爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 bh

2014年10月07日 | 悪童の書
bh

 ケンカに負けない方法というのを伝授されている。効果的なひとの蹴り方。ダメージの与え方。

 その指導者は率直にいえば国籍が異なっていた。どこで知り合い、どこでその契約を結んだか、詳細は思い出せないでいる。ぼくは地元の土手で個人的なレッスンと明日を夢見た訓練を受けていた。季節も変わった同じ土手で、足立区から遠征してきた悪ガキたちを相手に実証してみせた。彼は、この場面に対処するには、こう教えてくれたはずだ。名コーチである。練習と、その効果をはかる実践の機会が訪れた。結果として、ひとりをボコボコにして、数人からボコボコにされる。タコと同じで複数の手や足はもっとも武器として有効だった。それを覆す以上の訓練をぼくは受けていなかった。

 相手のひとりは、その後、数日間は酷い顔をして暮らしたことだろう。歯の治療も必要だったかもしれない。ぼくの蒙ったダメージは比較すれば少ない。参謀という見えない影がいっしょに戦ってくれた。

 なぜ、遠くからわざわざ来たのか謎だが、中継地点に美人局のようなひとがいたのだろう。そういう策士がいつの世にもいる。

 西日暮里の進学校で東大に入るために日夜、勉学に明け暮れる青春もあるし、このようにカラテ・キッドの映画そのものの青春もある。その時点に比べれば、ぼくの脳はさまざまな知識を有した。吸収した。あのままで終わる訳にもいかない。パスカルもスピノザも知っている。だが、ぼくに伝授したという貴重な体験をくれたひとつ上のアマチュアの先輩も、同等の価値がある。

 その土手で数人の友人を帰した。加勢だかを無言でお願いしたつもりであるが、彼らは自宅に帰ってそれっきりだった。ぼくと友人のひとりは複数から攻められている。顔に腫れ物と傷ができ、その原因としてふたりでケンカしたことにしようというまずい理由で一致する。一度も殴り合いのケンカ(当人同士に限定)もしたことがないのに。もちろん、そんな深みのないウソは一瞬にしてばれる。ばれても、どこかに連行されることもないウソであった。

 その同じ痛みを有した彼はその後、結婚して、妻はこの当時の写真を見る。彼女はぼくのことをこの時期の名称、俗称で呼んだ。とっくにそのチームから消え去った存在であるにも関わらず。彼女は話しやすいひとだった。異性を感じさせないから、ぼくも自分の虚像をつくらなくてすむ。週末の居酒屋で、彼女と話した時間をぼくという正体として標本にしたいぐらいの楽しさだった。

 自立しなければいけない。ぼくにちょっかいを出すよう、別のクラスの同級生が命令されている。ぼくは、技術という授業中なのに、彼を声高に威嚇する。直ぐに正座をさせたがる先生の影響力を無視して彼だけ座らせる。両成敗を避け、断る。この場の主導権を教師だろうと譲る訳にはいかない。次の休み時間にぼくは彼をボコボコにする。単純な理論と理屈で生きている。

 ボコボコにされる理由もあった。彼はふたりを並べてぼくを劣った存在だと自分で決めたのだ。板挟みになって判断してはじき出した答えは、ぼくを軽んじるのだというものなのだろう。腕力と勢力。ぼくの住んでいた世界。住民票をあずけていた世界。

 ぼくは、勉強もできる。ずっと自慢と武勇伝しか書いていない。自画自賛の記述。合コンでいちばん嫌がられる内容であった。しかし、正直に書いておかなければならない。図体で劣っていても、訓練した蹴り方を身に着けたら、そこそこ相手になるのだという事実を。その知識を路上と野外で会得したひとがいたということを。二重の名前をもたざるを得ない人生のことも。

 事を常に大げさにする。

 後日、都の陸上の大会で足立区のひとりと会う。彼は挨拶を強要する。ぼくはしない。友人はちょっとだけ頭を下げた。彼は勝った気でいる。ぼくは負けたつもりもない。複数人に殴られただけで、ひとりをボコボコにしたのは自分の方だった。公立の学校に進学すれば、ずっと彼らの熱い視線と、自分の過去の振る舞いに悩まされることは目に見えていた。ぼくは離れた私立校を選ぶ。ぼくを知るひとはひとりもいない。見事な勝利である。だが、そこもぼくのほんとうの居場所ではなかった。

 それを理由にしてもいない。

 テストの数学の採点が間違っていた。教壇にその事実を指摘しに行くと、思いがけなく、「だって、いま、書き直したんだろう?」と言われた、正義への返答も呆気ないものである。卑怯ということをぼくが教わっていないとでも思っているのだろうか? ぼくが地元を離れた結果がこれだった。後になって、太宰さんの「トカトントン」という名作を読むが、このときのぼくの気分もまさにこれだった。なにかのスイッチが切れた。蛍光灯はついに寿命を終えたのである。

 ひとりで学ぶことにしよう。指導者はもういらない。

 これもいまのぼくが過去を美化しているから残したに過ぎない。唯一、「怠惰」が目立ちたがりで、かつ逆の意味合いでもっとも引っ込み思案な原因だった。怠けたい。いつまでも寝ていたい。

 ぼくの潜在能力を開花させてくれた先生。もう会うこともない。ぼくも、もう使う機会もない。外国でコンセントが入らないのと同じだ。アタッチメントがあっても、ぼくはもうその国の住人ではなかった。さびしいとも思えない。あの日々に感じたであろう恐怖も多少、あったのは事実だろう。見知らぬ土地から、見知らぬ相手が名乗りをあげる。それを撥ね退けるパワーがぼく自身にあった。そんな無知な日々の、無駄なトレーニング。

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