爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

悪童の書 bj

2014年10月09日 | 悪童の書
bj

 服のうえからうかがわれる胸の形状の特徴を名付けて、ある女性を呼んでいる。友人たちと、陰で。まだ生で見る経験もない。間近で。肉親を除き、幼少期というおぼろげな年を越えて。

 なぜ、あれ(不特定の異性の)を見たい、触りたいと思うようになってしまうのだろう。脳の仕組みが分からない。分かったとしても、抵抗することもできない。操り人形に過ぎないぼくらの遺伝子。

 そう思っていると、彼女(特別にこのひとの胸が見たかったのでもない。特徴があっただけ)の父か母が亡くなった。ぼくらは隣町まで歩いている。片道三十分近くは歩いただろうか、彼女は引越して越境して学校に通っていた。ぼくらに文句を言う筋合いもなく、家の前まで行った。そこからの記憶はない。現地解散という気の利いたこともなく、また同じ経路を戻ったはずだ。親を失うには早すぎる年頃だった。おしとやかというより気の強い部類にいた。だから、悲しみも周りには軽減されて映った。少なくとも、ぼくには。

 自分の親の寿命も分からないぼくがひとの親のことなど分かるはずもない。ひとりの友人の父もすでになくなっていた。ある教師は授業中に善意で、

「○○君は、お父さんがいないんだから、もっとしっかりしなければダメ」という意味合いのことを全員の前で言った。ぼくは、後悔している。悪意でも、偽善でもこの場の雰囲気を悪くして、台無しにするぐらいに彼のためにキレるべきであった。ぼくも他の生徒同様に押し黙っている。そして、友人を少しだけ居づらく、心地悪い思いにさせているだろうと勘繰っている。やはり、ぼくの素行がここでも悪かったという一日にするべきだったのだ。ぼくは考えすぎている。そして、後悔している。

 あの教師は当人とふたりで面と向き合って注意すれば、ことは穏便にすむのだ。他の生徒の動揺も、ざわめきだった波も感じないですむ。

 ほんとうのことは分からない。友人は胸でジンとしているのかもしれない。そうだ、頑張ろうと固く誓ったとも考えられる。しかし、あの少し緊迫した空気が走った部屋をぼくは打ち壊すべきであった。

 壊すと作るは両面なのだろうか。裏表に疑いはないのか。両輪で走っているのか。

 この父の姿はかすかに覚えている。友人と日曜に遊ぶ約束をした。まだ小学生である。電話を駆使することも覚えていない頃だ。朝から数回、家の前で名前を呼んだ。パジャマ姿の父がでてくる。不在を知り、また家まで帰る。時間を置いて再度、出かける。また不在。何度目かに母と妹といかにもデパート帰りという様子で友人があらわれた。この事実を彼の父があっさりと告げてくれれば、きょうは無理だということでぼくは通うことを止められたのにと、いささかがっかりしている。結局、この日は遊べなかった。無駄な一日であるが、人生など永遠に小学生でいられるのだという時間の観点を置き去りにした場所に住むぼくには、本質的に無駄かどうかも見究めていない。でも、なんだか理不尽でやりきれなかった。いまの子どもはもっと便利な方法と手段を知っており、どうにか解決しているのだろう。いま、どこ?

 この友人は若くして盲腸になった。小学生の大切な授業を受けることもなく、入院している。その見舞いにも行ったはずだ。結果、身体の一部は周囲の男の子たちと変わってしまう。なんだか、ユダヤ人である。ユダヤ人などということばを知ることもない時期なのだが。

 同じ人物のその後。夏の夜のプールに忍び込み、警備員だか用務員に追い駆けられ、すき間に落ちた。ぼくの脳は別の場面もインプットしている。彼は飛び込んだが、その日だけ、水が抜かれていた。どちらにしろ、翌日以降、血だらけ、傷だらけの身体になっていた。

 中学になり、ぼくは公務員の給料日というものを把握している。先生にそれとなくねだる。美人ホステスの手法である。まだ若い先生たちは喫茶店で軽食をおごってくれた。なにかの賭けをして負けたまじめそうなおばさんの先生にも土曜辺りに味噌ラーメンをおごってもらったように記憶している。満腹という状態が一瞬も保てない日々の思い出。半ドンというなつかしい響きのいまより自由を感じている頃。

 ひとは簡単に死ぬ。あるいは、なかなかくたばらない。

 同級生が不治の病で死ぬ。ぼくは彼女の胸を触ったことがある。非公認(利益のもとの三十年前の売上高)といえば、非公認(三十年前の胸の感触の減価償却)であった。それが原因でもないが、罪悪感がある。あのやわらか味は瞬時に消えてしまったのだろう。ある日、彼女の母とすれちがう。魂を失ったようなうつろな表情をしている。ぼくは、自分がすこぶる健康であることに馴染んでいる。病院で美人な看護師さんとの運命的な出会いというのは、この所為で訪れ得なかった。

 教科書の中味ではなく、この当時のお兄さんのような、あまり年も変わらない先生たちが割礼と、ささいな痛みの我慢に対処する術を教えてくれた。産みは苦しみを伴うのだ。結果、感謝である。いつまでも、ミノムシであったかもしれない。外気はさわやかであった。

 意味のあることが書きたい。全世界の数万人が涙した! という感嘆のことばを聞きたい。結果として、力作はこんなものである。お召し上がれ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする