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話題に窮すると、「最後の晩さん、何にする?」と訊くことにしていた。それぞれの美学と食欲。答えのなかに、玉子かけご飯という提示により、自分にとって究極の軽蔑を感じさせてくれるひともいる。ぼくの(無駄かもしれなかった)質問は、食用となるエサの話を導き出すためじゃない。残念である。和食の美学も空中分裂だった。せめて、最後の前にしてほしい。ぼくは会話をしたいだけであって、すなわち本心の回答が、会話の延長に終止符を打つ役目しか生まないことも起こってしまう。この場合のように。
「そうすると?」と、追加の質問も用意できるのに、他の品々なら。
「じゃあ、あなたは?」
ぼくは具体的な内容を用意していない。ただ、頭のなかにイメージがあるのだ。
ある店に行った。居心地の良い場所である。夫婦でお店を切り盛りしている。開店直後のカウンターに座っている。メニューを見て適度に頼み、あとは、何かのケースの上に無雑作に置いてあるスポーツ新聞を読む。
それも飽きると店内の様子を見回して確認する。ぼくは、どこにいるのだ? 相撲の写真などもある。いくつかの質問をして、ぼくもされ、会話もすすむと店主は元相撲取りであることが分かる。体調を整える役目、身体を機能的に大きくすることが彼らには求められるのだ。味付けも体格と反比例して繊細でもある。だが、具材のひとつひとつは大きい。ぼくはカウンターにひとりでいる。休日は徐々に暮れていく。
妻であるらしい給仕をしてくれる女性もさばさばしてさらに加点する。ふたりの年齢は、ちょうどぼくの両親より少しだけ下というぐらいだ。店をあとにする。完璧というのは意外なところで自然に、突然にやって来た。ぼくは、二軒目に寄る。あとは、もう意識も感度も低下するのみであった。
また行きたくなる。実家にいるようだ。まさにその証明のように、ぼくという客がいるのに本気の夫婦喧嘩をはじめる。ぼくには馴染みの怒声であり、ただ新聞に顔を埋めれば良かった。だが、調理された品に手抜きもなく、サービスも悪くない。
次の店に行く。バル風の場所でワインを飲んでいる。さっきの店にいたお客のひとりが、そばに遅れて入ってきた。ぼくらは会話をはじめる。ぼくは先ほどの店を誉める。彼女も当然のこと気に入っていた。意気投合して、次の店で飲み直す。連絡先は聞けたが、彼氏との遠距離恋愛の話をされ興ざめだった。楽しい笑い声のひとであった。
ぼくは最後の晩さんをこの店に決めている。そのことを伝え、友人を連れて行く。関取はちゃんこ鍋であった。さすがに、ひとりで鍋は胃袋が悲鳴をあげる。とにかく、何でも量が多い店なのだ。そろそろ暑くなる時期だった。Tシャツの下の背中にぼくはびっしょりと汗をかいている。店内は空調がきいている。
「そのままだと風邪、ひくよ」と言って、配るためのものか新品の店名入りのタオルを取り出し、ぼくの背中に裾の方から手を突っ込んで、丁寧に拭いてくれた。実家以上の、母以上の扱いをされる。鍋もうまかった。永遠ということを信じるようになる。ぼくの最後の晩さんという話はこれぐらいに長くなった。卵を割ってポン! グチャグチャという簡単でセンスもない返答とは違う。長いストーリーが生まれている。物語こそ生きる糧だった。
ゲンコツ大の焼き鳥。刺身の鮮度も充分だった。お酒の仕入れ先も気を使っていた。力強い男性。媚をしらないさばさばした女性。
すると、ぼくは早めに自分の人生を切り上げなければならなくなる。この店主たちや店より先に。
給料が減り、飲食費をカットして、数年が経つ。高くて旨い料理というのはどこかにあるのかもしれない。ぼくには政務活動費がない。だから、いけない。安くて、うまいというところを探す。
「まずくない?」という根拠も言い訳も非難もぼくにはない。ない方がさっぱりとして男らしいとも思っている。大体が失恋したての乙女のように女々しく酔うのを最終的な目標にしているのだが。
給料日後の休み。久々にバルに行く。アイドリングである。黒と白のオリーブでワインを飲み、イワシのオリーブオイル漬けのようなものも食べる。店をあとにする。再放送のテレビ画面はまたネイマールが四点入れていた。計八ゴールである。
通りを駅に向かうのではなく、反対を目指す。多分、この辺だった。
「あ、ない!」本当は分かっていたのだ。大好きだった子が別の男性と腕を組んで歩いているのを見てしまったようにショックであった。そして、その衝撃をかくす。
ぼくは傘をさしてトボトボと歩く。靴のなかに水が浸みてくる。いまのぼくにはふさわしい。
いや、見誤ったのだ。もう一度、通りを戻る。どちらにしろ、駅はそちら側にある。どこかを通らなければならない。やはり、別の店舗が営業をしている。中もガラス張りで店自体も働いているひとも変更していることが一目瞭然だった。
ぼくは、早めに最後の晩さんを食すべきであった。そうならなかったので、これから別の物語を生み出さなければならない。お茶漬けをサラサラでは味気ない。ある女性は名古屋で「ひつまぶし」と言った。これも、ありである。ふさわしくないものを消去方式でさがす。ロコモコ丼。スパムのおにぎり。立ち食いソバ。香川でうどん。
「うるさいな、黙って、好きなものを食え!」
高倉健は出所後にスタッフといっしょにおいしくいただきました、というテロップがテレビに映る。
話題に窮すると、「最後の晩さん、何にする?」と訊くことにしていた。それぞれの美学と食欲。答えのなかに、玉子かけご飯という提示により、自分にとって究極の軽蔑を感じさせてくれるひともいる。ぼくの(無駄かもしれなかった)質問は、食用となるエサの話を導き出すためじゃない。残念である。和食の美学も空中分裂だった。せめて、最後の前にしてほしい。ぼくは会話をしたいだけであって、すなわち本心の回答が、会話の延長に終止符を打つ役目しか生まないことも起こってしまう。この場合のように。
「そうすると?」と、追加の質問も用意できるのに、他の品々なら。
「じゃあ、あなたは?」
ぼくは具体的な内容を用意していない。ただ、頭のなかにイメージがあるのだ。
ある店に行った。居心地の良い場所である。夫婦でお店を切り盛りしている。開店直後のカウンターに座っている。メニューを見て適度に頼み、あとは、何かのケースの上に無雑作に置いてあるスポーツ新聞を読む。
それも飽きると店内の様子を見回して確認する。ぼくは、どこにいるのだ? 相撲の写真などもある。いくつかの質問をして、ぼくもされ、会話もすすむと店主は元相撲取りであることが分かる。体調を整える役目、身体を機能的に大きくすることが彼らには求められるのだ。味付けも体格と反比例して繊細でもある。だが、具材のひとつひとつは大きい。ぼくはカウンターにひとりでいる。休日は徐々に暮れていく。
妻であるらしい給仕をしてくれる女性もさばさばしてさらに加点する。ふたりの年齢は、ちょうどぼくの両親より少しだけ下というぐらいだ。店をあとにする。完璧というのは意外なところで自然に、突然にやって来た。ぼくは、二軒目に寄る。あとは、もう意識も感度も低下するのみであった。
また行きたくなる。実家にいるようだ。まさにその証明のように、ぼくという客がいるのに本気の夫婦喧嘩をはじめる。ぼくには馴染みの怒声であり、ただ新聞に顔を埋めれば良かった。だが、調理された品に手抜きもなく、サービスも悪くない。
次の店に行く。バル風の場所でワインを飲んでいる。さっきの店にいたお客のひとりが、そばに遅れて入ってきた。ぼくらは会話をはじめる。ぼくは先ほどの店を誉める。彼女も当然のこと気に入っていた。意気投合して、次の店で飲み直す。連絡先は聞けたが、彼氏との遠距離恋愛の話をされ興ざめだった。楽しい笑い声のひとであった。
ぼくは最後の晩さんをこの店に決めている。そのことを伝え、友人を連れて行く。関取はちゃんこ鍋であった。さすがに、ひとりで鍋は胃袋が悲鳴をあげる。とにかく、何でも量が多い店なのだ。そろそろ暑くなる時期だった。Tシャツの下の背中にぼくはびっしょりと汗をかいている。店内は空調がきいている。
「そのままだと風邪、ひくよ」と言って、配るためのものか新品の店名入りのタオルを取り出し、ぼくの背中に裾の方から手を突っ込んで、丁寧に拭いてくれた。実家以上の、母以上の扱いをされる。鍋もうまかった。永遠ということを信じるようになる。ぼくの最後の晩さんという話はこれぐらいに長くなった。卵を割ってポン! グチャグチャという簡単でセンスもない返答とは違う。長いストーリーが生まれている。物語こそ生きる糧だった。
ゲンコツ大の焼き鳥。刺身の鮮度も充分だった。お酒の仕入れ先も気を使っていた。力強い男性。媚をしらないさばさばした女性。
すると、ぼくは早めに自分の人生を切り上げなければならなくなる。この店主たちや店より先に。
給料が減り、飲食費をカットして、数年が経つ。高くて旨い料理というのはどこかにあるのかもしれない。ぼくには政務活動費がない。だから、いけない。安くて、うまいというところを探す。
「まずくない?」という根拠も言い訳も非難もぼくにはない。ない方がさっぱりとして男らしいとも思っている。大体が失恋したての乙女のように女々しく酔うのを最終的な目標にしているのだが。
給料日後の休み。久々にバルに行く。アイドリングである。黒と白のオリーブでワインを飲み、イワシのオリーブオイル漬けのようなものも食べる。店をあとにする。再放送のテレビ画面はまたネイマールが四点入れていた。計八ゴールである。
通りを駅に向かうのではなく、反対を目指す。多分、この辺だった。
「あ、ない!」本当は分かっていたのだ。大好きだった子が別の男性と腕を組んで歩いているのを見てしまったようにショックであった。そして、その衝撃をかくす。
ぼくは傘をさしてトボトボと歩く。靴のなかに水が浸みてくる。いまのぼくにはふさわしい。
いや、見誤ったのだ。もう一度、通りを戻る。どちらにしろ、駅はそちら側にある。どこかを通らなければならない。やはり、別の店舗が営業をしている。中もガラス張りで店自体も働いているひとも変更していることが一目瞭然だった。
ぼくは、早めに最後の晩さんを食すべきであった。そうならなかったので、これから別の物語を生み出さなければならない。お茶漬けをサラサラでは味気ない。ある女性は名古屋で「ひつまぶし」と言った。これも、ありである。ふさわしくないものを消去方式でさがす。ロコモコ丼。スパムのおにぎり。立ち食いソバ。香川でうどん。
「うるさいな、黙って、好きなものを食え!」
高倉健は出所後にスタッフといっしょにおいしくいただきました、というテロップがテレビに映る。