爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 bc

2014年10月02日 | 悪童の書
bc

 郵便配達は二度ベルを鳴らす。

 ジェームズ・ボンドは二度、死ぬ。コード・ネームとして。

 友人は二度、怒る。

 その友人は同じクラスになっていなかった。友人の友人のような小さな隔たりのある存在だったが、いつの間にか毎日のように遊ぶ仲になっていた。十代の後半の思春期をどうにか切り抜けた、持て余し気味のエネルギーが過剰に膨らんだ、あの絶頂の時期を。細かに分析しなくても、彼は女性から人気のありそうな風貌をしていた。そのことを生かし切れていないイメージもあるが、ぼくと遊んでいるぐらいだから、あまりその面に重きを置いていないのかもしれない。

 別の友人の家で寝ていた。数人でのごろ寝。雑魚寝。団地の一室。彼は目覚めが悪い。そして、同じ意味合いでどこででも眠れた。ぼくらは寝ていることをいいことに、顔に落書きをする。マジックでまぶたの裏(表?)に大きな瞳を描く。まだ起きない。家の友人の母がおにぎりをたくさん作り、おそらくグレープ・フルーツを食べやすく切ったものを出してくれた。ぼくらはおいしく食べながらも、となりで鏡を見て激怒している友人のことも心配している。いま、考えても、ぼくが同じペイントをもしされても怒らないだろう。写真も撮ってもらうかもしれない。虫の居所、というあいまいな表現でこの状況をずるくのりこえる。彼は食事の場の横で石鹸を顔になすりつけている。その後、どうなったかもう記憶にない。

 別の機会。彼は自動販売機に小銭を投入する。ガソリン・スタンドのバイトのせいで爪が汚れている。労働者の証しである。ぼくは、自由という名のもとにぶらぶらしている。

 選べるジュースのボタンが光る。彼が考える間もなく、ぼくは適当にボタンを押す。夏なのに、スープのような。彼は激怒して、ジュースを地面に投げつける。そして、速足で歩き出した。誰も追い駆けない。詫びる気もない。それで完全な亀裂が生まれたかどうかを振り返ると、また、いつものように遊んだのだろう。ぼくは必ず、湧き出した感情の過度な表現をためらわないひとに、恥となるよう後日からかうことになる。自分に起こったことだとしたら?

 やはり、怒りそうもない。自分の沸点は違う場所にあった。

 入り浸っているファミリー・レストランに可愛い店員がいた。注文するとき、テーブルにもってくる際に、彼は自分の好意をためらいもなく表す。もともと、見た目が良い方である。表立っての感情の揺れはその女性にはなかった。だが、ぼくとナンパしに行ったときに見つけた(ぼくは撃沈)女性とビリヤードをして、それから、その店に出向いたそうである。若いウェイトレスは頼まれた飲み物のグラスを叩き付けるように置いて、好意への報いと失望を無言で、かつ大きく硬質な音量で示した。意外と、こころは動いていたようであった。彼もまた怒られる。

 車の免許を取り、夜通し遊んだあと、彼はサーフィンに行った。まったく興味もない自分は腕前も知らない。その後、疎遠になり誰かの結婚式にだけ会うような間柄におさまる。ぼくは彼のときには出席していない。数歳うえの女性を選んだそうだが、大きくなった娘がぼくらの知っている店でバイトをするようになったと語っていた。父という存在は年頃の娘に疎んじられるというようなことを説明したと思ったが、その役目もなんだか単純にうらやましかった。

 いま振り返っても友人として過ごした時間の合計は彼が一位のような気もする。これといって大きな事件など起こらない小さな町で育って暮らしながらも、とてつもなく楽しい時期だった。あのときは退屈だと感じていたとしても。何度も吐くまで飲み、酒量のリミットを覚える。彼は別の友人の背を撫でて介抱しながら自分でも吐いた。

 自転車に二人乗りして、隣町までナンパしに行く。車もない。免許も取れないころだろう。釣りと同じで海や川に行ったという記憶の方が大事になる。いまになってみれば。負け惜しみも少量、ふくみながら。ぼくが小学生のときに引っ越した女性が亡霊のようにあらわれ、彼と交際した。稽古とリハーサルのときに自分にされた思いがけない出来事を彼は披露する。おもしろおかしく。本当に楽しいのだが、ここで書くことは厚顔である自分でもためらってしまう内容だった。

 ぼくらは家に帰るのも面倒くさくなり、近くのモーテルに泊まる。

「男同士?」と、受付の女性は驚きを隠せないでいる。そんな邪道な趣味はさらさらなく、ただ社会科見学である。ぼくは安っぽいタイル製の風呂に湯を入れ、その間に眠たげな彼はすやすやと眠っていた。しばらく経って、ぼくは女性と別れ、その女性と新しい恋人がここにいないかと誰何する場所にもなる。私設の免許なき探偵である。ぼくが、そうしたかったからというより、友人が何だか夢中になっていた。そんなモーテルが誰と誰がいることなど教えてくれる訳もない。バカバカしい青臭い日々だった。

 その大切な友人を何度も怒らせている。感情の小さな動きを遠慮しないということも友人の定義のひとつになるだろう。むりやりにこじつければ。もうほんとうにあの日に戻れないんだな、となつかしく思い、こうして書きながら愛惜しんでいる。みな、あの時期に、ああいう友人がもてればいいな、と自慢と押し付けの狭間でぼくの涙腺の隅にフリー・キックである。

コメント
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