長所か短所を発揮する。向こうの迷惑のサインも見逃す。わざとか、正直にかの分岐点は不明だ。最終的に、自主的(ときには、やんわりとイエロー・カード)出入り禁止の警告に及ぶ。常連の仮の立場もさらば。
とある横浜方面の酒場。入口に明確に、「他のお客様に話しかけるのはお止め下さい」と条例文のように書かれていた。ぼくもその気持ちで入る。ノドが渇いていた。もとの人見知りの衣服をタンスの奥から引っ張り出す。だが、直ぐに話しかけられる。テレビで高校野球が放映されていて、震災のあとということもあり、福島の高校を応援する一致した気持ちが、なによりも室内を和やかな状態にする。用事で出てこなければならなかったが、名残惜しい気持ちでいっぱいだった。会話とか声援で、グループは共同体として機能する。
サービス。してもらいたいこと。ちょっとした優しさ。心遣い。それはにこやかな表情とか、軽い触れ合いとかでも表現できる。しかし、本当のところ、ことばとか、優しさに適した声量とかで満たされるのではないのだろうか。ぼくは、ぼく自身を肯定する。常に肯定する。冷たく無視しても、ぼくが正しく、反対に、つっかかるように、挑むように話しかけたとしても、ぼくは正義の側にいる。むずかしかった漢字がいつの間にか書けてしまうように自然な移行だったのだろう。そして、被害者がでる。クールなハンサムという役柄も素敵だ。同時に、快活な落語家も魅力的だ。程度というものがある。その線引きをまた忘れてしまう。後戻りできない。今日も、下品のトンネルを通過する。
人見知りという重厚なコートを脱ぐ。えりまきも外して。
大人になっても人見知りという成分を保持しているのは、随分と我がままで身勝手で傲慢であるなと思う。自分もそうした覆いをなかなか捨てなかった。捨てる機会もなかった。
見知らぬひとがいる。共通点も見いだせない。会話もしなければ分かりようもなかった。そもそも他人に興味がない状況も存在する。自分と少数の周囲で我が国土は成り立っている。その小さな世界をわざわざ壊すこともない。
急に暇ができる。社会人になっている。いくらか預金がある。もしくは、何かの賭け金が戻ってくる。海外旅行のツアーにでも参加するかと思いめぐらす。手っ取り早い。恋人も友人もいない。少なくとも、いても急な休みがとれるほど会社員は甘くない。ぼくは、ぼくに対して限りなく甘い。休んだ期間に滞りがないために励むときだけ、自分に厳しくなる。
夕食のテーブルにひとり座る。周りの顔を一通り見る。凡その年齢と性別しか判断材料がない。そのひとらに、「友人もいない、恋人もいない」と思われているんじゃないかとの被害妄想が勝手に生まれる。ワインをボトルで飲みたい。休暇なのだ。我慢してもデキャンタ。一杯ぐらい差し出してもいい。ぼくは雄弁になるよう変身を強いられる。作ろうと思えば友人など無数にできるキャラクターなのだと演じる。必要が発明の母であった。結果、やり過ぎる場合もある。
誰かを笑わせて、ガードを下げさせるという役目もある。新婚夫婦の観光客の写真ぐらいは撮ってあげる。やろうと思えばできるものだった。
不慣れなことをしてしまった末端に芽生える恥というしずくの賞味期限も、どんな醜さも百年で潰える。本人も、覚えているひとも、糾弾したいひとさえ誰もいない。しかし、当然のこと、自己嫌悪もある。二日酔いと同じだ。翌朝は、じっとりと変な汗をかいている。
本質はひとりで本でも読んで過ごしていたい。無言で、静かに。妻も、これまた静かにピアノを弾いている。若き日の空想は常に美しい。現実は正反対の映像となって結実する。きょうも、どこかの酒場で管を巻いている。大臣である女性を、空想のなかでどうこうであった。生きていることが恥ずかしい。ちなみに、うちわを有していない方である。注解、終わり。
イタリア人にもなりたかった。電話のオペレーターの仕事もした。言葉を介在させなければ世界は暗闇と等しかった。無言で理解し合えることなど決してなく、伝えることは正確な大きさで伝えるべきであった。それができるのが大人であり、社会人であり、人間であった。
遂に終わる。最終局面。
あるリゾート地で人見知りの水着を脱ぎ捨てた。暖かい陽気のなか、屋根のない座席があるレストランにいる。夜空は雨が降りそうもない。となりで女性たちが食事をしていた。ぼくも友人とともにいて、それとなく声をかける。海外での最後の日で、両替したお金もほとんどなかった。合流してから使った代金ののこりをカードで払った覚えがある。そのひとりの女性は、ずっと、「ストリップ」に行きたいと言っていた。北陸とか、もう少し東北寄りのあの辺りのふたり。だが、そうはしなかった。横にあるぼくらのホテルで飲み直した。事件は未遂で終わる。人見知りだけが完了した。
別の友人のエピソード。
多分、こういう暖かい地でのストリップとか、そういう類いの場所であろう。オプションを追加するか交渉の機会が訪れ、結果として、ぼったくられる。やはり、人見知りであることも利益があるのだ。
次第に度を越す。
迷惑がられなければ誰とでも喋れる。酔いを含めば、急速に長所か短所を発揮する。向こうの迷惑のサインも見逃す。わざとか、正直にかの分岐点は不明だ。最終的に、自主的(ときには、やんわりとイエロー・カード)出入り禁止の警告に及ぶ。常連の仮の立場もさらば。
とある横浜方面の酒場。入口に明確に、「他のお客様に話しかけるのはお止め下さい」と条例文のように書かれていた。ぼくもその気持ちで入る。ノドが渇いていた。もとの人見知りの衣服をタンスの奥から引っ張り出す。だが、直ぐに話しかけられる。テレビで高校野球が放映されていて、震災のあとということもあり、福島の高校を応援する一致した気持ちが、なによりも室内を和やかな状態にする。用事で出てこなければならなかったが、名残惜しい気持ちでいっぱいだった。会話とか声援で、グループは共同体として機能する。
サービス。してもらいたいこと。ちょっとした優しさ。心遣い。それはにこやかな表情とか、軽い触れ合いとかでも表現できる。しかし、本当のところ、ことばとか、優しさに適した声量とかで満たされるのではないのだろうか。ぼくは、ぼく自身を肯定する。常に肯定する。冷たく無視しても、ぼくが正しく、反対に、つっかかるように、挑むように話しかけたとしても、ぼくは正義の側にいる。むずかしかった漢字がいつの間にか書けてしまうように自然な移行だったのだろう。そして、被害者がでる。クールなハンサムという役柄も素敵だ。同時に、快活な落語家も魅力的だ。程度というものがある。その線引きをまた忘れてしまう。後戻りできない。今日も、下品のトンネルを通過する。