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物語の連鎖
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悪童の書 bm

2014年10月12日 | 悪童の書
bm

 エジュケーションのあらわれの最たるものは、譲るという行為に達するかどうかに尽きると思う。

 譲るというのは真っ先に不利益に通じてしまう原因たるものなのか。自分に起こる不利益には断固、ノーをかざすべきなのか。

 ネットというのは便利なものである。自分もたくさんの恩恵を受けている。素早い情報、小さく薄い端末だけでの簡便なお買いもの。しかし、このことをずっと、「普通」という状態に設定してしまうと、待つ、とか、時間がかかるという悠久の反対になってしまう、時の小さな経過すら敵に思える状況を生み出してしまう。車に乗ってイライラ。電車が停まって、イライラ。ラッシュ時の投身自殺など、もっての外だった。

 映画を見る。やはり、環境が異なれば考え方も変わり、行動という出口にも影響を与える。

「できないことでも頑張って仕事をするべきでしょう!」と、あるアジア人は言った。ごもっともである。
「責任は?」ヨーロッパの女性。「やると言った時点で責任が生じるのよ。やれないことまで身勝手に引き受けないで」

 どちらも正論である。行動には責任がともなってきたという長い歴史が、そのひとことの裏に埋もれているのかもしれない。少しの頑張りは、大きな成長につながるのだ、という大量の子孫を繁栄させる力がまだまだある地域には、そういう観念もある。だが、「頑張ってみたけど、できませんでした」という結果もあるだろう。

「だから、言ったこっちゃない」とまでは冷酷に指摘しないが、できると宣言したものは完遂させるのだ、と厳しく助言され育ったのかもしれない。地中海沿岸で。個人でも、文明人の共同体のひとりとしても。

 便利なものは、さらに、配達される。時間も指定できる。ぼんやりテレビを見ながら待っている。少し遅れるとイライラする。

 我さきに電車のイスにまっしぐら。確保した自分のぬくもりが伝わるシートの前に妊婦が立つ。このひとは、もうひとりとちょっとの命になっている。晴れ晴れとした笑顔でゆずりたい。自分のとる方法は、いま、降りる駅になったから立ち上がっただけですよ、という過剰な演技をうちに秘めた行動だった。ホームでダッシュしてとなりの車両に駆け込む。アナウンスでその慌てた人間は注意される。誰が、このぼくの優しさを知る。教育を受けてきたのだ。あのひとのお腹は深夜のポテトチップスが作っていることもありえる。教育は慎みなのだ。

 フィールド・オブ・ドリームス。CGもない、のどかな映画。近未来のSFなど、ぼくの得意分野でもない。

 ある若い野球選手。グラウンドで楽しそうに、はつらつと動いている。だが、こころには医者の気持ちもある。主人公の娘が転がってのどを詰まらせてしまう。このフィールドの領域を一歩でも越えてしまえば、夢よさらばになってしまう。結局、老いた医者にもどり、少女を治療してあげる。めでたしである。そして、夢は終わったのだった。ぼくは、譲るという行為の模範として常にこの場面を思い出している。サクリファイスを楽しむこと。悪童より道徳論になってしまった。いさめなければいけない。

 蹴落とす、勝ちあがるということも、教育の重要な主題である。門戸は狭い。門司港は広い。高等教育を受け、たくさんの給料を生み出し、美人の清楚な女性(絶滅危惧に先日認定したばかり)を嫁にもらう。高速道路を愛車で自分の家の廊下のように傍若無人に縦横無尽に走行する。スピードの制限を越え、行列に割り込んだ店で、遅い調理に怒鳴り散らす。これが、勝利なのだ。

 偉いひとが謙虚であると、さらに評価が上がる。みな、すがすがしいひとを見たいのだ。

 熟練の技を習得するには、一朝一夕では道半ばでしかない。遠回りに見えたことでも、使う機会もめったにないけど、この秘伝の技をもっているという事実は焦りをさえ根絶させる。架空の話である。どれもこれも。

 技のために爪を短く切る。エチケットでもあった。誰も教えてくれない。試行錯誤の闇のなかを、おっかなびっくり歩いている。

 ポテンシャルということばも普段着に近くなった。潜在的な力を発揮するタイミングもある。責任の範囲内だけで動いていたら、周辺は段々と小さくなっていく。となりの家に敷地が徐々に組み込まれていく。泣き寝入り。

 しかし、譲るのだ。この土地も地球も、正直にいえばぼくのものではないのだ。部屋につもるホコリだけがぼくの取り分である。身ぐるみはがされる。着ぐるみ脱がされる。

 ぼくは仕事を待っている。自分の仕事は終わった。いつまでも成長しないひとの仕事を手伝ってあげるかどうかで迷っている。いつか、自力でこれを乗り終えなければならない日がくる。ぼくは待ちわびてイライラ。彼は残業代が入ってホクホク。能率と効率が悪いことは、残業代の水増しにつながるのだった。この場をさっさと去り、ビールでも飲んだ方が楽しいのにな、と考えている。譲るから論点がずれてしまってきた。いつもながら。

「遅くまで頑張ってるんだな、偉い」という評価は古風な出で立ちになってしまったのか。その声援すらぼくは譲る。ベルトコンベアーが動いている限り、高速で飛び跳ねるしかない。誰の目にも留まらぬように。